使われなかった松本茶碗
亭主にとってうまくいった茶席は片付けの時ほど至福の時間は無い。
一座建立の後に残る余韻を一人楽しむことができるからだ。
高橋鑑種もまた、その余韻を楽しみ片付ける前に使わなかった茶器をあえて置く。
松本茶碗。
青磁松本の名でも知られる最高級茶器の一つで、大内家が所蔵していた一品である。
文治派の相良武任が畿内より買ってきて大内義隆に献上した一品なのだが、その手の買い物をよく思っていない武断派によって彼らは滅びることになった。
「早すぎた……か。
それを今更言うか……俺が……」
茶碗に語り掛ける言葉は過去へ。
彼が主君と仰いだ男、大内義長へ。
最初に大友晴英様を見たのは府内館だった。
南蛮から来た種子島を勝手に触って暴発させて手傷を負われた時だ。
御曹司に傷をつけたとして当時の当主だった大友義鑑様以下加判衆は激高して南蛮人を処罰すると息巻いていたが、それを押し留めたのが晴英様だったのだ。
「父上、母上、どうか泣かないでいただきたい。
私の傷は私の過失なので誰も責めないでいただきたい」
南蛮人を庇っただけでなく、治療に当たろうとした医師や薬師を下げて南蛮人に治療を頼んだのだ。
その甲斐あって、一月後には数針縫った傷は完治したのである。
「何故、南蛮人に治療をお任せになられたので?」
嫡男義鎮様には各家嫡男連中が近習としてつけられている。
次男以下は保険として晴英様の近習に加えられていた。
一万田家次男である俺は気になって仕方なかったので、傷が癒えた晴英様に尋ねてみたくなったのだ。
その答えは俺の予想を超えていた。
「種子島で受けた傷だ。
ならば種子島を知っている彼らも俺と同じ失敗をしているのだろう。
種子島を知らぬ医師を下げたのはこれが理由よ」
屈託なく笑った彼に俺は将の器を見た。
彼の下で働けるならと俺は己を鍛えてその時を待った。
その時は予想外に、そしてあまりにも突然にやってきた。
大友二階崩れ。
大内家の内紛の余波をまともに被った大名交代劇は多くの家の没落を招き、大友義鎮様擁立を主導した父一万田鑑相は加判衆に座るまで出世する。
家の混乱と肥後から豊後侵入を狙った菊池義武を撃退している最中にその急報が府内に伝えられた時、俺は運命を悟る。
大寧寺の変。
大内家嫡流が途絶えたことで陶隆房ら謀反勢は早急に旗頭を擁立する必要に迫られ、大内家の血を引いて大内家猶子だった晴英様に白羽の矢が立ったのである。
俺は晴英様改め大内義長様付きとして一緒に大内家に向かう一員に選ばれた。
既に、俺は筑前の名家高橋家に養子として入ることが決まっており、高橋鑑種の名前での山口入りであった。
この茶碗をもらったのはたしか博多奉行に就く前の時だ。
「商人相手に、名物の一つもなければ話もできぬだろう。
数少ない俺が自由にできるものだ。
持っていけ」
山口に来た義長様の行動は陶隆房らによって徹底的に監視されていた。
傀儡であることは分かっていたので表向きは文句は言わないが、実家である大友家を使ってこのあたりの打開を企んでいなかったと言えば嘘になる。
俺の博多奉行就任はその流れの中にあるもので、筑前・豊前守護代を長く務めていた杉家の粛清という大友家と陶家にとって共通の敵という利があった為だ。
博多奉行として筑前国宝満城に居を構えた俺は精力的に動き、筑前から杉家の影響力排除に成功。
大内家を変えようとした矢先にその凶事は俺の耳に飛び込んできた。
厳島合戦。
義長様を縛りながら守っていた陶晴賢の滅亡は、そのまま義長様の滅亡に直結する。
義長様を助けるために、俺は足掻いて、そして失敗した。
「最初から。
御曹司は早く来過ぎました。
少弐殿を助けるのならば、豊後から万の兵を連れて一月遅く来るべきでした」
分かっていたさ。
お屋形様が、大友義鎮が義長様を最後は見捨てざるを得ないという事は。
大友二階崩れからまだ体制を固めきれていないお屋形様は、父こと一万田鑑相を粛清して大内家との敵対を演出して体制内を外敵で固めざるを得なかったのだ。
父の粛清で一万田家は失脚し、俺の大友家中での影響力は大きく低下する事になった。
それでも義長様を助けるために足掻いたのだ。
先ほどの御曹司のように。
「それはそれ。
終わった後に守護代を堂々と渡してやればよろしい。
下手に関わったが故に、御曹司は足元を見られたのですよ」
そして足元をすくわれた。
実家の影響力が落ちたことで、養子先の高橋家--大蔵一族--からの圧力を受けたのだ。
国衆は己の利害こそ優先する。
周防長門の義長様より、博多こそ優先するべき事項だったのだ。
「まずは最初。
御曹司は己が西国で知られている事を自覚していらっしゃらぬ。
博多に近いという事は、三好周りの話も入っているのですぞ。
帰還している時に何かあったら御曹司が出て来ることは、このあたりの国衆は皆読んでおりましたぞ」
毛利元就は、大友家中の確執を的確に把握していた。
陶晴賢が滅んだ今、大内義長を真剣に助けるのは俺ぐらいしか残っていなかったのを知っていた。
博多での仕事と杉家排除での動きは、寝返った大内家家臣団によって毛利元就に筒抜けだったのだ。
「三好でのご活躍はこちらにも耳に届いております。
仁将と呼ばれ、将兵や民草に優しく、誰もが満足する落とし所を見つけてくる。
竜造寺殿にとってみれば、この時点で勝ったと思ったでしょうな。
全てを賭けて肥前を取りにいっていたのですから。
最後は御曹司が折れると確信していなければ、少弐殿を滅ぼしに行くはずはありませぬとも」
ああ。
そのとおりだ。
全てを賭けて周防長門を奪いに来ていた毛利元就は、大友が九州で妥協する事を確信していた。
「更に、御曹司は守るべきお方を間違えた。
この戦は竜造寺と有馬の戦だったはず。
看板は少弐だろうが、有馬の動向にもっと気を払うべきでした。
博多に居て船も多くあったのですから、有馬に兵を送って備えを固めるだけでも有馬の寝返りは防げたでしょうな」
逃がすことができたならば。
大内家本拠の山口から何かの口実をつけて博多に逃せたのならば、義長様の命は助けられただろう。
それを許す毛利元就ではなかったが。
「少弐殿の扱いも間違っておられた。
看板であるからこそ、最後に持ってくれば良かった。
波多に入られた後でも、博多に、それが無理ならば壱岐に下げるべきでした」
毛利隆元を前に出して大内家の後継を謳っている毛利家から本拠山口を捨てることは、己が大内家正統ではないと認めてしまう事になる。
義長様は死地にて戦うことを強要されたのだ。
「御曹司の帰還時に肥前守護代の件はこちらに流れてきていましたからな。
落とし所はここだと肥前諸侯は即座に理解したでしょう。
守護代の座を狙えるのは三者。
竜造寺、少弐、有馬の三家。
丹坂峠合戦の敗北で有馬は脱落したが、少弐が帰還を狙った事で彼を担いで巻き返しを狙った訳です。
だが、少弐は神輿で終われなかった」
あの時の落とし所は大友晴英として大友家中に戻すという案が既に出ていた。
だからこそ、それを目指していたが小原殿すら生贄にした府内の乱がそれを許さなかった。
「気づいていましたか?
此度の騒動において、松浦にせよ波多にせよ、有馬の養子側に竜造寺が寛大な処置をしていることを。
そして、竜造寺鎮賢殿に有馬義貞の娘が嫁ぐことも決められた。
誰が絵図面を引いたか知りませぬが、見事ですなぁ」
俺の時は逆だった。
府内の乱を糊塗する為に、早急に大粛清をする必要があったのだ。
府内の乱の第一報が届いた時に、大物を生贄にしないと大友家中が割れると直感した。
それは、義長様を助けることができない事を意味する。
「とどめが神代の一件。
神代と竜造寺が揉めればと御曹司は考えたでしょう?
国衆は生まれた土地が全てで、竜造寺殿よろしく野心ある御方もいらっしゃいますが、神代殿みたく土地が戻ればそれで良しみたいな御仁もいらっしゃるのですよ。
竜造寺は神代がそんな国衆である事を長き争いでよく知っていた。
手を出したら火傷するが、手を出さなければ何もしてこないと。
そして、今は守護代の座を得るために少弐を潰さねばならぬ。
神代に手を出して牽制しようとした事で、竜造寺は確信したでしょうな。
『御曹司は肥前に入らぬ』と」
毛利が府内の海路を素通りさせた意味を俺はいやでも理解していた。
一万田の影響力が落ちた今、養子先の大蔵一族を従わせる為には敵討ちという大義名分が必要だった。
そしてそれが府内の乱を糊塗できるという事も都合が良かったのだ。
それが毛利元就の狙いだったのだから。
あれで毛利元就は確信したのだろう。
『大友は周防長門に上がらぬ』と。
「御曹司が太宰府にこられるのも一つの圧力にはなりましょう。
ですが、太宰府からだと波多に上がった少弐殿を助けられなくなる。
助ける素振りを見せ続けるのは大事だったので、それは咎めませぬ。
ですが、少弐殿が波多に上がらなければ、御曹司はもっと選択肢が増えていた事はご理解なさっているのでしょう?」
皮肉なものだ。
己の失敗を伝えるというものは。
「苦いものだな。
敗北の味ってやつは……」
「たっぷり味わって下され。
味わう前に黄泉路に旅立つ者も多くいらっしゃりますからな」
御曹司。
味わって下され。
その敗北の味を。
義長様は味わえなかったのですから。
「誰か。
この文を博多の神屋殿に届けてくれ」
御曹司の行動の一部始終を書いた文は、神屋殿経由で毛利元就の所に行く手筈になっている。
大内の後継を謳っている毛利は、尼子の打倒と博多の確保無くして広大な領土を維持できない。
毛利の九州上陸は約束されたことなのだ。
義長様を見殺しにした大友義鎮を許さない。
義長様に直接手をかけた毛利元就を許すつもりもない。
大友と毛利双方とも潰し合ってその屍を晒せばいい。
その為の駒の一つが八郎様だった。
小原殿を討った時に、娘を連れて我が陣に連れてこられた時を今でも覚えている。
菊池の守り刀を見せて、己の身を武器にしたその手腕にかつての義長様を見たような気がした。
だからこそ、彼を鍛えた。
小原の娘を苦界に落として俺への復讐心を植えつけた。
それに打ち勝ち、小原の娘を身請けした時にこの御方は大名になる器と確信した。
初陣から畿内での活躍まで聞こえてどれほど嬉しかったか分からない。
八郎様を大友家当主に。
そんな誘惑が俺の耳から離れない。
毛利元就はそういう仕掛けで八郎様を使って大友家中を混乱させるだろう。
それに乗ったふりをして、後詰に来た毛利軍の主力をこの九州の地で壊滅させる。
毛利が陶軍を壊滅に追いやった厳島のように。
そして、その時の総大将は八郎様。
大友鎮成様でなければならない。
その時こそ、俺は毛利に寝返った奸臣として討たれる必要がある。
そこまでしてやっと、八郎様の大友家当主の目が出て来る。
使わなかった松本茶碗を手にとって呟く。
「これをお渡しする時はどちらなのでしょうなぁ」
毛利軍に内通するだろう俺を八郎様はどのような顔で見るのか。
その楽しみを茶器と共に箱にしまって、俺は茶室を後にした。
この話が書きたくて冒頭部大加筆をする羽目に……
小説は計画的に書こう。