第二次三好包囲網 その1
土佐での戦闘が回避された結果、畿内からの情報アクセスが一気に流れてくる。
そこから聞こえるのは、三好包囲網による三好家の断末魔だった。
「和泉国で岸和田城を包囲していた畠山軍に対して三好軍が和泉国樫井で攻撃をして大敗。
岸和田城守将一宮成助が討死。
三好軍残存兵力は岸和田城に撤退」
畠山軍一万が岸和田城を包囲していたのだが、その後詰に河内国高屋城より野口冬長の率いる数千の兵が後詰の為に出陣。
畠山軍は包囲を解いて後退、樫井に陣を退いた所を一宮成助が率いる岸和田城兵と共に攻撃をしかけて失敗したらしい。
情報が更に入ってくると、三好軍のミスまで伝わって頭が痛くなる。
岸和田城の守将は一宮成助と島清興の二将だが、一宮成助は阿波国の武将で阿波国で発生した細川真之の謀反で帰れない事で神経が落ち着かないのは仕方ない。
ここで島清興の大和国国人衆出身という経歴が一宮成助の疑心暗鬼を産んだ。
寝返るかもという猜疑心から籠城時に島清興と衝突。
島清興が折れる形になったが、こんな状況で城の防衛なんて出来るわけがなかった。
結局、野口冬長の後詰に合流し畠山軍を叩くことで短期決戦を狙ったのが裏目に出る。
焦りは行動を雑にし、雑な行動はミスに繋がる。
出てきた一宮成助の軍勢に畠山軍土橋種興の手勢が小競り合いで釣り出し合流を阻止して、畠山軍が一宮成助の手勢に襲いかかる。
一宮成助はこの攻撃を跳ね返すが、寡兵によって本陣が手薄になったことを狙われた。
彼が鉄砲で射抜かれた時、彼の周りに馬廻すらいなかったらしい。
一宮勢の崩壊に伴って、後詰の野口勢に裏崩れが発生。
島清興が横槍を入れなかったら、岸和田城は落城していただろう。
この敗戦によって大和方面に兵が回せなくなった為に、京で幕政を差配していた松永久秀は信貴山城と多聞山城の兵に篭城を指示。
このような混乱を大和国国人衆が見逃す訳がなく、筒井順慶を旗頭に筒井城を奪取。
樫井合戦と大和方面の戦線放棄で、三好軍南部戦線は崩壊していたのである。
一方、北部戦線もろくな状況になっていない。
丹波方面は波多野家と荻野家が再度蜂起し三好家側だった横山城に侵攻。
後詰めに来た内藤宗勝が天田郡和久郷で戦い敗北。
三好軍は撤退し横山城は落城。塩見頼勝が討死して丹波の三好家支配が崩壊したのである。
内藤宗勝は討死はしなかったが、丹波方面も敗北した事で三好軍は戦略的選択肢を更に減らされる。
若狭は武田義統と武田信豊の内紛再びとなったが、武田義統が病死した事で実権を握った武田信豊が親三好姿勢で家中掌握に成功するが、隣接する織田領が気になって動けず。
丹後は傀儡にした一色家の一色義定が実権奪回の為に荒木村重に攻撃するも撃退したが、丹波と若狭がこの様なので孤立無援で窮地に立っているのは間違いが無い。
もし、俺が長宗我部元親と手打ちをしなかったら四国も合戦が行われた可能性があり、三好家は包囲網の中で敗北していた可能性もあった。
これを主導した足利義秋の外交力もあるのだろうが、彼が近江矢島御所にいて大和・丹波・紀伊・若狭あたりと連絡がとりやすかったのと、甲賀忍者を用いた連絡を用いたのだろうというのが果心の見立てである。
「足利義秋様を逃亡させた和田惟政殿は甲賀に領地をお持ちとか。
その縁で連絡を持ったのでしょうね。
使い方を心得ております」
「使い方?」
岡本城の閨での睦話である。
休憩中なので生々しい話ではあるが俺も果心も有明も小少将も何もつけていないのはいつもの事だから気にしてはいけない。
「連絡に徹して闇から闇へ。
これならば、大幅に危険が減ります」
なるほど。
襲撃や破壊工作に貴重な忍びを使わずに、確実に必要な事を必要なだけするか。
そこで疑問が湧く。
「待てよ。
ならば、三好殿も忍びを用いていると思うが防げないのか?」
「八郎様がなさったように、伊賀と甲賀両方雇ってしまえば、襲撃者から身を守るような仕事は手を抜かぬでしょう。
ですが、このように見つけにくい間者を連絡役に使った場合、見つけても手を抜く事もあります」
このあたり、功績とも絡んでいる。
貴人襲撃や防衛は誰が見ても確実な大功だが、間者摘発や処分というのはどうしても地味な仕事になりやすい。
しかも、相手は同じ里の忍。
忍者が大名の保護下に居ない理由の一つが分かった。
こういう形でバッティングした場合、処分せざるを得ないからだ。
じゃあ、城を与えて家臣として組み込んでしまえばよいのかというとそれもまた話が変わってくる。
忍者の力の源泉である情報は、彼らが複数の大名に仕えている事からあがる情報を集約する事で作られるからだ。
下手に大名家に組み込んでしまうと、防諜や工作は楽になるが情報収集能力が落ちてしまう。
このあたりを大名はどう解決したかと言うと、毛利元就は瀬戸内航路という巨大流通網から上がる情報があったが為に、忍者を遠慮なく工作や防諜に使ったのである。
逆に、織田信長はその覇道の後半で畿内のほとんどが織田領になった為に、仕える家が無くなった伊賀忍者達は伊賀の乱と共に亡ぼされた。
残念ながら、今の三好家には毛利元就の選択を取る時間的余裕も、織田信長の選択を取る拡大政策も取ることができない。
有明が会話に割り込んでくる。
「私達、この後阿波に行くの?」
「一応そのつもりだ。
安宅殿や三好義興殿と話さねば何処に行くか決められないからな」
既に白井胤治・鹿子木鎮有・内空閑鎮房の三将と率いる兵七百が阿波に向かっている。
俺達の乗船はまだ先なのでこうして爛れた時間を過ごしている。
起き上がった小少将が呟く。
抑揚のない声で。
「阿波はあまり良い思い出がありません」
小少将にとって今の阿波は決して心地よい故郷ではない。
彼女にとっては夫が息子に殺され、息子たちが争う醜い地獄なのだろう。
「そうだな。
浦戸から堺に行く船があるだろうから、そっちに乗ってくれ。
堺の仲屋乾通の屋敷で男と遊んでてくれ」
航路的には、室戸岬を越えた先にある海部城に停泊して、そのまま堺へ行く航路がある。
大陸交易の活発化で俺も一枚噛んだ末次船の大量投入がこの航路を作り上げ、海部城の繁栄の一因になっている。
そのルートに小少将を送ることにした。
「よろしいのですか?」
「その間は二人で我慢するさ」
「政千代殿は使わないので?」
当たり前のように複数戦でないと満足しないように言わないでくれ。小少将よ。
あと果心。目をそらすな。
有明はどうして自慢げな顔していやがる。
「あれ抱くと、戸次鑑連を義父上と呼ぶことになるんだが」
「何か問題でも?」
「人物的には問題がない。
大友の忠臣で間違えることもないだろう。
だからこそ、大友の枠に嫌でもはめられる。
こういう事はできなくなるだろうな」
有能であるがゆえに、いやでも大友家にとって有能な大名に作り変えられる。
それは、俺の意志ではなく大友家の意志で動くという事を意味する。
それが良いか悪いかひとまず置いといて、俺は女たちと再戦をしてこの話を打ち切ることにした。
阿波国は三好家の本拠地というのに、最前線よろしくぴりぴりしていた。
それもそのはず。
発生した細川真之の謀反を不完全な形で鎮圧したからに他ならない。
それでも足利義栄が死んだ為に次期将軍の駒として彼らが抑えていた足利義助の身柄をぜひ奪い返す必要があった。
「良くぞいらっしゃいました。
長宗我部の領内を通っての後詰は領内にも轟いており、皆武勇を褒め称えておりますぞ」
長宗我部との負け戦の後だけあって海部家の歓迎は凄く、城代海部吉清が嬉しそうな顔で俺に感謝の言葉を告げる。
海部友光は俺と同じ準一門ではあるが俺みたいなでっちあげと違って、三好元長の娘をもらって準一門となり阿波南部の旗頭的存在になっている。
海部吉清は海部友光と三好元長の娘の間に生まれた海部家の跡継ぎで、三好の血を引く若武者でもある。
あれ?
海部友光は何処に行ったんだ?
俺の疑念を感じたのか、海部吉清は申し訳なさそうに海部友光の行方を伝えた。
「父は三好長治様を連れて勝瑞城に向かいました」
現在の阿波三好家は三好義賢と篠原長房を同時に失ったために脳死状態に近い。
占領軍として安宅冬康や三好義興が一時的に行政を回復させてはいるが、彼らも領地があるし何より畿内情勢が切迫している。
大急ぎでこの地をまとめて去る必要があった。
で、三好長治を傀儡にして海部友光が阿波一国の差配をすると企んだわけだ。
奈半利川で長宗我部軍に負けたからこその一発逆転を狙ったのだろうな。
俺がどちらかといえば長宗我部よりだと海部友光は知っているから。
海部吉清は気づいていないか、明確な三好一族として振る舞っているからか、そこまでは分からない。
「そうですか。
我らも勝瑞城に向かうつもりです。
短い付き合いになるとは思いますが、いろいろよろしくお願いしたい」
家の家中序列というのは、血の有無で位階が変わるが、それは三好家でも変わりはない。
このあたりはヤのつく自由業を参考というかあっちがこれを真似したと言ったほうが正しい。
日本における清く正しい最強最凶の共同体システム、武家の説明を軽く触れておこう。
ヤのつく自由業は盃によって縁を作るが、武家はこれを血によって行う。
ヤのつく自由業ちっくに言うと、海部友光は先代から盃をもらった舎弟という事になり、俺は当代三好長慶から盃をもらった舎弟という訳だ。
で、ここからが少し違って、血が入って一門になると家の継承権が入る。
合戦が常態化して当主と言えども討死が当たり前だからこその家の存続策と言えよう。
海部吉清は、三好吉清となって阿波三好家を継ぐ資格と可能性が末端とは言えあるという訳だ。
もちろん、その場合は複雑怪奇な一門衆・外様・国人衆の政治ゲームを勝ち抜く必要があるのだが。
なお、三好家だからこそ気楽に説明できるが、これを大友家にはめるととたんに楽しい事になる。
俺自身は舎弟だと思っているが、大友家の方は俺を若頭補佐として扱っているあたり認識のズレが激しい。
話がそれた。
「こちらこそ。
阿波の南はしっかり守りますので、三好の危機を救ってくだされ」
その言葉を噛みしめるのは数日後。
俺達が勝瑞城に入った時だった。
吉野川河口近くまで来ると何か煙が上がっている。
明らかに合戦が行われていた。
こちらの帆の家紋を見て、先に阿波入りさせていた白井胤治・鹿子木鎮有・内空閑鎮房の三将が完全武装で出迎える。
他の船で着いた大鶴宗秋以下も状況がわからないが慌てて合戦準備にとりかかる。
「何があった?」
俺の問いかけに答えたのは白井胤治だった。
彼自身信じられないという顔がその事態の異様さを物語っていた。
「はっ。
三好長治殿が海部友光殿の手勢を率いて、守護細川真之様館を急襲。
屋敷は炎上し守護細川真之様は討死に。
館に捕らわれていた平島公方足利義助様の行方は未だ分からず。
安宅冬康殿と三好義興殿は和議破りの謀反として三好長治殿と海部友光殿を断罪。
現在双方の間で合戦が行われております」
ぐらりと視界が揺らぐ。
畿内に行く予定が、完全に阿波で足止めを食らった事をいやでも悟ったからだ。
「合戦に加勢する。
準備のでき次第、安宅冬康殿と三好義興殿にお味方すると伝えよ。
それまでは港を守れ」
「はっ!」
三将が去るのと同時に鎧姿の大鶴宗秋がこの船にやってくる。
「吉弘鎮理と小野鎮幸の戦準備終了。
佐伯鎮忠の馬廻はそろそろ準備が終わるとの事。
浪人衆はもうしばらく時間がかかるでしょうな」
予想通りだが、こういう突発事態の時に練度や士気の差というのがモロに出る。
三将に言ったのと同じ命を言った後で大鶴宗秋には更に付け加える。
「ここから先の話は漏らすなよ。
煽った人間が居る」
大鶴宗秋と顔を近づけてのひそひそ話。
けれど漏らすとやばい内容を俺は大鶴宗秋に語る。
「親の敵討ちをですか?」
「いや。
それを含めて、海部友光に篠原長房になれると煽ったやつが居る。
三好殿の陣に行き、それを三好義興殿に伝えてくれ。
お前の浪人衆はこちらで預かる。
それと、海部友光の首はもらってきてくれ。
長宗我部元親にやって、土佐との争いを終わらせる」
「承知」
あまりにやばい話なので、普通の使者には任せられない仕事である。
この偶発事態に即座に利益を確保しようと策を思いつく俺も、戦国に馴染んだものだと自嘲するのを我慢して大鶴宗秋を見送った。
「教えなくてよかったなぁ……」
船縁に手を置いて吉野川を眺めてたそがれる。
背後から合戦の鬨の声が聞こえるが、正直どうでもいいと思った。
長宗我部元親よ。
お前はたしかに戦国時代に歴史を残すチート武将の一人だが、謀将としては二流だな。
だって、騙し討ちとはいえ、自分で手を汚すんだから。
本物の一流の謀将──例えば毛利元就みたいな──は自分の手を汚さない。
本当に殺したい敵は、自分の手ではなく、敵の味方に殺させるんだよ。
そんな事を長宗我部元親に教えなくて良かったと思いつつ、ここまで綺麗に足止め以下複数の効果を叩き出してくれた謀将相手に俺は黄昏れることしかできなかった。
なお、合戦は夕方までには終わり、三好長治と海部友光は討ち取られ足利義助は行方不明。
三好家は貴重な時間と大義名分が失われた事を嫌でも悟らざるを得なかった。
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