内政の時間 その7
何かをする為には銭がかかる。
今度は支出の話をしようと思う。
と言う前に、そもそも俺が九州に帰る前にどれだけ銭を持っていたか報告しておこうと思う。
さて、問題だ。
畿内を支配していた三好政権下で大坂湾淀川琵琶湖河川交易を構築して商業利権を一手に握っていた俺に転がり込んだ銭はどれぐらい?
数え切れないぐらい銭が集まったとだけ言っておこう。
その銭が数えられるまでに消えたのだから、戦ってのがどれほど消費するかを思い知る。
なお、消えた銭だが、南予遠征において働いた水軍衆への褒美や費用に領内復興費用を大友家ではなく俺から出している。
今回蓄えた銭があらかたぶっ飛んだというのはこういう背景がある。
これに佐田岬半島の灯台建設や風車建設、宇和島城建設や城下町整備、水軍衆の再建に商品開発あたりの費用が発生するわけだ。
足りない……という訳ではない。
このあたりのからくりを話そうと思う。
最初に固定経費である人件費について話そう。
まず、領地内の城主のいる城とその領地については除外する。
城主は領内の全権を持ち大名の介入すら排する強力な権限を持つ代償に、領内の維持管理は城主の責任になるからだ。
という訳で、俺が責任を持つ領地は黒瀬城・宇和島城・一之森城の三つで、その石高は三万五千五百石で五公五民で一万七千五百五十石が年間収入になる。
一石=一貫のレートで、ここから人件費を払ってゆく。
大鶴宗秋 三千貫 城代
島津忠康 千貫 奉行
土居清良 千貫 奉行
竹林院実親 千貫 奉行
今城能定 千貫 奉行
佐伯鎮忠 三百貫 馬廻大将
白井胤治 三百貫 足軽大将
桜井武蔵 三百貫 足軽大将
鹿子木鎮有 三百貫 足軽大将
田中久兵衛 百貫 近習・足軽組頭
田原新七郎 五十貫 小姓
この人件費というのは、『これだけ払うから、その払った分で人材雇って仕事しろよ』という意味だ。
もちろん能力があるなら費用をけずって懐にという事もできる。
で、ここで人件費を支払っている連中は奉行や城代などの連中で、それに付随する経費もこみで支払っている。
だから、これ以上の費用が発生すると必然的に俺が証文を書く羽目になる。
こうやって間接的に組織を構築するため、兵は大将を知るが大将の大将を知らずなんて事もよくある。
本能寺の遠因の一つだが、手間はかからない。
これを避けるために、俺の直臣を増やすという選択肢もあるが、俺はあえてこれを放置している。
俺の枷の一つにしているのだ。
この体制だと内部で粛清などが発生した時には、必ず内部の同意が必要になる。
そして、彼らの同意がないと円滑な領地運営ができない。
確実に身を腐らせる権力という毒にはここまで己を律さないといけないのだ。
それでも毒が回るのがこの権力の怖い所だったりするが。
閑話休題。
田中久兵衛と田原新七郎の名前が出たから、せっかくなので彼らのキャリアを見てみよう。
この二人、基本的には俺についているので、俺から給料の支払いをする形になっている。
その為、戦国時代において若年の田原新七郎は小姓、青年となった田中久兵衛は近習という訳だ。
ここからこの二人はルート選択がある。
前戦で活躍しないと出世しない足軽大将コースで、小野鎮幸みたいに馬廻大将を経由して城主というコース。
文官として働いて奉行から城主という田原親賢コースもあるが、武功がないと基本なめられるので最低でも足軽大将ぐらいには出世しないと奉行に転職はできない。
なお、俺の南予統治が回りだしたのは、土居清良をはじめとした奉行衆が『元城主』だったのが大きい。
領地が増えたり、城主がしくじった場合彼ら奉行衆が城主として送り込まれるのだ。
戦国時代の城主は、マルチスキルなゼネラリストになるのが必須だったのである。
それが戦国末期になって戦国大名の規模がでかくなったのでスペシャリストを用いれる環境ができて、彼らの大量投入で天下を奪いかかったのが織田信長という訳だ。
ここまでが表の話。
ここからは奥の話だ。
要するに俺の生活費というやつで、表の費用を支払った残りが九千二百貫。
奥、つまり女たちに払う費用だが、これが意外に高く三千貫ほど払っている。
女たちのおしゃれ費用な訳もなく、果心が雇っているくノ一の費用がここなのだ。
俺の奥は、同規模大名と比べて間違いなく人が少ないが、暗殺などを心配しなくていいのはこの女中連中がほぼくノ一で構成されているのが大きい。
で、残り六千二百貫が一応貯蓄に回る。
さて、領内の支出については説明したが、これでは大規模公共事業の費用どころか領地運営に支障が出るかもと気づいた人はなかなか鋭い。
領地運営時における不足分を補う場合、この時代こんな慣行が当たり前のように行われていた。
賄賂である。
時代劇でよく見るような悪徳商人が代官に賄賂をというのではなく、商人達もしくは庄屋達が集まって金を出す代わりに口も出すという圧力団体に近い。
もちろん、仕事ができるならそれを個人の懐に入れるのも自由だ。
罰せられるのは、仕事ができずにその銭を個人の懐に入れる場合。
大体そういう事をするとほぼ確実に一揆が発生する。
とまぁこんな感じで支出の説明をした訳だが、この賄賂ですら大規模公共事業の費用を賄うことができない。
なお、領内統治の安定化のために、三年間の全領地での年貢免除を布告している。
収入がないのに支出は常に発生しているのだ。
となれば手段は一つしか無い。
借金である。
借金ができる信用があるから巨額の資金を借り入れ、そこから上がる色々な飯の種を見たからこそ、更に信用が積み上がって巨額の資金が借りられる。
そして、決定的な商品投入で、その借金がきれいに償還される。
今の俺の領地は完全に高度成長期に突入していた。
南予遠征における費用を賄ったのが山羊だったら、南予統治で発生した巨額公共事業費を賄ったのはポンプと椎茸と捕鯨である。
これによって、府内商人や博多商人だけでなく堺商人ですら俺の借金の証文を欲しがるようになった。
俺の証文の信用というものもあるが、金を借りた人間に取り立てに行けるというのも密かにメリットになりつつある。
今や金の成る木をバンバン育成中の宇和島へ『借金を取り立てる』という理由で正当に行けるのだ。
これに博多商人が目をつけた。
毛利家支配下にある関門海峡航行の理由に使ったのである。
「毛利のお役人様ですか。
いつもご苦労様です。
これは少ないですが、付け届けでございます。
荷と目的ですか?
目的は、大友主計助様がお借りした借金を取り立てに伊予国宇和島の方へ。
で、空荷だともったいないので、山羊を運んで道中の足しにしようかと。
そんな怖い顔して睨まないでくださいよ。
見てくださいよ。この巨額の証文を。
これが支払われないと、手前ども海に身投げせねばなりませぬ。
毛利のお殿様がこれを払っていただけるのでしたら、手前どもも船を博多に帰すのですがね。
え?行って良いと。
ありがとうこざいます」
こんな感じになっているらしい。
毛利家にしたらいけしゃーしゃーと建前を並べやがってという感じだが、船を止めて博多の商人を敵に回したくはない。
事実、商人たちも俺の借金を返したらという条件をつけて逃げ道を確保している。
毛利元就の事だ。
これで俺の借金を引き受けて大友家との離間策に使うなんて事も考えただろうが、今の毛利家には俺と違って決定的なまでに信用が不足していた。
俺以上の広大な占領地である旧尼子領の統治運営、尼子攻めにおける巨額の戦費返済、毛利義元への円滑な家督継承の為の畿内における朝廷工作などなど。
抱え込みたくても抱え込めない巨額の借金を毛利元就は見逃すしかなかったのである。
だから、金を取り立てに来た商人が、証文以上の賄賂を俺の前に置くなんて笑い話が。
気分はバブル真っ只中の日本企業。
で、銭の運用先に困って土地や美術品に投資してなんて未来を知っているから、そんなものには金をかけずに俺は更にその銭を別の所にかけた。
つまり、前に話した金のなる木に育つ殖産興業にである。
特に、山羊の輸入とポンプと捕鯨は完成しているので投資がどんどんリターンとして返ってくる。
椎茸栽培と水力紡績はまだ研究中だが、その理論の可能性を商人が悟れるから、こちらも莫大な投資資金が流れ込む。
現在、俺の巨額投資は大陸交易に備えての末次船大量建造に移っていた。
日向彦次郎が昔の仲間に声をかけるらしいので、水夫については心配しなくていいらしい。
こんな感じでやっているから、目をつけられて潰されないようにこれらの投資は影に隠れるようにしている。
要するに、仲屋乾通や神屋紹策や島井茂勝の商売という形にして、俺はアイデアと出資分だけ頂くことにしたのだ。
なお、手押しポンプの件が畿内にもバレて、今井宗久をはじめとした堺会合衆もこの仲間に加わることになった。
「八郎!
八郎!!」
仕事をしていたら普段邪魔しない有明が部屋に飛び込んで来る。
目に嬉し涙を浮かべて。
「できたって!
私、赤ちゃんできたって!!」
その後から有明を診た堺大使兼堺の豪商小西家のお抱え医師だった森長意が苦笑して入ってくる。
医書や薬草ビジネスもしていたから彼の派遣はありがたく、博多と堺の医療ノウハウをまとめさせている。
俺が彼の目を見たら、彼もただ微笑んで頷く。
仕事を止めて有明を抱きしめながら、俺の旅が一区切りついたのだとなんとなく思った。
Q で、実際八郎はどれぐらい銭を持っていたの?
A 証文の額だけなら劣化豊臣秀長レベル (豊臣なのがポイント)
高松城水攻めの費用を一人で調達できる程度
森長意 もり ながおき
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少し加筆