第二次三好包囲網 その3 【地図あり】
俺達一行の畿内上陸は三好家にとっての反撃の一矢になる事が求められている。
その為、三好家側から候補として提示されたのは次の三つである。
1)摂津 越水城
三好家の拠点の一つであり、三好義興が戻る城である。
ここで四国勢を再編して反撃の軍勢を編成するから、その中に入ってほしいという事でもある。
2)堺
中立の自治都市であるから軍勢を連れてゆく訳には行かない。
だが、ここに入る事で畿内の商人からの情報収集と京の情報を入手する事ができる。
この争いはあくまで次期将軍争いを名目にしているので、京の情報は極めて重要なのだ。
3)岸和田城
城の中に港があるのでそのまま寄港すれば帰る事ができる。
だが、必然的に対畠山戦に巻き込まれる為にそれ以上は動けなくなる可能性が高い。
この選択の中、俺が選んだ結論はこれである。
「俺達は堺に向かってから岸和田城に向かう。
他の者達はそのまま岸和田城に入ってほしい」
勝瑞城での軍議の席で俺は皆に告げる。
三好軍とはあえて命令系統が違うことを利用する事にした。
「殿。
それはどういう理由で?」
皆を代表して大鶴宗秋が尋ねる。
あえて俺達だけが堺に入る理由が分からないのだろう。
「京の情報が欲しい。
堺ならば、島津殿と繋がりやすいからな」
先に京に来ていた島津勝久から京の情報をもらう事がこの決定の理由の一つである。
もう一つの理由を俺は口にした。
「それに、畠山軍を潰すには堺の方が都合がいいのさ」
隣に居た有明が後で教えてくれたが、この時の俺の笑顔は実にろくでもないことを考えている時の顔だったそうだ。
実際、そのろくでもないことに畠山軍は翻弄される事になる。
堺の港は俺の船を一目見ようと、多くの人達でにぎわっていた。
もちろん、畠山家や織田家の間者も居るだろう。
連れてきたのはいつもの連中に馬廻のみの五百人。
残りは大鶴宗秋に預けて岸和田城に送っている。
滞在先は仲屋乾通の堺屋敷で、一息ついた所で俺は田原新七郎と田中久兵衛を呼び出す。
「お呼びで?」
身分は低いが先輩である田中久兵衛が尋ねる。
田原新七郎が良く育ったのは彼の功績が大きい。
それを俺は忘れるつもりはない。
「うむ。
大友本家からの意向で田原新七郎を将として扱おうと思っている。
その為元服させようと思ってな」
俺の発言に嬉しそうでない顔をする田原新七郎。
その後に出た言葉で彼がまともに育ったのを確認する。
「元服についてはありがたく。
ですが、それがしは元服するほど己を磨いておりませぬ。
よろしければ、もう少し殿の側に居て学びたい所存」
いい感じで育っているから田原親賢も喜ぶだろう。
田原家は『親』の字を使うのでそれと俺の字を組み合わせる事にする。
「それは構わぬ。
とはいえ、名はくれてやる。
成の字をやるから、これからは田原成親と名乗るが良い。
で、最初の仕事だ。
ここに千貫あるから、浪人衆を雇って一隊作って来い!」
「ありがたき幸せ!」
田原新七郎こと田原成親が平伏する横で今度は田中久兵衛の方に振り向く。
本当ならば彼も将にしたい所だが、元農民がネックになって家中にやっかみが広がりかねない。
田原成親と待遇を分けて扱う必要があった。
なお、彼の父親は田中重政と名乗っていたらしいので、武士と農家の間あたりの家なのだろう。
そこからもらう事にする。
「長い事近習として尽くしてくれて感謝している。
お前にも成の字を与えるが、お前は右筆としてがんばってもらいたい。
これからは、田中成政と名乗り、近習をまとめよ。
今回お前は田原成親の副将として、隊を作るのを補佐しろ」
右筆、つまり大名の書状代筆者であり、近習達のトップでもある。
新しい近習として保護した篠原長秀と篠原右近の兄弟を使うつもりだった。
親子関係はギクシャクしたままだが腐らせるのも良くないし、田原成親を更生させた田中成政ならばうまく扱えるだろう。きっと。
俺の意図を察した田中成政は大声で元気よく平伏した。
「承知いたしました!」
浪人衆を募集してとりあえず兵を増やす。
士気や練度等は期待できないが、この二人には良い実戦経験になるだろう。
「隊ができあがったら、岸和田城に入るので?」
このあたりは付き合いが長くて才がある田中成政が確認をとるが、俺の言葉に二人とも絶句した。
「いや、お前らは後詰さ。
俺達はこのまま堺を出て、岸和田城に向かって打って出る」
なお、彼らは一回のみと割り切って五百人もの人足をかき集めることに成功。
田原成親はこの役立たずの意味が良くわかっていないみたいだが、役に立たないけど人が必要という俺の意図を良くわかっていた田中成政のおかげで、旗と棒と竹槍と石のみという部隊を編制する事に成功する。
やっぱり拾いものだわ。こいつら。
「お久しぶりでございます。
守護様」
「よしてくれ。
飾りであるからこそ狙われなかった。
だから生き残っているに過ぎぬわ」
堺に和泉国守護細川藤賢が居たのは吉報だった。
一応幕府の正式任命の守護が居るのと居ないのでははったりの箔が違う。
もちろん、それが箔でしかないのは俺も畿内国人衆は勘付いているのだが。
「それでも守護様がおられる事でできる事が増えます。
守護様には動いてもらう事がありますがよろしいか?」
「もちろん」
細川藤賢の情報はかなりありがたかった。
彼は下手に動かなかったが、堺にて情報を集めて三好家に送っていたのである。
その詳細な情報が俺の所に入ってくる。
「畠山高政が和泉国に来ている?」
「間違いなかろう。
久米田合戦で雪辱は果たしたのだろうが、奴の狙いは大友殿。そなただ」
我ながら恨まれたものだと苦笑する。
久米田合戦から畠山家の邪魔ばかりしていたからある意味仕方ない。
舐められたら終りの武士の商売。
畠山高政は俺への雪辱に燃えていた。
その後、俺の堺からの出陣を聞いて笑い転げる細川藤賢。
ひとしきり笑った後で彼は真顔に戻った。
「正気か?」
「もちろん」
俺は細川藤賢の返事をそのまま返す。
この近くに居る畠山軍はおよそ一万。
大和国国人衆で畠山軍についている連中が合流したら二万に届きかねない。
なお、こちらは馬廻の五百のみである。
「勝てるのか?」
「もちろん」
二万対五百。
普通は負ける戦である。
だが、勝つ自信はあった。
「いいだろう。
久米田合戦と教興寺合戦で武名を轟かせた大友の今趙雲の戦ぶり見せてもらおうか。
堺には儂に仕える郎党五百が居る。
儂共々使ってくれ」
「感謝いたしまする。
このお礼は勝利を持ってお返ししましょう」
さらに幸運が続く。
島津勝久も堺に来ていたのだ。
京もきな臭いので早めに堺に逃げた事がこの幸運に繋がったらしい。
「島津殿。
ご無事で何より」
「京の情勢は危ういので早々に逃げたのみ。
たいした話ができぬがそれでもよろしいか?」
「ええ。
それを聞きたかったのです。
京はそこまで危ないので?」
島津勝久から聞いた京は戦こそ起こっていないが、その緊張が頂点に達しつつあった。
平島御所足利義助の行方不明に堺大樹の足利義冬は激怒。
三好家に対して決定的な決裂を宣言したが、足利義秋を抱える織田信長に寝返る訳にも行かず。
槇島城に兵を集めて沈黙を貫いている。
これが合戦に行かなかったのは、勝竜寺城で京と幕府を差配していた松永久秀と幕臣細川藤孝の調整で暴発を避け続けた為に他ならない。
三好とは縁を切ったが足利義秋に将軍職を渡したくない足利義冬は、それゆえに沈黙するしかできなかったのである。
一方、樫井合戦と和久郷合戦の敗北によって圧迫された三好家は京の放棄も視野に入れだしていた。
二条城は細川藤孝に任せて京の戦力を勝竜寺城へ集中させたのは、教興寺合戦や足利義輝死後の混乱という過去の経験があるからだ。
その流れで、和久郷合戦で敗北した内藤宗勝が丹波より撤退し芥川山城に入城。
戦力の再編と摂津国絶対死守に舵を切ったのである。
信貴山城には伊丹親興が城代として入り、多聞山城には元尼子家の福屋隆兼が城代として奮戦していた。
「大いに助かりましたぞ。
これで勝つ算段がつき申した」
「何やら一戦やるみたいで?
よろしければ、この老骨の力いりませんかな?」
こっちが堺で兵を集めている事を察して島津勝久が協力を申し出る。
彼ぐらいの将になると一人で居る事もなく、必ず郎党がついてくる。
俺が支援した事もあって、二百人ほど彼自身の郎党がついてきているのが魅力だった。
「ありがとうございます。
雑兵を慌てて雇ったのはいいのですが所詮雑兵のみで、武勇誉れ高い島津殿の参加は歓迎いたしますぞ」
「打って出られるとか。
策はどのようなもので?」
島津勝久の質問に俺は策を披露する。
正確には策ですらない事実確認みたいなものなのだが。
「和泉国国衆にそれがしの事を思い出してもらうだけで」
「和泉国国衆に告ぐ。
先に出した寝返りの赦免状は未だ有効である。
全て終った後で、それを持って俺の元に来るのならば、俺は寝返りを許そう。
また、最初から味方する場合はその赦免状を俺に差し出せば千貫と引き換える」
堺は中立都市だからあまり長くは居られない。
だが、和泉国国人衆に早馬を飛ばす程度の国の広さが幸いした。
和泉国三十六郷士の国人衆達で動きを止めたのが二十一家。要するに中立というやつだ。
次に、畠山家に加わったり畠山側に立っているのが十二家。
味方についたのは三家である。
樫井の戦いで負けなければ、このあたりの比率も変わったのだろうが仕方がない。
そして、それぞれの代表はこんな感じ。
中立派 沼間清成
畠山派 寺田宗清
三好派 淡輪隆重
中立派に国人衆筆頭の沼間清成がまとめ役になるのはある意味分かる。
畠山派に寺田宗清が動いているのも、かつて俺を攻めた縁もあるからだろう。
淡輪隆重が俺達についたのは、淡輪沖海戦で三好水軍が勝った事が大きい。
そして、彼ら水軍がこちらについた意味が即座に効力を発揮する。
「お久しゅうございます。殿」
「頭を上げてくれ。
苦しい中、よく後詰に来てくれた。
この恩は絶対忘れぬぞ」
淡輪隆重が堺に率いてきた兵は三百。
自領防衛を考えたらギリギリの選択と兵力だったのだろう。
それを俺は忘れるつもりはない。
これで俺の戦力はこんな感じである。
馬廻 五百 大友鎮成
細川勢 五百 細川藤賢
雑兵衆 五百 田原成親
島津勢 二百 島津勝久
和泉衆 三百 淡輪隆重
合計 二千
畠山軍からすると、いつの間にか現れた二千である。
ここで岸和田城が落ちていないのが問題になる。
岸和田城に送った俺の後詰と元の守備兵を合わせたら、四千は詰めている計算になる。
これだけの兵が詰めている城を背後に残して出撃するには、和泉方面にいる畠山軍は兵が少ない。
じゃあ、畠山軍についた大和国人衆と合流すればいいんじゃねと考えるのが普通だが、それでは一手遅れる。
信貴山城の伊丹親興と高屋城の野口冬長が邪魔をするのが目に見えているからだ。
結局、島清興が城を明け渡さなかった時点で、畠山軍への戦の流れが変わった事に気づかなった事がこの状況を生み出している。
だからこそ、畠山軍は罠にハマる。
「出陣!
目指すは、岸和田城!
ゆっくりと、堂々と進軍せよ!!」
華やかに堂々と堺より大友軍二千が出陣する。
岸和田城を囲んでいるのは畠山軍およそ一万。
普通なら負ける戦いである。
「殿が帰ってこられたぞ!
この戦三好の勝利ぞ!」
徹底したプロパガンダ戦。
それが俺の狙った勝ち戦である。
別名ハッタリ作戦とも言う。
「畠山恐れるにたらず!!
大友の仁将の進軍だぞ!!!」
合戦とは賭けの結果。
壺を開けて中を見る瞬間だと俺は思っている。
だからこそ、それまでに何を賭けたかが勝敗に多大な影響を与える。
俺が賭けたのは『大友の仁将』という虚構。
そして、実利の二つだ。
「よく考えてみよ!
大友の殿様は弓引いた我らを寛大に許し、我らに理不尽な命令をしなかったのだぞ!」
「いいのか?
このまま殿が合戦に勝ったら、持っている赦免状はただの赦免状にしかならぬぞ!
今だったら、この赦免状が千貫になるのだぞ!?」
人は物を得るよりも、得た物を失う方に強い感情が働く。
この狙いは現在中立で様子を見ている国人衆達である。
彼らが勝手働きと称してこちらに合流しだしたら、後は勝手に軍勢が膨らんでゆくだろう。
もっとも、それを畠山軍が見逃す訳がない。
「物見より敵発見!
石津川対岸に寺田宗清率いる畠山側国衆との事。
兵数はおよそ三千!!
街道を塞いでおります!」
読み通りだ。
岸和田城の包囲を解かず、俺達を叩ける手勢を最大数出してきやがった。
とはいえ、彼らも己の兵だけが損害を受けたくはないから、必然的に積極的な攻撃をしかけてこない。
さて。
ここからが運だ。
どこか国人衆の一家でも俺達の方に後詰に出てくれたら、この戦は勝てる。
逆に誰も出してくれなかったら、虚構がバレて俺達は負ける。
「?
どうしたの?
八郎?」
「なんでもない」
なんとなくスタイリッシュ遊女の有明を見ていたのがバレて、有明から質問されるが適当にはぐらかす。
あの時は何もできなかったが、今はまだ打てる手がある。打ち続けた仕掛けもある。
しばらくして、戦という壺の目が出た。
「後よりお味方!
『三好家浪人衆が将の一人!相良頼貞!
手勢千人と共に大友殿に加勢いたす!!』」
伝令の声に一気に歓声が広がる陣中。
情けはかけておくものだ。本当に。
見た目でも分かる精強な肥後兵の合流は、はっきりと中立派国人衆が雪崩を打ってこちらにつくきっかけになった。
「伝令!
次々とこちらにお味方したいとの使者が来ております!!」
「前方の畠山側国衆が陣をたたんで後退しようとしていますぞ!」
「相良勢に追撃をお願いしろ!
手柄の第一功として三好殿に報告すると一緒に伝えてやれ!!
集まった国衆は沼間清成と淡輪隆重にまとめさせよ!!」
集まった国衆はおよそ六千。
前に居た畠山側国人衆三千は相良頼貞率いる千の追撃を受けて半分近い損害を出す結果になった。
岸和田城を包囲していた畠山軍は夜陰に紛れて撤退。
俺は増えた兵を率いて堂々と岸和田城に帰還する。
誰がこの国の主であるか見せつけるために。
「おかえりなさいませ。
殿より預かりしこの城をお返しいたします」
「ご苦労だったな。
島清興。
今から筒井に帰っても居場所がなかろう。
先のことだが、三好が勝った場合筒井家への助命嘆願を約束しよう」
「ありがとうございまする!!」
平伏したまま男泣きに泣く島清興。
彼はこの城を手土産に筒井家へ、畠山家に寝返っても良かった。
だからこそ、これだけは島清興に尋ねる。
「一つだけ聞かせてくれ。
寝返っても良かったはずなのに、なぜ寝返らなかった?」
涙を拭いながら島清興は笑顔を作る。
そして、その答えを俺に告げた。
「殿だからでございますよ。
普通の大名は、『寝返っても良い』や『筒井様の助命を嘆願する』なんて言いませぬぞ」
岸和田城帰還から一週間。
畠山軍は和泉国からは撤退したが、大和国方面に戦線を集中したので、圧力はかえって強まっている。
和泉国・河内国が三好家勢力圏に戻ったのはいいが、畠山家本拠地である紀伊国に侵攻できぬ以上、今度はここで集めた兵を別の戦線に送り込まないといけない。
そんな事を考えながら、閨で寝ている裸の有明と果心と小少将を置いて庭に出ると、止まり木に一羽の鷹が止まっていた。
鷹の足に文が結び付けられている。
それを解いて文を読む。
送ったのは本多正行。
つまり松永久秀からの急報。
読む手が震える。
「八郎様。
どうなさいました?」
いつの間にか居る後ろの果心の声に、俺は振り向かずに内容を告げた。
「松永久秀からの急報だ。
淀城の森可成が槇島城に居た堺大樹足利義冬様を急襲。
城は落城し、堺大樹様は命を落とされたそうだ。
これを受けて織田信長は足利義秋を奉じて四万の兵で上洛し洛中を占拠。
軍議の準備を頼む」
果心の足音を聞きながら、俺はため息をつく。
これで三好家は次期将軍の駒を全て失った。
そして、やっと繋がった。
誰が海部友光を煽ったのかが。
紀伊半島に九鬼水軍が来ていた時点でヒントはあったというのに気づかなかった。
足利義秋の暴走はあるだろうが、この争いの根幹を理解して冷徹に三好家の将軍候補の駒を潰していくあたりは、基本戦略がしっかりしていたからに他ならない。
完全にしてやられた。
いや、こっちが史実のイメージに捕らわれすぎていた。
後半の評価が偉大過ぎたので、前半の評価──戦国きっての下克上を成し遂げた男──を見落としていた。
彼にとって見れば、幕府と守護大名化したというか俺がさせた三好家はさぞ簡単に崩せただろう。
何よりも厄介なのが、彼の下には彼をはじめとした超チート武将群が大量に控えている。
最後のトリガーはきっと俺。
俺が畠山軍と戦って京に出向かず、三好家が守りにくい京の放棄を考えていたのを確実に掴んでいたのだろう。
これは、その謀略の鮮やかな帰結。
「やっと確信した。
この一連の仕掛け人は織田信長だ」
石津川合戦
三好軍 大友鎮成
畠山軍 寺田宗清
兵力
三好軍 二千 >> 九千
畠山軍 三千
損害
三好軍 少々
畠山軍 千五百
討死
なし