外交の時間 その3
「入田義実。
お呼びにより参上いたしました」
「すまないな。呼び出して。
領地の方は問題はないか?」
新領地の統治に忙しいだろう入田義実を呼び出したのは、肥後絡みの話を聞く為だ。
具体的には阿蘇家の。
俺は入田義実に隈部親永の文を渡す。
「肥後の状況が芳しくない。
こちらが打てる手は限られるが、出さぬわけにもいかぬ。
阿蘇家の話をしてくれると助かる」
俺の頼みを聞いて入田義実の顔が歪む。
直接的には、父親である入田親誠を討ったのが彼の嫁の実家である阿蘇家だったのだから。
「あの家は信じてはなりませぬぞ。
信じれば、こちらが損を見申す」
「大友より信用できぬか?」
我ながらすれすれの質問を投げたが入田義実は吐き捨てるように言い切った。
たっぷりと恨みを込めて。
「その通りにて。
最初より見捨てたのであればまだ筋はあり申す。
ですが、あの家は受け入れた上で我が父を討ったのですぞ」
実に生々しい話だ。
なお、この話と俺の父こと菊池義武に絡む武将があの戸次鑑連だったりする。
大友二階崩れ時に彼は入田家から来た嫁を離縁して討伐に出てその功績をあげた。
だまし討ちに近い菊池義武の最後を看取ったものも彼である。
「そもそも、あの家は乱れた結果菊池家と繋がったのでございますぞ」
面倒だが解説タイムだ。
阿蘇家は阿蘇神社の宮司から始まった土着勢力で、その信仰を背景に大名化したという宗像家に近い性質を持つ。
その為、その力を嫌った平家やその後の鎌倉幕府こと北条氏という時の中央勢力の介入を受けて源平時は源氏側に、南北朝時には南朝側についた。
菊池家との縁はこのあたりから始まっており、この時に阿蘇家では北朝側と南朝側に分裂し激しく争い、菊池家の介入を招いてしまう。
南朝全盛期はそれで良かったが、北朝こと幕府側が盛り返して南北朝統一という形で北朝が勝利した後に阿蘇家に残ったのは、分裂した一族と家臣団だった。
この阿蘇家の分裂はついに戦国時代に入っても戻る事ができず、菊池家と相良家を巻き込んだ大規模合戦に発展。
馬門原合戦と呼ばれたこの戦いは、菊池家対阿蘇・相良連合で行われて菊池家が大敗。
菊池家没落のきっかけとなるのだが、それでも阿蘇の内紛は収まる気配はなかった。
南北朝時代からの宿敵である大友家が介入したからである。
正確には、菊池家の弱体化の推進に阿蘇家を取り込んだといった方が正しい。
この時に担がれた神輿が阿蘇惟長。
後に名前を菊池武経にして肥後守護菊池家の乗っ取りに成功……しなかった。
まぁ、菊池家と阿蘇家の合体なんて大友家が許す訳もなく、菊池武経は最後ではしごを外される形で出奔。
実家の阿蘇家に帰ることになる。
なお、菊池家の家督は詫摩氏の出である菊池武包が継ぐが、彼も所詮大友家にとっては捨て駒でしかなく、菊池義武の菊池家相続に伴い最終的には粛清される。
その粛清に一役買ったのが大友側についた阿蘇家というのだから世も末である。
話がそれた。
さて菊池武経こと阿蘇惟長だが、このままで終わる男ではなかった。
菊池家を継ぐ際に阿蘇家の家督は弟の阿蘇惟豊が継いでいた。
かくして、兄弟間で始まる盛大な内紛だが、菊池家は父こと菊池義武が大友からの独立を企み、相良家も下克上をなし得た後だから体制が固まっていない。
こうして阿蘇・菊池・相良の婚姻同盟が結ばれて、それぞれの家の中でのお家騒動が発生する訳だ。
簡潔に言うとこの婚姻同盟は機能はしたが、結局は全て失敗に終わる。
数度の内紛と粛清を乗り越えた大友家の介入堅持姿勢と、その大友家につき続けた阿蘇家の絶妙なバランス感覚と、それを実現してみせた阿蘇家家老甲斐親直のおかげである。
「つまり、阿蘇家というよりも甲斐親直の動向に気をつけろと?」
俺の確認に入田義実は真顔で言い切る。
だからこそ、その言葉が嘘でないと知る。
「おそらくは、我が父を討つように進言したのはかの御仁かと」
阿蘇家内紛で阿蘇惟豊が勝者となったのも日向国高千穂に領地を持っていた甲斐一族が助けたのが大きい。
なお、阿蘇惟豊は門司合戦前後に亡くなり子の阿蘇惟将が継いだが、甲斐親直は宿老として今でも阿蘇家を守っていた。
「それを踏まえた上でだ。
甲斐親直はどう動くと思う?」
俺の質問に入田義実は少し考えて答えを口にする。
「現状で乱が起こったとしても、大友家との協調姿勢は崩さぬでしょう。
阿蘇家自体の火種は既に消えているから、菊池家再興で乱が起きても阿蘇家は問題なく大友の旗につけるかと」
大友家と同じで阿蘇家も一族を粛清しきった為に体制が安定したともいう。
阿蘇惟長には阿蘇惟前という息子がいたが、数度の合戦の敗退の後歴史の中に消えている。
「つまり、肥後で大きな勢力を持っている、菊池・阿蘇・相良とも火種を抱えていて、相良と阿蘇は火種を消したが菊池がくすぶっていると」
「その見方で間違いはないかと」
大友家はなまじ大領を持っているがゆえにこの手の小回りがきかない。
そこに油をまかれると炎が燃え上がってしまうのは仕方がないと諦めるしか無かった。
「でだ。
どこまで関与すればいいと思う?」
入田義実ははっきりと言い切る。
その答えを。
「関与せぬ事が正解だと」
「ほぅ。
理由を聞こうか」
関与するなという声が出るのは想定外だった。
発生するだろう乱に対してどれぐらいダメージコントロールができるかという形で関与するつもりで、その情報集めの一環として入田義実を呼んだのだから。
だが、入田義実の声に乱れは無い。
「既に田原殿あたりに話をしているのでしょう?
それ以上動くと加判衆とお屋形様の疑念を招きます」
そこは許容リスクとして実は織り込んでいるとはさすがに入田義実には言えない。
それに気づかない入田義実は淡々と続きを話す。
「乱が起こってもそれは九州での出来事。
お屋形様に呼ばれるのでしたら別でしょうが、殿はこの領地を守り、背負う責任があります。
お家大事の心は天晴ですが、殿自身お家の柱である事を忘れないでくだされ」
そう言って平伏する入田義実を見てふと思ってしまう。
大友宗麟は同じように諫言する入田親誠を見ていたのだろう。
そんな彼を討たざるを得なかった心境はどのようなものだったのだろうかと。
「殿。
殿に会いたいという使者の方が」
田中久兵衛の声を聞いて入田義実が頭を上げる。
気づいてみたら、もう次の予定の時間になろうとしていた。
「すまなかったな。
そなたの諫言、忘れないようにしよう」
入田義実は笑って俺の言葉に答えた。
それが言えるのがとても嬉しそうに。
「お気になさいますな。
亡き父と同じく、殿に尽くす所存にて」
「で、相手はどこの誰だ?」
入田義実が下がったのを確認して、田中久兵衛に相手を確認する。
出てきたのはある意味当然で、ある意味厄介極まりない相手だった。
「はっ。
浦上家家臣、小寺官兵衛と名乗っておりますが」
現在中国地方の戦乱は、尼子滅亡に伴う領地のぶん取りあいで毛利と浦上・山名家が激しく争っていた。
毛利側についた武田高信と遺恨がある山名家は伯耆国に侵入を試み、尼子家と関係があった浦上政宗は美作国で尼子家残党を糾合していた。
一時は同じ幕府軍として対尼子戦を共に戦った二将が既に敵味方に分かれるのが戦国時代というものだ。
さて、小寺官兵衛だが、その縁は浦上政宗の次男浦上清宗が小寺職隆の娘と婚姻した事から始まっている。
その流れで浦上政宗の将として美作で活躍し、浦上家若手期待の将として名を轟かせているらしい。
なるほど。
毛利元就と言えども、宇喜多直家と黒田官兵衛のコンビ相手だと分が悪いか。
「で、要件の方は何だと?」
田中久兵衛に確認すると彼もあっさりとそれを口にする。
本交渉ではないという証拠である。
「はっ。
現在浦上家と毛利家が争っているのはご存知かと思いますが、毛利家の背後の大友家と誼を通じておきたいと」
妥当な判断だし、こちらとしても悪くはない提案である。
何しろ肥後で火が出るのは確定しているのだから、毛利の背後を牽制してくれるのは助かるからだ。
小寺官兵衛を部屋に通す。
「備前国浦上家家臣、小寺官兵衛と申します。
大友主計助様にお会い出来ること大変ありがたく存じます」
「楽にしてくれ。
所詮俺は大友一門でしかない一領主に過ぎぬよ。
で、大友に誼を通じたいと聞いたが?」
「はっ。
敵の敵は味方。
共通の敵に当たるは、双方に利があるかと」
ああ。これは確かにチート武将だわ。
立ち居振舞に弁舌の滑らかさ。
ちゃんと双方の利を前提に話を進めてきやがる。
「それは道理だ。
で、たかだか大友一門の一領主に何を頼みたいと?」
小寺官兵衛は笑顔のまますっと目を細めた。
ここからが本題という訳なのだろう。
「出来ることならば、主計助様のお力を借りて、大友家に取次をお願いしたく」
「俺が取り次がなくても、府内に行けば相手はしてくれるだろうに。
わざわざ俺の所に話を通す理由は何だ?」
わざと尋ねるが今頃小寺官兵衛の頭のなかでは俺の評価がどうなっているのやら。
虚像を剥ぐとただの小市民でしかないと思うが。
「この地が一番毛利との戦に近いがゆえに」
なるほど。
後世に残る黒田官兵衛評に『頭が切れすぎる』というのがあったが、たしかに本当だわ。これ。
要するに、大友と浦上の繋ぎが仕事のはずなのだが、俺を対毛利戦に引き込む事で実質的な大友浦上同盟を認知させる腹なのだろう。
彼自身の功績と才能は十二分に分かった。
だからこそ確信する。
今の小寺官兵衛では毛利元就には勝てない。
「なるほど。
話はわかりました。
加判衆の田原親宏殿と田原親賢殿に文を書いておきましょう。
これからの船旅もきついでしょうから、千貫文お渡しいたします。
浦上と大友の好が結ばれることを祈っています」
気づけよ。
人は利だけでなく、欲とか業みたいなものにも動かされるって。
付け届けや根回しをせずに、双方に利があるからとこちらに来たのは間違いではないが正解でもないって事を。
今渡した千貫文は田原親宏と田原親賢に渡せと暗に言っているのには気づいているだろうが、その配分で彼の才能が見えるって事に。
そして、浦上家の致命的弱点に毛利元就は既に気づいているって事を。
「私個人で礼の書状を書きましょう。
で、これは浦上政宗殿に出せばよろしいので?
それとも、浦上宗景殿に出せばよろしいので?」
なお、毛利元就の手は俺よりも早かった。
尼子家残党を糾合して美作国に勢力を拡大しつつある浦上政宗は、その勢力拡大を恐れた浦上宗景に粛清されたという報告が飛び込んできたのはこの会見から一週間後の事である。
なお、その粛清実行犯の名前は宇喜多直家と言うんだって。
浦上家はこの粛清の後激しいお家騒動が勃発して、毛利家に戦線立て直しの時間を与えることになる。
気づけよ。
黒田官兵衛。
瀬戸内水軍に絶大な影響力を持つ毛利家があんたを無事にここに通した時点で、詰んでいるって事に。
ヒットマン宇喜多直家の手を抑えられる将だった黒田官兵衛が離れた事が、格好の粛清チャンスだったって事に。
阿蘇惟長 あそ これなが
菊池武経 きくち たけつね
菊池武包 きくち たけかね
阿蘇惟豊 あそ これとよ
甲斐親直 かい ちかなお
阿蘇惟将 あそ これまさ
小寺官兵衛 こでら かんべえ
浦上清宗 うらがみ きよむね
小寺職隆 こでら もとたか
宇喜多直家 うきた なおいえ