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宴の夜

 事態の機密性から呼ぶ人間は限られる。

 奥の人間である有明・お蝶・果心・明月・井筒女之助に、大鶴宗秋と一万田鑑実、さらに柳川調信がこの席に来ている。

 俺の領地運営の最高意思決定機関がこの奥での話し合いになるが、面子だけ見ると奥偏重を指摘されても仕方ないものがある。

 そして、今回は来ていることを良い事に田原親宏に参加を求めている。

 隈部親永の文を読んだ田原親宏は文を置いてため息をついた。


「田原殿。

 加判衆はこの動き知っていたな?」


「御曹司のご推察のとおり。

 肥後での騒動の芽を摘む事も含まれております。

 それに見事お応えになられた」


 ここでは義父息子ではなく、大友一門衆と加判衆の会話だ。

 だからこそ、お互いの会話の空気がとても冷たい。


「ついでに兄上が謀反を起こした時に俺を粛清でもするか?」


 兄上こと菊池則直は、幼少だった為に相良一族である母と姉である辰若と共に母の実家である肥後の相良晴広に預けられて難を逃れた。

 それが誰に吹き込まれたかは知らないが菊池家再興の為に姿を消したのである。

 物語としては面白いが、巻き込まれるこっちはたまったものではない。

 俺からの核心を突いた一言に座の人間が凍りつく。

 だが、俺の危険球を田原親宏は首を横に振って見送った。


「今、御曹司を討てば南予だけでなく、博多や幕府も敵に回しましょう。

 むしろ、九州にお近づきにならぬようにと釘を刺しに来た次第で」


 どうやら色々やったことが命綱になったという事は確認できた。

 そして、九州に来るなという事は、この謀反を奇貨にするつもりらしい。

 相良家と大友家の関係は官位の件で俺が仲介したり、丸目長恵の押しかけ師事によって好意的中立という感じになっていた。

 それでこの一件を相良家自らが大友家に伝えてきたという経緯らしい。


「どこに居るか勘付いているな?」


「菊池家はこういう時に繋がる縁があります。

 おそらくは島原。

 有馬家を頼ったのではと」


 菊池家の騒動にはよく島原の影があった。

 父である菊池義武も一時島原に逃げているし、数代前の菊池能運や菊池政隆も有馬家より支援を受けていた。

 菊池家というのは筑後と豊後が大友家という大大名の上に九州山地が中央を走っているので、必然的に介入できるのは相良家と有馬家しかない。 

 それが分かっていても田原親宏の一言に俺は頭を抱える。

 今の有馬家は竜造寺家に従属しているからだ。

 この飛び込んだ手札を竜造寺隆信は見逃さないだろう。


「肥前と肥後、双方の戦となると厳しいぞ。

 手は考えているのだろうな?」


 北部九州の覇者となった大友家はその結果として戦略の重心が北に上がってしまっている。

 従来の大友家の戦略は、本国豊後と長く守護を務めた筑後という横線を軸に、肥後を制圧して中九州を抑えて博多や豊前を抑える大内家に対抗するという戦略だった。

 だが、大内家滅亡後に博多と豊前を得た大友家は本国豊後と博多のある筑前防衛に力を注いで、その間にある筑後と豊前にリソースを向けざるを得なかったのである。

 結果として、小原鑑元の乱の後ですら大友家の介入は最小限に留められていたのはそこまで手が回らないという裏返しであり、俺による肥後謀反を極端に恐れたのもここに理由がある。


「肥後は豊後と肥後国衆で。

 肥前は筑後と筑前の兵で。

 豊前は毛利の備えと」


 聞いている限りにおいては理想的な対処のように聞こえる。

 だが、この手のわかりやすい話ほど机上の空論になりやすいのもよくあることだったりする。

 現実をわかりやすく整理したために、見えなくなったりするものが色々あるからだ。


「今度の謀反の仕掛け、毛利が傀儡回しと考えよ。

 豊前のみだと押し切られるぞ」


「御曹司には、この地にて毛利の気を引いてもらいたく」


 元々南予の俺の領地はそのために作られた場所である。 

 毛利の気を引くのは問題は無いが、それがどれだけの兵を引きつけるかは別問題だ。


「毛利の気を引くなら、宇都宮家と組んで河野家と争う事になるだろう。

 出せるのは宇都宮家と合わせて二千が限度だろうな」


 その数に田原親宏の目に失望の色が浮かんだのを見逃さなかった。

 何が言いたいのか分かっているので、俺はその理由を皆に指摘する。


「河野の方を攻めるという事は、伊予灘の方に進むという事だ。

 あの毛利水軍の庭の横を横切るんだ。

 邪魔しに来るに決まっているだろうに」


 そして大事な事だが、毛利水軍が全力出撃できる伊予灘だと大友水軍は数で押し負ける。

 門司城合戦や南予戦役を見れば、数千の兵を背後に上陸させる事が可能と考えるべきだろう。


「それを踏まえて、こっちに引っ張れるのは河野家の兵も含めて五千という所だろう。

 一万田鑑実。

 今の話を頭に入れた上で佐田岬半島を預ける。

 毛利を佐田岬半島より南に進ませるな」


「はっ」


 五千の兵相手なら防衛戦で十分守りきれる事は可能だ。

 宇都宮家に送る兵と合わせてもまだ余力があるのも今後を考えれば悪いことではない。


「で、それぞれの大将はどうなっている?

 ここまで話すのだ。

 ある程度は決まっているのだろう?」


 こっちが軽くカマをかけると田原親宏はあっさりと口を割った。

 大友家において加判衆というのは陣代として周辺の国人衆を束ねる事ができる総大将でもある。

 つまり、お屋形様こと大友宗麟を含めた七人の軍司令官がいるといった方がわかりやすいだろう。


「豊前の抑えはそれがしが。

 筑前は臼杵殿が。

 肥後は戸次殿が出陣する予定でございます」


 現在の大友家にとってまずベストメンバーの出陣である。

 それぞれが当事国の国衆を率いるから最終的にはそれぞれの軍は万を超えるだろう。

 財務状況が改善して、南予戦ぐらいしか大きな戦をしなかった大友家の力がこの動員である。


「危ないな。

 あの毛利元就だぞ。

 あれ相手に全部抑えられるなんて思わないほうがいいだろうよ」


 俺は苦々しそうに顔を歪めながら話を続ける。

 思い出すのは振り回された肥前大乱と、この南予戦役の事。


「特に畿内の動きに何も手が出せないのがきついな。

 今の幕府の混乱がそのまま毛利の利になりかねん」


 たとえば、大内義隆がやったような太宰大弐任官なんてされると、旧大内領である豊前や筑前の国人衆に動揺が走る。

 ヒャッハー全盛な戦国時代だからこそ、争わなくて済む理というのはかなり大事なのだ。

 これをされると、ヒャッハーな国人衆達はこんな問いを突きつけられる訳だ。


Q 九州探題と太宰大弐ってどっちが偉いの?

A 勝った方につけばいいんじゃね?


 この国人衆達のAがすごく困るのだ。

 日和るだけならまだ良い。

 これを理由に裏切りなんてしようものなら、戦の全てがひっくり返る。

 ついでに言うと、大内家を簒奪した形になっている毛利家はそれゆえに大内家の宿痾である博多支配と、尼子打倒を旗印に掲げないとまとまらない構造的欠陥を抱えている。

 毛利義元への箔つけにもうってつけな朝廷官位を狙わない訳がない。


「結局、畿内で睨みを効かせる人間が居る。

 島津殿を送るがそれでも足りんだろうな」


 島津勝久の才能とかではなく、幕府──つまり現政権を牛耳っている三好家──にアクセスする必要がある。

 そんな事ができる人間は一人しか居ない。

 俺だ。


「結局、俺が畿内に出ないとまずいな。

 九州やここは任せる事ができるが、畿内だけは任せる人間が居ない」


 言葉を吐き捨てながらも、その声には俺自身驚くほど張りがあった。

 それは、窮地に陥っている三好長慶を助けることができるという誰にも文句を言わせない理由だという事に気づいたから。


「全ては上陸してくる毛利軍に備えよ。

 毛利が狙うのは博多しか無い。

 肥後の騒動は肥後国衆や相良家や阿蘇家にまかせてしまえ。

 背後で足を引っ張らないだけで十分だ。

 肥前については筑後の国衆に睨みを効かせればそれ以上は動かん。

 こうすれば、戸次殿の手勢をそのまま対毛利に回せる。

 必要なら、お屋形様自ら出てもらってもいいだろう」


 俺がスラスラと対毛利戦術を披露するのに、田原親宏というか周囲の諸将はついてゆけない。

 だから、声を止めたのは俺の事をよく知っている大鶴宗秋だった。


「お待ちを。殿。

 せめてその策の理由をお聞かせくだされ。

 そこまでして、なぜ毛利に怯えねばならぬのですか?」


 大鶴宗秋の言葉に我に返り周囲を見渡すと、見事に俺の言葉が分かっていないのが分かって苦笑する。

 一度頭を冷やそうと女たちに白湯を持ってきてもらうように命じて、その理由を話す事にした。


「なんで毛利をそこまで恐れるかか。

 理由は簡単だ。

 九州に上陸するだろう毛利軍、多分四万を超えるだろうからな」


「!?」

「……四万……」

「いや……まさか……」


 俺の四万という兵数に大鶴宗秋と一万田鑑実と田原親宏のそれぞれがその数に愕然とする。

 門司城合戦で大友と毛利の総兵力を合わせた数より多く、その規模の合戦となると南北朝時代の筑後川合戦まで遡るからだ。


「そういう事だ。

 次の合戦、博多の支配者だけでなく北部九州の覇者を決める大事な戦になるぞ。

 毛利元就が長門国まで出張るかもしれん」


「だからお待ちを!

 どうして毛利元就がそんな大軍を率いてくるのかその理由からお話しくださいませ!」


 今度は一万田鑑実が俺の会話を止める。

 原因と結果を知っている俺からすれば簡単なことだが、現在進行形で歴史に居るという事を時々忘れそうになる。

 有明が珠光茶椀に入れてくれた白湯を飲みながら、俺は更に根本から語る。


「じゃあ、根本から語るか。

 まず毛利家に銭が無いのが最大の理由だ。

 柳川調信。

 今の毛利の証文どうなっている?」


 ちょうどよく柳川調信が来ていたので、彼に話を振る。

 俺のこの理由でピンと来たのは彼しか居ないだろうからだ。

 だからこそ、俺が望む答えを柳川調信は笑いながら口に出してくれる。


「取引『は』されていますよ。

 なにせ天下の大大名毛利様ですからな。

 もっとも、尼子家の証文を掴まされて大損をした商家も居るみたいで。

 取り込んでおきましょう」


「任せる」


 つまりこういう事だ。

 敵国を征服したのはいいがその統治コストは即座に発生するのに、返ってくるリターンとの間には時間がかかるのは俺の南予統治で分かったと思う。

 そのコストは基本大名家が抱えるのだが、石見銀山と瀬戸内海交易利権を抱える大大名毛利家といえども抱えるにはきついものなのだ。

 何しろ数年単位で万の動員をかけた尼子攻めである。

 戦費と褒美と復興でどれぐらいの銭がかかるか、毛利家御用商人の神屋あたりはその借用証文の額に頭を抱えているだろう。

 俺に抱きついて色々な商売に協力してくれているのは、そのあたりのリスクヘッジという側面もある。

 いや、はっきりと言おう。

 毛利元就が俺に肥後で謀反を起こさせて大友家に粛清させるという謀略を放棄したのは、神屋紹策を始めとした博多商人達の圧力があり、だからこそ肥後で騒動を起こす第二の駒として菊池則直に目をつけたと。


「話がそれたな。

 毛利は尼子を滅ぼしたはいいが、その戦費と復興で銭がない。

 そして、無駄に大きくなった毛利家の下には、見限って寝返ったり降伏した旧大内や旧尼子の国衆が大量にいる。

 彼らに褒美をやる土地が無いんだよ」


 俺が統治する南予ですら、残った国人衆の領地は安堵したのだ。

 周防・長門・石見・出雲あたりにどれだけ毛利家の統治が及ばない領土があることか。

 彼ら国人衆の戦費は基本的に大名家は関与しないから、借金問題は爆弾として常に残り続ける。

 俺の統治がうまくいったのは、このあたりの全費用を銭払いで即決決済したのが大きい。


「で、尼子の領地を奪ったがそれでも土地は足りない。

 ならば、奪うしか無いだろう」


 珠光茶椀をお膳に置いて、俺は天井を見上げる。

 蝋燭の薄明かり越しに見える天井しか見えないが、だからこそ独り言のようにその先を語る。


「毛利元就にとっては、最大かつ最後の賭けなんだよ。これは。

 広大な毛利領から集められた四万の兵の大半は旧尼子や旧大内の国衆が中心になるだろうよ。

 勝って、博多を奪えば万々歳。

 負けたとしても、邪魔な国衆を大友が始末してくれる」 


 毛利元就のたちの悪い所はこういう博打においても自分が絶対に損をしないように配慮した上で仕掛けてくる所にある。

 俺でもすでにここまでの勝ち筋が見えているのだから。

 更に俺ですら見えない奥まであるのだろう。

 南予攻めの際に味わった、堺大樹の一件を思い出しながら顔が苦笑しているのが分かる。


「負けたとしても、後継者毛利義元には傷はつかない。

 何しろ新領地の出雲の統治は大名の義務だからな。

 むしろ負けた事で残った一門や譜代は毛利義元に忠誠を誓うだろうよ。

 勝ったら勝ったで、毛利は大内の悲願である博多の支配と尼子の打倒を達成してその武威は天下に轟く事になるだろう。

 全ての功績は毛利義元にやって箔が更に上るという訳だ」


 手が打たれた時点でほぼ負けが無くなっている。

 その広範囲かつ奥深い根回しと策の重層さこそチート爺毛利元就の謀略の本質である。

 そんなのを相手にひたすら割の合わない博打に付き合わないといけないのだから苦笑しかでない。


「まぁ、どっちにしろ子が生まれてからだ。

 それぐらいの時間はあるし稼ぐさ」


 俺の最後の一言にじっとこちらを伺っていた有明が安堵の笑みを見せる。

 今すぐにでも動きたい所だが、この有明の笑顔にはかえられないなと思ったのは、俺も親になったからだろうか。

菊池則直 きくち のりなお

菊池能運 きくち よしゆき

菊池政隆 きくち まさたか


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