南予戦役 その4
西園寺十五将と呼ばれる西園寺家家臣である八幡浜萩森城主宇都宮房綱の石高はおよそ七千八百石。
彼が抱える武者は八十四騎で騎単位だからこれに郎党分をかける事で大体の兵力が割り出せる。
郎党三人なら二百五十二人。
郎党五人なら四百二十人。
一万石で抱えられる兵力の数が大体二百五十人だから、おそらくは郎党三人という辺だろう。
これに領地防衛のために村々から男衆を戦時動員する。
そうなると大体千人ぐらいの戦力を作る事ができる。
これが宇都宮房綱が動かせる戦力というわけだ。
とはいえ、この戦力を全部集中させる訳にはいかない。
弱みを見せれば、他の西園寺領主に攻められかねないのだ。
もっとも、八幡浜を抱える宇都宮家は水軍衆も持っていて、その水軍衆は日振島海戦で大打撃を受けている。
彼が自由に動かせる兵力は、こちらが考えているより少ないのかもしれない。
まぁ、それを考慮に入れなくても、三崎に上陸させた一万田鑑実の千という兵力がいかに凶暴かわかるだろう。
二宮新助は手勢と共に撤退。
山崎城は大友軍の手に落ちたのである。
「さて、ここからが厄介な所だ」
雄城屋敷の広間にての軍議の席で俺が諸将につぶやく。
府内でのんびりしすぎて、
「いつ渡海されるのか!」
の突き上げにそろそろ対処できなくなってきたので、皆を集めての説明会とも言う。
「何を呑気に言っておられるのか!
我らも佐田岬半島に上陸して敵を討ちましょうぞ!!」
戦目付の朽網鑑康が目付なのにハッスルしている。
いや、その気持ちは分からないではないが、残っている連中は俺の戦を知っているので何も言わない。
「兵を上陸させても仕方ないんだよ。
佐田岬半島は海の上に山が出っ張っているようなものでそもそも大兵を展開できない。
それに、上陸したことで既に目的は達成している」
さすがにそれはわかっていなかったらしく他の家臣達もきょとんとした顔を見せる。
という訳で、俺の指はそのまま一条軍と西園寺軍が対峙している天ヶ森城を指差す。
「西園寺家からすれば、背後を突かれたようなものだ。
はやく目の前の一条軍を撃破しないといけない。
一条軍にしても、美味しい所を大友が横取りする不安が増しているだろう。
そうなれば、必然的に合戦に及ぶ」
どたどたと騒がしい足音が聞こえてくる。
入ってきたのは田原新七郎だった。
「たった今、佐伯殿の水軍衆から早船が!
一条軍と西園寺軍が天ヶ森城近くで合戦に及んで、一条軍が大敗!
お味方総崩れだそうです!!」
はい?
具体的な話も入ってきて、後に天ヶ森合戦と呼ばれるこの戦の敗北のきっかけは、なんと十河重存。
彼の婚儀で一条兼定を媒酌人にしたために大友軍が土佐国中村御所に移動。
これだけならまだ良かったのだが、一条兼定が式を仕切れる訳もなく土居宗珊も呼び返した事が悲劇の始まりである。
この時点で一条軍は兵力が二千にまで低下しているのを西園寺軍が察知。
西園寺公広はかき集められる手勢千数百を持って後詰に向かい岩松川を挟んで合戦が発生。
籠城していた天ヶ森城主津島通顕が城から打って出た結果一条勢は総崩れとなって、津野定勝が討死。
率いていた二千の兵の内、常盤城に帰ってきたのは三百も居なかったという。
これを見て降伏した観修寺基詮が再度西園寺家側に寝返ろうとしたが、一部始終を見ていた日振島の吉弘鎮理が上陸して鎮圧し常盤城を占拠。
観修寺基詮は何処かに逃げ去ったという。
なお、西園寺軍の損害も結構出ているらしく、吉弘鎮理からの報告では未だ常盤城奪還には来ていないらしい。
十河重存と白井胤治の手勢を慌てて常盤城に戻しているが、吉弘鎮理はさらなる後詰を求めていた。
合戦だから勝ち負けは当然あるし、常に勝ち続けられるとも限らないが、これはなかなかひどい負け方だと思う。
「喜べ。
朽網鑑康。
佐田岬半島からではなく常盤城から西園寺を攻めるぞ。
後詰にお前を送るから存分に暴れてこい」
「ありがたき幸せ!」
宇和海の制海権を奪っておいて本当に良かった。
天候次第だが、こうして安心して後詰が送れるのだから。
「雄城長房の手勢は日振島に入ってくれ。
何かあった時の後詰として動いてもらう」
「承知」
これで手元に残るのは小野鎮幸の馬廻衆と大鶴宗秋の手勢合わせて千五百。
一条軍がこうして大敗した以上、府内でのんびりという訳にも行かないだろう。
手早く戦を終わらせる必要があった。
「俺達もそろそろ四国に渡ろう。
馬廻と大鶴宗秋の手勢と共にな」
「で、どちらへ?」
「決まっているだろう。
佐田岬半島の山崎城だ」
天ヶ森合戦の大敗によって一条家の継戦能力が大幅に低下した事で、黒子として動いていた大友家が本気で動き出す。
それにともなって、毛利家も介入をと企んでいるのは容易に想像がつく。
まぁ、毛利家を伊予に介入させる事が目的なので、戦略的にはこちらの目的は達成していると言えなくもない。
ならば、次に狙うのは西園寺家の消耗と毛利家のさらなる深入りだった。
大兵を置いても意味が無いと自分で言った佐田岬半島に上陸したのにはこんな理由がある。
俺という餌を彼らの前に見せつけるためだ。
そして、何かあったら即座に府内に戻れる保険も忘れない。
「城を焼かずに出て行ったのか」
「この城だけでは意味が無いのは分かっているのでしょうな。
我らが上がって城を囲んだ時に向こうから使者を出してきましたよ」
山崎城は小さな支城という事もあって、城に籠もれる人数は百人も居ない。
見張り台と柵で囲まれた場所に屋敷が一つ。
そんな場所に現在二千五百人もの兵員が駐屯しているのだ。
兵の多くは湾に停泊している末次船に滞在させていた。
一万田鑑実の案内を聞きながら、俺は彼に戦況を尋ねる。
「で、次の城は抜けそうか?」
「難しいですな。
敵はこの城、中尾城と言うのですがその城主井上重房が出来人にて」
元々彼の治める三机という場所は寒村で海賊の被害に悩まされていた場所だったらしい。
だが、宇都宮房綱の命で彼がこの地に着くと、海賊討伐と内政の充実に手をつけてちょっとした繁栄を見せていた。
そんな彼なので住民もしっかり掌握しており、下手に攻めたら手を焼くのが目に見える。
「その中尾城ってのは、佐田岬半島の北にあるのか?
南にあるのか?」
「?
……北ですが、それが何か?」
一万田鑑実は首を捻りながら答えたが、この質問はこの佐田岬半島攻略においてものすごく重要な意味を持つ。
北側、つまり伊予灘に面している中尾城は未だ水軍衆が健在なのだ。
無理して落とす必要はない。
「囲んで放置しろ。
領民を使って使者を出せ。
『開城するならそのまま領主の地位を安堵する』と。
その次の城は?」
「長崎城。
城主は得能通明。
城は南です」
理解が早い将は話も早いから助かる。
南側。
つまり宇和海側の西園寺水軍衆は日振島海戦で壊滅させているから、戦力が減っている。
安心して海路で上陸して襲撃できるのだ。
「大鶴宗秋!」
「ここに」
呼ぶ声と共に現れた大鶴宗秋に俺は命令を下す。
演出も戦術なのだ。
「船に乗っている兵を率いて、長崎城を落とせ。
中尾城と同じく領民を使者に仕立てろ。
条件も同じ『開城するならそのまま領主の地位を安堵する』だ。
この城を治めていた二宮新助がどちらかに逃げているはずだ。
彼にも同じ書面を出して領主の地位を安堵してやるから説得しろと伝えるといい」
「気前がよろしゅうございますな」
大鶴宗秋が苦笑するが、一万田鑑実も似たような顔をしている。
領主を追い出さないと自分の領地が増えないからだ。
その理屈は分からないではないが、俺は少しいじわるをする事にした。
「この三つの城合わせて千石無いが欲しいのか?」
「我らはともかく、下の者は領主になるのが憧れなのですよ」
なるほど。
流れて守護代なんてやっている俺などは、生まれでガラスの壁を越えたボンボンという所か。
とはいえ、そんな下の連中も俺の銭で大友家本体が抱え込むことが決まっている。
もう一つの目的である、大友家内部のリストラも順調に進んでいた。
「どうせ毛利とは大戦になる。
その時に功績など立て放題だ。
ならばこんな小城に拘るのも馬鹿馬鹿しいだろう。
西園寺に、毛利に我らは一条と違うという所を見せてやれ!」
「「はっ!」」
翌日。
火山神九郎の末次船五隻に分乗した大鶴宗秋の兵千が、堂々と長崎城の手前にある九町に上陸。
案の定兵が消耗していた得能通明は降伏し開城。
次の日、その降伏を待って一万田鑑実が中尾城に使者を出す。
囲まれた事を明確に悟り、また逃げ込んだ二宮新助の説得もあり彼もまた城を開けた。
長崎城開城によって佐田岬半島の付け根のあたりまで大友軍が進出した事になる。
佐田岬半島をこうもあっさりと抜かれるとは、宇都宮房綱も思っていなかったのだろう。
次の目標は飯森城。
ここを抜けば八幡浜萩森城が視野に入る。
二宮新助に山崎城を返した俺たちは船団を率いてそのまま長崎城前の湾に入る。
休養と再編を終わらせた一万田鑑実と大鶴宗秋の兵は陸路飯森城を目指していた。
「八郎。
八郎に会いたいという使者が来ているわよ」
現在の俺たちは襲撃と暗殺を避けるためにお蝶が仕立てた末次船での生活を余儀なくされている。
寝返りかねない地元領主の領地安堵の代償ではあるが、彼らは天ヶ森合戦の西園寺軍大勝利の報を聞いても寝返りをうってこなかった。
まぁ、大軍勢で駐屯しているから寝返ったら滅ぶという事情もあるが。
有明の言葉に俺が尋ね返す。
「誰だ?」
「伊予国元城主摂津親安様の使いって言っているわよ」
来た。
西園寺十五将の一人で宇都宮房綱と遺恨がある摂津親安が。
石高は四千八百石で、彼は萩ノ森合戦と呼ばれる戦いで父摂津実親を宇都宮房綱に討たれている。
宇都宮房綱の窮地において絶対に手を伸ばしてくると踏んでいた。
「会おう。
せっかくだからあれをするか」
「あれをするの?
してないのに?」
あれである。
鍋島直茂に見破られたあれである。
あれは馬鹿殿を演出するのに実に都合が良いのだ。
今ならハーレムですごい事になるが、多分鍋島直茂なら見破るのだろう。きっと。
しばらくして、俺のいる船に乗り込んできたのは山伏だった。
「摂津親安様の使いで山伏をしている金剛院と申す者。
今回は大友主計助にお目通り願い……」
山伏でも俺の後ろで女四人が裸で寝そべっていると気が散るのだろう。
気づけよ。
俺含めて女達が汗一つかいていない事を。
俺や大鶴宗秋がちゃんと着物を着ていることを。
この手の情事をごまかす香とかたいていない事をよぉ。
とはいえ、手を出さないことが確定なので女達がチラリズムで煽る煽る。
いかんいかん。
「……書状は拝見した。
摂津殿がお味方してくれるのはありがたい限り」
「おおっ!
これで大友殿の勝利は間違いございませぬぞ!!」
目の毒なので金剛院はこちらの了解を確認してそそくさと船から出てゆく。
なお前かがみだったのは見ないであげよう。
「八郎様にお聞きしたいのですが、これを見破った者がいるとは本当で?」
一番色気を出していた果心が信じられないという顔で訪ねてくる。
まぁ彼女が居なかった頃の話だが、色仕掛けは大概の男に効くし、有明の遊女スキルを理解しているからそれが効かない男というのが信じられないのだろう。
その時を思い出して大鶴宗秋が苦笑して返事を返す。
「殿共々に叱られ申した。
『兵はいやでも大将を見るもの。これでは戦などできませぬぞ!!』
と。
敵から」
「……はい?」
理解できないという顔をする果心。
それが見れただけでも鍋島直茂という男がすげぇチートであると再認識できる。
明月が脱いだ着物を着ながら苦笑する。
「戦の最中に手を出さないのはこれが理由でしたのね」
「戦の最中に婚儀をあげて大敗した一条の例もあるしな。
あれは半分以上こっちの失敗だが、同じ失敗をするのは馬鹿だろう?」
なお着物を着ても肌色率があまり変わらないのは内緒だ。
で、そんな女達にまじったお蝶がぼやく。
「まさか抱かれる前にこういう事をする事になろうとは……」
「うちに嫁に来るってのはこういう事だ」
「まぁ大変」
お蝶との楽しい掛け合いを咳払い一つで大鶴宗秋が止める。
こちらもそろそろ話を戻すことにした。
「殿。
摂津親安の提案をお受けになるので?」
「受けるわけ無いだろう。
受けたら八幡浜は摂津親安に取られるだろうが。
という訳で、果心。
この書状を萩森城主宇都宮房綱の所に届けてやれ」
嘘はついていない。
大友軍が飯森城を攻撃するのは既定路線だからだ。
その背後を摂津親安が叩くのは歓迎こそすれ、邪魔するつもりは毛頭ない。
ただ、その事を何故か宇都宮房綱は知っていたというだけである。
果心にまかせれば書状がこちらに着くのではなく、使者が宇都宮房綱に捕まってぐらいの工作ができるのがありがたかった。
着物を着た果心が俺に確認する。
「つまり、宇都宮も摂津も滅ぼすと?」
「それは、彼ら次第さ」
その後、摂津親安の内応を知った宇都宮房綱は手勢全てを持って元城の摂津親安を急襲。
攻めてくるとは思わなかった摂津親安は城を捨てて逃亡する羽目になった。
もちろん、その間に大友軍が後詰がなくなった飯森城を落としたのは言うまでもない。
なお、俺の所に来た金剛院という山伏は、宇都宮房綱急襲を知って摂津親安に知らせようとしたが、敵と勘違いした摂津家家臣に誤って射殺されたという。
天ヶ森合戦
一条軍 津野定勝 二千
西園寺軍 西園寺公広 千数百
損害
一条軍 千数百
西園寺軍 数百
討死
一条軍 津野定勝
元城合戦
宇都宮軍 宇都宮房綱 千数百
摂津軍 摂津親安 数百
損害
宇都宮軍 数百
摂津軍 数百
討死
なし
サイコロがいい感じで仕事をする……
井上重房 いのうえ しげふさ
得能通明 とくのう みちあき
摂津親安 せっつ ちかやす
摂津実親 せっつ さねちか