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けがなくてよかったね

史実だともっと酷いから困る

 府内での戦支度の間に、お屋形様こと大友義鎮に呼ばれる。

 正確にはこちらからアポイントをとったのだが。

 万一南予攻めでまさかが発生したら、大混乱が発生するのは目に見えているからだ。


「新七郎に感謝だな」


 この会見をセッティングしてくれたのは田原親賢で、俺が田原新七郎経由で頼んだのである。

 実際の合戦--と、いっても野盗を蹴散らした程度だが--を知って、少しは侍としての自覚が出たのかもしれん。

 俺自身侍ではないと思っているのでいまいちこのあたりの感覚が分からないが。

 今回は府内館の奥ではなく政務が行われる広間での会見である。

 つまり、この会見は内外に公的に扱われると。


「待たせたな」


「……」


 声が出ない。

 というか、ない。毛が。

 大友義鎮の頭から毛が綺麗になくなっていた。


「どうした?

 何か儂の顔に何かついているのか?」


「ついているかというより、どうなさりました?

 その頭」


 見てみろよ。

 周囲の近習達の顔を。

 露骨に視線を逸らせているじゃないか。


「なに。

 仏の心に触れて出家してみたのよ」


 あっさり言うなよ。

 そんな大事。

 なるほど。

 病気あたりの噂を出家で打ち消すつもりか。

 体がやつれたり病で寝込んでも、修行と称してごまかせるからなんだろうなぁ。


「怡雲宗悦殿に宗麟という法名を頂いた。

 これを機に臼杵に隠居城を築いて静かに暮らそうと思ってな」


 ちょっと待て!

 何を言っているこのハゲ。

 出家して俗世から離れるという建前はまあいい。

 だが、政治中枢の府内から離れて臼杵に引きこもるとはどういう事だ!?


「……失礼ですが、政務の方は?」


「何の為に加判衆がいるのだ?

 長寿丸を盛り立ててみせよ」


 実権は握ったままなんだろうが、二元政治になる。

 というか、唯一の一門衆として長寿丸を支えるの俺だよね?

 加判衆はおそらく大友宗麟の指示を受けるが、まだ幼少の長寿丸は府内にて英才教育をという感じか。

 で、その長寿丸と加判衆の橋渡し役が俺という事なのだろうが、これは揉める。

 絶対に揉める。

 ぶっちゃけよう。

 耳川大敗フラグが立ってしまった。

 宗麟の指示の元で政務を行う加判衆が有能で、長寿丸がまだ元服して実務に触れない今ならまだこのシステムは機能する。

 問題は、長寿丸が元服して加判衆との指示が違った場合だ。

 耳川ではそれがモロに出てしまった。

 ついでにこの宗麟の指示ってのが曲者で、臼杵から多分指示を運ぶのは田原親賢になるのだろう。

 うわぁ。

 もうどうにでもなーれ。


「はっ。

 それがし、もう少ししたら南予の戦に出向く所存。

 お屋形様が穏やかに過ごせるように、勝利の報告を臼杵に届けましょうぞ!」


 最後の言葉の語気が強かったのは、決してやけくそではないと思う。

 たぶんきっと。




 大友宗麟との会見後、即座に加判衆の詰め所に足を運ぶ。

 加判衆全員がそろっていて、ちょうどお屋形様の出家について話していた所だった。


「おお。

 御曹司。

 ちょうど良い所へ。

 今、お屋形様にならって皆で出家しようかという話をしていた所よ」


 吉岡長増の話に俺は乗らずに不機嫌そうな顔で俺ははっきりと本題に入った。


「お屋形様のお体はそれほど悪いのか?」


 見事なまでに場が凍る。

 その静寂の中、俺は知っている歴史を思い出し、言われてみればいくつか兆候があったと気づき顔をしかめる。

 大友宗麟の登場は大友二階崩れからで、それ以前の記述は驚くほど少ない。

 この時、宗麟は20歳。

 遅い登場である。

 だが、彼には初陣を飾れる戦がいくつもあったのに、それに参加している記述はない。

 たとえば、大友二階崩れの前年に日田郡では大友義鑑の命で討伐が行われているし、天文15年(1546年)秋月文種の一度目謀反の時は戸次鑑連をはじめ佐伯惟教、臼杵鑑速、吉弘鑑理などの大友諸将が大軍と共に筑前国古処山城を囲んで乱を鎮圧している。

 そこに名目だけの陣代でいいのにそれすら名前が出てこない。

 考えてみれば、門司城合戦も戦には出てきたが本陣を置いたのは豊前松山城。

 合戦場である門司から四里ばかり離れている。

 史実の門司城合戦は毛利軍の勝利に終わり、大友軍は撤退時に田北鑑生が傷を受けて亡くなるなどかなりの損害を出しているが、大友宗麟は戦場から少し離れた所に居たこともあって無事に撤退できたのだろう。

 なお、この戦場より少し離れた所に本陣を置くやり方を大友宗麟は終始貫いている。

 今山合戦では筑後国高良大社に本陣を構え、耳川合戦でも日向国延岡に無鹿という楽園を築こうとした。

 この時は大敗で命からがら逃げ出したらしいが、基本彼は本陣はちゃんと屋根がある建物の施設に置いている。

 そして、大友家滅亡の危機である豊薩合戦では奮闘したが、彼自身は丹生島城に居た。

 雨風がしのげる建物の下だと体力低下が劇的に下がるのは言うまでもない。

 探せばまだある。

 大友二階崩れにその記述が載っていたのだから。

 大友二階崩れ当時、大友宗麟は別府に居た。

 『湯治』の名目でだ。

 湯治。

 湯治は温泉地に長期間滞留して特定の疾病の温泉療養を行う行為だ。

 絶対アリバイなんだろうなーなんて思っていたが、健康な人間がいきなり湯治なんて行ったら怪しまれる訳で。

 疑われないほどには通っていたのだろう。

 いや、通わざるを得なかったのだろう。

 大友宗麟の傅役だった入田親誠が廃嫡に賛同したというのもこうなると怪しい事この上ない。

 俺と大鶴宗秋の例を見れば分かるが、最初につけられた家臣は必然的に筆頭家老になることが決められている。

 そして、傅役についていた後継者がしくじったなら必然的に傅役にもその責任が及ぶ。

 にも関わらず、入田親誠は大友宗麟の廃嫡に賛同した。

 こうなってくると、大友二階崩れも違った側面が見えてくる。

 お飾りの陣代すらできぬ体の弱さが廃嫡理由というある意味当然な真実が。


「大事はない。

 御曹司のおかげで専属の薬師も雇ったゆえ。

 ただ、お疲れになることが多く、体をよく崩されるのです」


 つまり、専属薬師が必要な体なのですね。わかります。

 吉岡長増の説明からなんとなく当たりをつける。

 歴史では大友宗麟はけっこう長生きした。

 だが、現状ではこんな事実が出てきている。

 多分基礎体力がない口で、環境変化に体調を崩しやすい……

 ん?


 これ、ヒキニートが珍しく外で運動して翌日バテたと同じじゃね?


「……」


「御曹司?」


「すまない。

 とにかくお屋形様が大丈夫なのは分かった。

 南予の戦だが、誰の指示を仰げばいいのだ?」


 吉岡長増の声に我に返った俺は一番大事なことを確認する。

 加判衆の命令と大友宗麟の命令が違っていて、指揮系統が混乱するなんて悪夢は味わいたくないからだ。

 それに戸次鑑連は淡々とした声で、俺の不安を一蹴する。


「臼杵のお屋形様の命は書状にして各地に配られるので、我らの加判が絶対に必要になります」


「お屋形様の花押だけ書かれた書状が来た場合はどうする?」


「それをそのまま府内に送ってくだされ。

 事の真偽はこちらで確かめます」


 なんとなく俺の中に違和感が広がる。

 いや、そうじゃないだろう。

 二元体制とか命令のタイムラグとか、まずいというのに何で誰も指摘しない?


「ご心配なさるな。

 此度の出陣は、お屋形様も我らも賛同しての後詰。

 戦は水物ゆえ、大友の為を思うのならば、終わってから説明すれば皆納得しましょうて」


 戸次鑑連の一言に俺ははっきりとその違和感の正体を悟る。

 加判衆にとっても、この半隠居はある意味都合が良いのだ。

 守護大名大友家。

 その実態は国人衆の連合政権に、大名が飾りとして乗っているという虚構。

 それを打破しようとした大友義鑑は大友二階崩れで凶刃に倒れ、大友宗麟も戦国大名としてその権威を確立するのに多くの乱と粛清を行わねばならなかったのだ。

 繰り返して言おう。

 このシステムは加判衆が有能な限りすごく機能する。

 具体的に言うと、臼杵鑑速・吉弘鑑理・吉岡長増・戸次鑑連の四人がとどまっている限り。

 だが、臼杵鑑速・吉弘鑑理・吉岡長増の三人が黄泉路に旅立ち、戸次鑑連が博多防衛のために立花山城に行った事で加判衆が田原親賢の権勢に対抗できなくなる。

 そして、その時には長寿丸は大友義統として元服し、大友宗麟との二元体制はまだ続いている。



……そりゃ、耳川で大敗する訳だ。 



 連合政権であるがゆえに、必然的に政軍とも磨かれる宿将になるがその統制が怪しい事この上ない守護大名。

 大名独裁であるがゆえに、才ある者の抜擢ができ統制も行えるが大名に権限が集中して大名の死によって一気に瓦解する戦国大名。

 どっちがいいかについてはひとまずおいておこう。

 だが、今の大友家というのは、戦国大名の皮をかぶった守護大名であるというのを俺ははっきりと理解したのである。

『大友の姫巫女』の時からこのあたりの記述だけは真っ先に改変したという大友家没落の中核部分。

ここをどう改変するかで大友家の難易度は変わるので注意。


怡雲宗悦 いうん そうえつ


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