八方塞がりだから虎穴に入ることにする
戦において勝つか負けるかの簡単な判断がある。
数である。
もちろん万能ではないが、ある程度の説得力を持つのも事実。
この数を集める事ができるか?
ひいては、この数を集めるだけの銭を確保することができるか?
戦というのは、つきつめるとそういう始まる前の準備によっておおよその大勢が決まるものだったりする。
「八郎。
できたわよ」
「すまない。有明」
「できた物を店に渡してくる」
「助かる。七左衛門」
有明の身請けに貯めた銭を吐き出しても、医書というかカルテ集販売によって俺の手元には二人が一生遊んで暮らす程度の銭はあったりする。
だが、こと戦となるとそれで到底足りる訳もない。
薄田七左衛門が本を持ってゆくのを見ながら、俺はなんとなく算盤をはじく。
一番手っ取り早いのは雑兵を雇うことだが、お値段はピンきりで、乱取り--つまり略奪--を許すか許さないかによってその値段が変わってくる。
もちろん、許すほうが値段が安くなるのは言うまでもない。
大雑把な例として、武田家の山本勘助を出そう。
彼は、知行200貫で武田家に最初雇われたがその後加増されて300貫となる。
戦国時代は石高より貫高、つまり銭での説明が多いのだが、要するに300貫の銭を生む『何か』を与えられたと解釈するべきで、その多くは土地だったりする。
当然、御恩には奉公がつく訳で、彼はその貫高に見合う兵を連れて戦に参陣する事が求められる。
これも大雑把だが、そのレートは七貫につき兵一人。
つまり、彼は42人、こういう時は見栄を張るので50人ぐらいを連れて参陣するという訳だ。
で、この300貫だが、今の俺ならば作れない訳ではない。
手持ちの銭に、博多随一の豪商神屋家のコネはそれを可能にしてくれる。
後はこっちに美味しい話を持ってきた火山神九郎とその一党を雇えばいい。
だが、この手には問題も有る。
「どうしたの。八郎。
えらく難しい顔をして」
「世の中はままならんと痛感しているのさ」
その一。
兵を雇うのはいい。
兵を食わせる銭が確保できるか?
現在、全国的に飢饉真っ只中で、兵糧がどこも値上がりしていた。
商都博多とて飢えはないが、稗・粟・蕎麦粉が主食として食卓に並んでおり、米や麦が口にはいるのは少なくなっていたのだ。
50人の兵を食わせ続けるだけの銭を確保できるか?
残念ながら、俺にそこまでの経済力はない。
そのニ。
火山神九郎とその一党そのものが信用できない。
雇い主は俺だが、実際に指揮を取るのは火山神九郎になる。
つまり、銭だけもらって裏切るなんて事が現実問題としてありえるのだ。
対策がない訳ではない。
大友家の戦に組み込んでしまえばいい。
大鶴宗秋あたりに声をかければ、大友家の戦に組み込まれて、支払いについては心配しなくて良いようになるだろう。
もちろん、そうなったら大友家から逃げることはできなくなる。
算盤を置いて俺は横になる。
なんとなく手を伸ばして掴むが何も掴める訳ではない。
人が居ないのだ。
絶対的に信頼できる人が。
たとえば、羽柴秀吉における羽柴秀長のように。
たとえば、徳川家康における鳥居元忠のように。
絶対的に信頼してくれて、こちらが不利でも任務をしてくれる、『死ね』といった時にそのまま死んでくれる人が居ない。
菊池家の生まれだから、肥後に帰ればそんな人は一人や二人見つかるだろう。
また、ある種の人質として過ごした小原鑑元の家臣たちならば、それを頼めたかもしれない。
だが、小原鑑元は謀反の罪を着せられて滅ぼされ、俺は筑前国にて人質生活。
その監視者があの高橋鑑種だ。
神屋紹策や火山神九郎、大鶴宗秋みたいな利害関係者や紐付きは接することができたが、大名や武将が絶対に必要な家臣団形成は徹底的に排除させられていた。
謀反の警戒と大友家に都合のよい傀儡である事を期待されて。
それが現在の八方塞がりに繋がっている。
「なあ。有明。
旅に出ないか?」
「え?
わたしはいいけど、畿内へは行けないんでしょ?」
投げやり気味の俺の声に、意外そうな口調で有明が返事をする。
本当に旅に行けるのかと疑問がっているが、おれもある種の自棄から口調が軽い。
「薄田七左衛門や大鶴宗秋も連れて、高橋鑑種にも声をかけるさ。
肥前あたりをぶらりと」
たとえば、竜造寺隆信における鍋島直茂のように。
自分が殺される仇の顔を、生きている間に拝んでおくというのも悪く無いだろう。
旅の申請だが、思った以上にあっさりと出た。
門司合戦の後背に当たる肥前に、大友一門が使者として出向くという政治的意味を大友家が考慮した結果だろう。
この時期の竜造寺家は、大内家と少弐家の代理戦争の駒から大名としての飛躍をはたそうしていた時期で、前年に勢福寺城で主家筋にあたる少弐冬尚を自害に追い込んで滅ぼし、肥前の有力国人衆である千葉胤頼を攻めている最中だと聞く。
竜造寺家は大内家から毛利家と関係を構築しており、大友家にとって無視できる相手ではない。
とはいえ、お屋形様こと大友義鎮が永禄二年六月に豊前、肥前、筑後三ヶ国の守護職に就任しているから、『何やってんじゃ!われ?』とガンつけるのは可能な訳だ。
門司合戦で手が回らない今だからこそ竜造寺家は大暴れしている訳で、今後の戦略を大友家が考える上で有益と判断したのだろう。
俺と有明、薄田七左衛門と大鶴宗秋の手勢十数人を連れて博多を出発、二日市に到着。
翌日は太宰府により、高橋鑑種の所に挨拶をしておく。
「何かしてくれると思いましたが、竜造寺ですか」
太宰府天満宮の近く、宝満山に作られた宝満城の一室にて二人きり。
笑いながらの第一声が無性に俺を苛つかせるが、我慢して会話を続ける。
こいつは、笑顔を作っていても目はまったく笑っていない。
「大友の役に立つ為に何かしようと思ってな。
初陣ならば、臼杵の城へ行った帰りに果たしたよ」
「それはおめでとうございまする。
ちなみに、襲ったやつらの身元が分かりましたが、お聞きになりますか?」
ドクンとした鼓動に驚くが、俺はあえて平常心を維持する。
意図的にゆっくりと、おちついた口調を作って、なんとか会話を続かせた。
「聞かんよ。
あれはただの野盗だった。
そういう事にしておく。
どうせ探っても、行き着く先は東よ」
あえて、毛利を匂わせることで、有明や高橋鑑種への疑心暗鬼はないと伝える。
それに気づいたからこそ、かれはとても嬉しそうな顔を見せる。
まるで、子の成長を喜ぶ親のように。
なお、目は相変わらず笑ってはいない。
「良き侍にお育ちになられた。
亡きお父上も喜びましょうて」
「で、菊池を再興して大友を滅ぼせと言いかねんな。あの父は。
俺は、お屋形様に弓向けるつもりは毛頭ないぞ」
そう言って、高橋鑑種は一振りの刀を俺に渡す。
真新しい鞘から刀を少し抜き、中がある事を確認して鞘に戻す。
「初陣祝に持っていきなされ。
豊後の刀鍛冶、平鎮教の刀でこの日の為に作らせました」
「ありがたくもらっておこう。
この刀が血で汚れるようなら、その時は負け戦なのだろうが」
「大将が持つ刀なんぞ褒美の為にございます。
くれてやりなされ」
意図的に会話が途切れる。
その沈黙が気持ち悪いがじっと我慢する。
「で、宗像攻めの手勢はこちらで用意しますがいかに?」
切り出してきたのは高橋鑑種だった。
作られた合戦、お膳立てされた勝利、それに伴う嫉妬と疑念、そして操り人形になる俺。
分かっているからこそ、それを断る。
「止めておこう。
城の一つや二つは取れるさ。
だが、水軍衆無くば大島まで逃れる宗像家を滅ぼすことは無理だ」
立身出世、一国一城の主という分かりやすい欲をあえて断ってみせる。
高橋鑑種の眉が少しだけ歪んだ。
「火山神九郎とその一党を使えばよろしいのでは?
奴らは海賊でしょうに」
「で、後詰に毛利が出張ると。
門司だけで手一杯なのに、毛利の水軍衆が暴れる理由を筑前に作るつもりか?
お前の仕事を増やすつもりはないから安心しろ」
また途切れる会話。
互いに目を逸らさない。
長く短い沈黙が続く。
先に口を開いたのは高橋鑑種の方だった。
「あっはっはっはっは。
いやいや。
本当に良くお育ちになられた。
その受け答えはお忘れなさるな。
加判衆の魑魅魍魎どもはそれがしより恐ろしいですぞ」
俺はそれに答えずに、ただ烏帽子親に頭を下げる事で返事をした。
(あんたにとって本当に恐ろしくて悪くて怖いのは大友義鎮じゃないのか?)
そんなつぶやきを心のなかに潜ませて。
高橋鑑種に会った後で原田宿に到着。
ここから先は肥前だ。
高橋鑑種は俺らの一行に重臣の一人である北原鎮久率いる数百の手勢をつけてくれた。
現在、千葉家と竜造寺家の戦が起こっているので、安全のためと政治的恫喝の為なのは言うまでもない。
なお、先に滅ぼした筑紫家は筑前と肥前の境目に領土を持つ為、肥前側にも伝手があったりする。
俺という奇貨を使って現在進行中の戦に介入することもできなくはないのだった。
「物見が戻ってまいりました。
千葉の戦、どうも終わっている様子で」
北原鎮久が残念そうに言う。
肥前は筑後川下流域に当たる九州随一の穀倉地帯で、博多で食べられる食料の多くはこの筑後川産だったりする。
そこに領土を得られるならばとスケベ心を持ったとてバチは当たらないだろう。
「御曹司。
どうなさるおつもりで?」
大鶴宗秋が俺に話を振るが、俺とて具体的な策がある訳ではない。
ただ、八方塞がりの状況だから、俺を殺す顔を拝んでおこうという程度のものなのだ。
「俺達の大義はどうなっている?」
だから、俺は北原鎮久に尋ねる。
北原鎮久は高橋鑑種から教えられたのだろう大義をすらすらと答えた。
「はっ。
肥前国守護大友義鎮様の名代として赴き、肥前の合戦をお屋形様にご報告すると」
つまり、物見という訳だ。
で、門司合戦真っ最中で肥前に火が起こる事を大友家は望まない。
戦をしないという事が、絶対条件な訳だ。
「集めているだろう筑紫の兵もこっちに持ってこい。
戦は起こせない以上、脅しをかけるならば、兵は多いほうがいいだろうよ」
俺の一言に北原鎮久と大鶴宗秋が固まる。
北原鎮久は何でばれたと顔にはっきりと出ているから思わず笑みが溢れるのを我慢する。
「千葉の戦の介入。
お屋形様の名代として参戦し、あわよくば千葉家の領土を頂く。
その大義ついでに俺の初陣もつけるか。
烏帽子親殿の策には感謝するとこの八郎が言っておったと伝えてくだされ」
わざわざ北原鎮久の前で頭を下げる。
頭を下げて丸く収まるならば、いくらでも下げてやる。ただだし。
「とはいえ、竜造寺家の勢いが本物なのもまた事実。
下手につついて大戦になって、門司の戦に影響が出るは下策。
それがしの功績より、大友の家こそ大事にすべき」
「御曹司はそこまでお考えで……!」
北原鎮久は騙されてくれたが、大鶴宗秋はまだ俺に疑いの目を向けている。
火山神九郎から宗像攻めを持ちかけられているのを知っているからだ。
だから、大鶴宗秋には別の言葉をかけてやる事にする。
「それに、小競り合いだが初陣はすませているのでな。
この大鶴宗秋と共に」
あえて北原鎮久に言う事で、大鶴宗秋も疑心顔から苦笑に顔が変わる。
彼とて褒められて嬉しくないわけではないのだ。
「という訳だ。
集めた兵は訓練という形にしてくれ。
俺に兵を率いらせる為としておけば、竜造寺も疑いはすれど手は出せんだろうよ」
「はっ」
こうして、原田宿に集まった兵は高橋家と旧筑紫家を中心におよそ1000。
肥前での戦に十分な影響を与えるだけの兵が集まった翌日、俺は待ち人が来たことを知る。
「八郎。
お客様だって。
竜造寺家家臣鍋島信生って名乗っているわ」
こうして俺は、未来の仇の顔を拝むことになる。
この時期の鍋島直茂は鍋島信生と名乗っていますが、八郎の一人称視点では、鍋島直茂で通します。
山本勘助 やまもと かんすけ
羽柴秀吉 はしば ひでよし
羽柴秀長 はしば ひでなが
徳川家康 とくがわ いえやす
鳥居元忠 とりい もとただ
竜造寺隆信 りゅうそうじ たかのぶ
少弐冬尚 しょうに ふゆなお
千葉胤頼 ちば たねより
北原鎮久 きたはら しげひさ
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