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南予戦役 その3

戦争中なのにやっている事は内政。



 日振島海戦からはや十日。

 相変わらず俺たちは府内の雄城屋敷から動いていない。

 その間何をしていたかというと、戦絡みの支出処理だった。


「しかし多いな。

 よくこれで戦などできたものだ」


「勝てば土地が手に入りますからな。

 それ目当てに借金をする者は後を絶ちませぬ」


 俺が花押を押してぼやくと大鶴宗秋が算盤片手に応じる。

 なんのかんの言っても、俺の家というものは大きくなろうがこのような中小企業的な風景がまだ残っていた。


「それよ。

 今、田中久兵衛にそれを探らせているのだが……戻って来た」


 俺が話題にしようとしたタイミングで田中久兵衛が戻ってくる。

 彼が勘定方として算盤片手に奮闘しなかったら、その仕事が俺や大鶴宗秋に届いてしまう良い例である。


「殿の申し付け通り、府内の商家を回って出陣している連中の借金の額を確認してまいりました。

 酷いものですよ」


 まとめられた帳面を眺めると俺もあまりの酷さに気分が悪くなる。

 そこには自転車操業という名前の不良債権が記載されていたのだから。

 前に話したが、武士は己の領地からの収穫物を商人に売る事で収入を得ている。

 そして、生活必需品もその商人から買うのは言うまでもない。

 問題なのは、この戦国時代はとにかく天候が安定しておらず、収穫物の安定が望めなかったのに生活関連だけでなく戦の費用すら支出する羽目になっていた。

 かくして赤字が発生するが、領地があるのでそこが取られるというか滅ぶまでは食いっぱぐれがないと商人たちも渋々銭を出す。

 だからこそ証文なんてものが発達する訳で、徳政令なんてご破産が歴史に名を刻むことになるわけだ。

 大友家は門司城合戦の後大規模な戦を行っていない。

 そのため多くの領地持ちの領主達はその時期を借金返済に当てていたが、今までの無理がたたって返済が追いついていない。

 ここまではまだいい。

 問題はその下である。

 次男坊や三男坊という家が継げないやつや流れの浪人等だが、彼らこそ戦で一攫千金を狙っているので常時借金を背負っている。

 で、支払いのあてにと占領地での略奪に走るわ、本当に首が回らなくなったら野盗に身を落とすわとろくなことをしない。

 そういう連中で領主側にコネがある輩が今回の戦に集まっていたのである。


「殿が南予で奪うだろう領地に大友家中の特に下の層からの視線はすごいものがありますよ」


 運良く野盗コースに行かなかった田中久兵衛の言葉が重たい。

 彼の場合、スキル持ちのバイトからの正規採用コースという派遣の花道驀進中だから、ああなっていたのは己かもという実感もあるのだろう。


「まぁ、大友だからこれで済んでいるという所だろうな。

 毛利はどれだけ抱え込んでいるのやら……」


 国人領主からの成り上がりで、大内家・尼子家を相手に勝ち残った毛利家の本隊は恐ろしく強い。

 周囲の国人衆の動員と較べて、一門・譜代の指揮する毛利本隊『一文字に三つ星』をつけた連中が強いのは、毛利が負けたら身の破滅という直参家臣を多く抱えているからだ。

 毛利軍が尼子家相手に名城月山富田城を数年がかりで包囲し続けている力の源である。

 この直参家臣--毛利では与力衆と呼んでいる--どこかで聞いたことがないだろうか?

 そう。

 これをやって天下をとる手前にまで行った男が織田信長である。

 このシステムの欠陥はただ一つ。

 支払いが滞れば破綻するので、常に領土拡張を目指さないといけない。


「この辺りの連中、南予で討ち死にしてくれればと思っているのでしょうなぁ」

「その場合、俺の討ち死にもついてくるだろうな。

 家中でもそれを望むやつがいるだろうし」


 大鶴宗秋の皮肉に軽口を返して俺は立ち上がる。

 足を引っ張られるのも癪なので、先に手を打つことにしよう。


「どちらへ?」

「大友館に顔を出してくる。

 討たれぬように恩を売りにな」




 加判衆六人全員が常に府内館に詰めている訳ではない。

 彼らは加判衆である前に己の領地の領主なのである。

 とはいえ、緊急事態が発生した時に誰も居なかったら話にならないので、重大案件以外は大体二人ぐらいが常に館で政務についている。

 その二人も、加判衆の嫡男や加判衆を引退した者などであれば代理が認められていた。

 俺が仲屋乾通を連れて顔を出すと、吉岡長増と志賀親守の代理という事で長男志賀親度が詰めていた。


「おや。御曹司。

 何用で?」


 好々爺の顔で俺に尋ねる吉岡長増。

 加判衆から退いたはずなのだが、府内に近い鶴崎城主で息子吉岡鑑興に城を任せているので、当たり前のように彼はこの詰所にて茶を飲んでいる。

 大友家中における影響力を未だ保持している証拠で、それを誇示しないからこそいままでその地位を保っているのだろう。


「南予がらみの戦でちと案があってな。

 先にこの帳面を見てくれ」


 仲屋乾通が田中久兵衛にまとめさせた帳面を志賀親度に渡すのを横目で見ながら俺は本題に入る。


「この帳面に記載されている連中は南予の戦に出ているんだが、銭は俺が出すんで連中の借金を加判衆で肩代りしてほしい」


 帳面に記載された金額と俺の提案に吉岡長増の顔は好々爺のまま。

 実に老獪な口調で俺にその真意を尋ねてくる。


「それでは御曹司の丸損ではないですか?」


「尼子が滅びかかっている今、毛利の矛先が博多を向くのは分かるだろう。

 その時、俺が居るとも限らないからな。

 功績を前渡ししておこうと言う訳だ」


 帳面に記載されている人間の数はおよそ二千人。

 借金の額は四千貫ほどである。

 抱え込めない額ではないがこれを加判衆連盟、つまり大名直参にする事に意味がある。


「肥前の時はしくじったが、何かあった時に即座に動かせる兵は必ず必要になる。

 二千ならば一合戦はできる戦力だし、抱え込めないほど大友の家も傾いているとも思えんしな。

 毛利との合戦の後で補充は必要だろうからそこから引き抜けばいい」


「御曹司が陣代をするとばかり思っていましたが?」


「その時俺が九州にいたら、毛利の流言に踊らされて謀反を起こすか、殺されているだろうよ。

 少なくとも、毛利の戦の最初は絡めぬ」


 再三再四毛利に怯えるオオカミ少年と化した俺のぼやきに吉岡長増も苦笑するしか無い。

 この二千を率いるのは陣代として出る加判衆の誰かになるので、その兵力が二千増えることを意味するからだ。

 戦において予備兵力の増加を喜ぶ大将はいるが、減少を喜ぶ大将は居ない。


「それに、畿内がちときな臭くなっている。

 南予の戦は放り出すつもりはないが、確実に三好から呼ばれると思うから覚悟してくれ」


「御曹司の厚遇は嬉しいのですが……なんとも言えませぬなぁ」


 畿内のきな臭さというのは博多商人経由で入った情報で、



「幕府将軍足利義栄が病に倒れる」



という急報だったのである。

 足利義輝の討死からはじまった幕府の混乱は足利義栄という傀儡を仕立てることで畿内は三好政権継続を選んだように見えるが、その静寂は長くは続かないと俺は確信していた。

 九州帰還時において、果心を使って雇った忍者をはじめとした間者への命令が、必ず出てくるであろう『織田信長の動向』だったのだから。

 このチャンスを逃す織田信長ではないだろう。

 そして、そんな織田信長を三好長慶はしっかりと認識しているはずである。

 俺の帰還後に織田信長は越前にて朝倉景鏡と朝倉景恒と堀江景忠の代理戦争という形で一向一揆勢との戦に突入。

 一揆勢の勢いは激しく、朝倉景鏡に和田貞秀と中島豊後守が討死。

 織田信治が城を捨てて逃げる事になった中、木下秀吉と朝倉景恒と明智光秀が奮戦してなんとか越前に踏みとどまっていた。

 これに呼応して伊勢国長島や近江国で一向一揆が一斉蜂起。

 その対処に追われたが、織田信長はこういう時に優先順位を間違えない。

 三河国徳川家康との婚姻による同盟強化と、第五次川中島合戦で弱体化した甲斐国武田家とも婚姻同盟を結んで東を安全にすると、幕府と朝廷に働きかけて石山本願寺に仲裁を依頼。

 形ばかりの仲裁案を出してもらった上で、それに一揆勢が従わぬという論理で一揆勢鎮圧に乗り出す。

 その兵力は長島に警戒の兵をおきながらも四万。

 最初は同盟国浅井家の支援と徳川家の後詰を受けながら近江の一揆衆を潰して京までの街道を確保し、返す刀で越前に侵入。

 若狭後詰で貸しがある若狭武田家も織田側に立って支援をした結果、九頭竜川周辺で一向一揆勢十万と戦い七万を討ち取るという大勝利に終わったという。

 もっとも織田軍も無事ではなく、織田・徳川・浅井・若狭武田の連合軍で六万の兵力のうち二万近い兵を失ったと聞く。

 この手の数字は盛られているからどこまでが本当か分からないけど、織田家が勝って越前をはじめとした領国から一向一揆を追い払ったのが大事だ。

 それでも一向一揆本体である石山本願寺が動かなかったのは、間にある三好が政治的に調整したからに他ならない。

 三好からすれば、一向一揆が全土拡大したら確実に巻き込まれるので、三好長慶の絶妙なバランスで調停したのだろう。

 だが、それをも利用して一撃を持って長島以外の一向宗根拠地を殲滅させる事を望んだ織田信長の鋼鉄の意志が全てを貫いた。

 第二次九頭竜川合戦と呼ばれるであろうこの戦いを俺はこう評価している。

 そして、そんなタイミングでよりにもよって傀儡足利義栄の体調が良くないときた。

 まだ阿波国に足利義助が居るから彼を連れてくるつもりなのだろうが、何が起こるかわからないというのが歴史というものである。

 なお、十河重存が土佐に入った時に三好家側からも新開実綱率いる三好勢五百が後詰に来ていたが、彼は三好義賢の娘を妻にしている三好一門扱いの将である。

 それもあって一条兼定を媒酌人として十河重存の婚儀をあげさせている。

 このあたり、畿内が臭いのではやく帰ってきてくれという無言の圧力に見えるのがまた……

 閑話休題。


「支払いについてはこの仲屋乾通に任せる。

 あとはそっちの好きにしてくれ」


「お待ちを」


 話は終わりと帰ろうとしたら、志賀親度から声がかかる。

 顔を見ると良い話でも悪い話でもない疑問という顔で彼は俺に尋ねた。


「御曹司が真名野長者よろしく分限者なのは知っておりますが、その銭はどうやって生まれているのか?

 兵二千の寄子ともなるとさすがに好きにしろと言われても……」


 真名野長者とはこの豊後に伝わる長者伝説で別名炭焼長者とも言う。

 その長者が作ったと言われるのが臼杵石仏である。

 まさか真名野長者に例えられるとは思わなかったので、俺は苦笑するしか無い。


「せっかくだ。

 ちと仲屋乾通や島井茂勝と組んで面白いことをしようと思っている。

 良かったら見に来るか?」




 で、やって来たのは大野川の川辺。

 そこに仮設で作った水車小屋があった。


「入ってみるといい。

 俺の銭の種の一つだ」


「こ、これは……」


 志賀親度と当たり前のようについて来た吉岡長増が絶句する。

 水車に連動して回っているのは糸車。

 この水車は水力紡績機なのだから。


「あいにくまだうまくいってなくてな。

 このあたりは仲屋乾通と島井茂勝が博多や大陸から連れてくる職人待ちなんだよな。

 まぁ、絶句してくれたという事は、これが銭を生むという事は分かったのだろう?

 山羊や羊の毛から作る糸用のものさ。

 本格的に稼働するのにはもう少し時間がかかるだろうがな」


 仲屋乾通と島井茂勝に話して全力で乗ってきた上に、豊後における俺の証文支払い全面保証をしたのがこの水力紡績機だ。

 衣食住という人の生活に欠かせないものの中で、衣というのは消耗が激しく常に問題になっていたものである。

 それが戦国末期から江戸初期にかけて木綿が広がることによって、少しずつ改善が始まってゆくのだがひとまずおいておこう。

 この流れに俺が偶然とはいえ羊毛というものを手に入れた。

 ならば、それを使うという理由付けでこのアイデアを実現できる人間に教えればいい。


「この水車を使った糸車は当然川がないと機能しない。

 つまり、この豊後いや府内はこれから天下に轟く糸の布の産地になるぞ!

 炭焼長者ならぬ、糸布長者よ!!」


 博多の泣き所の一つが川が少ないという所。

 その点、府内は大分川と大野川という二つの大河がすぐ側にあった。

 抱え込んでも使えない技術については、さっさと教えて別の所で取り分を得た方が早い。

 試行錯誤と大金の投入がかかる水力紡績機をあっさりとバラしたのにはこんな理由がある。

 遠賀川近辺の猫城でもできるがあそこは毛利軍との主戦場域で、戦火で焼かれたら目も当てられない。

 なお、この流れで俺の取り分はしっかりと確保していたりする。

 一つは、仲屋乾通と島井茂勝による証文支払い全面保証。

 もう一つは、これ絡みだが羊毛は臭いと油分を落とすために茹でる前に洗うのだ。


 石鹸で。


 内政チートを発動するためには、まず需要を確保しなくてはいけない。

 医書と物流と証文取引が俺の収入源だったが、ここに繊維産業が入ろうとしている。

 これが近代なら財閥完成だなと思ったが、誰にも意味が伝わらないだろうから、心の中でつぶやくだけにした。




 南予戦線だが、翌日ついに動く。

 一万田鑑実率いる千の兵が佐田岬半島先端部の三崎に上陸。

 山崎城主二宮新助は、千もの大軍勢では城に篭って防戦できぬと城から退去。

 細長い半島を舞台にした、戦いの幕が切って落とされた。 

志賀親度 しが ちかのり

吉岡鑑興 よしおか あきおき

新開実綱 しんがい さねつな

二宮新助 にのみや しんすけ


1/1 仲屋乾通の名前を追加

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