第二戦線
土佐国浦戸到着。
太平洋航路の要衝であるこの港の繁栄は凄いものになっていた。
寄港地として元々栄えていた所に、俺が仕掛けた仕手戦に便乗した長宗我部元親がその儲けをこの港に注ぎこんだからだ。
堺の商家の出店や地元の土蔵の蔵が立ち並び、港には複数の舟が荷を積んだりおろしたりしている。
港に入ると、その街が独特の空気に包まれているのを悟る。
つまり、戦の空気だ。
この街を守る浦戸城に長宗我部元親が待っていた。
近年すごい勢いで土佐を席巻している長宗我部家の実質的な本拠としてこの城は機能しているのだ。
「お久しぶりです。
どうです?この城は?」
奥さんをもらっているはずなのだが、どうみても今の長宗我部元親は侍の服に着られた女子にしか見えない。
女ぶりが上がってどうすると突っ込みたい所をぐっと我慢する。
「いい城じゃないか。
畿内にもこれだけの城はそうは無いぞ」
「貴方が居た岸和田城を除いてですか?」
いや。
楽しそうに笑っているけど、その姿どう見ても新しい服を買って披露している女子にしか見えない。
なんて言うと駄目なのでぐっと堪えて本題に入ることにした。
「戦が近いのか?」
即座に真顔になってこちらに合わせる長宗我部元親。
その憂い顔がまた色っぽい。
「ええ。
今度は南予に一条様の手勢として参加する事に」
俺が離れた後の土佐だが、かなり大きな戦が発生していた。
香美郡夜須の領有権を巡り安芸国虎と争い、長宗我部家が本山家を攻めた時に当時の本拠地だった岡豊城を攻撃しようとしたのである。
この時、安芸国虎は義兄だった一条兼定から援軍を得ようとしたが、一条兼定は大友家と俺の関係からその要請を拒否。
結果、二千の安芸軍は夜須川にて吉田重俊率いる千数百の長宗我部軍と対陣し撤退。
その後も関係が悪化していたのだが、一条兼定の仲介によって和睦が成立する。
「せっかく来てもらった水心を戦に巻き込みたくないですから」
浦戸城への本拠移転はこの一戦で脅威を覚えたかららしい。
本拠の移転は、家臣屋敷の移転も伴うから基本的に何処の大名家も嫌がる。
家臣の屋敷等はひとまず後回しにした形だが、幕府から来た嫁を口実に本拠移転をやってのけた長宗我部元親はやはりチートなのだろう。
「あら。
私知っているんですからね。
時折、酒場で看板娘として働いている事を」
ひょっこりという感じで現れたのは、彼が京からもらってきた正室で名を水心という。
並んでいると、とても仲の良い女友達にしか見えないが、水心のお腹は大きくなっていたり。
やることはやっているのか。
「許してください。
民の声を聞くのは大事なのですから」
「ええ。
分かっていますとも。
でも、帰る時いつもお顔が赤いのはどうしてなのでしょうねぇ?」
「それは、客に勧められて仕方なく……」
これはあれか?
のろけか?
俺は今のろけを見ているのか?
そんな感じで口を閉じていると彼も土佐の人間らしくお酒大好きだった訳で、己の容姿を十二分に自覚していた彼はそのスキルを使ってちょくちょくお酒を船乗り達からねだっていたらしい。
なお、この手の演技指導は井筒女之助から教えてもらったとか。
……無駄な所で無駄にチート使ってんじゃねえ!
というか、うちの男の娘、何ろくでもないことを教えてやがる!!
話がそれた。
「一条殿の手勢という事は、南予の西園寺か?」
「はい」
土佐の最西に位置する一条家にとって、勢力を拡張する方向は一つしか無い。
土佐国人衆がひとまず一条家の権威に従っているので、土佐国内の勢力拡張は無し。
阿波は三好家が抑えている以上、伊予に攻め上がるしか無いのだ。
で、その西園寺家だが、当主西園寺実充が亡くなって西園寺公広があとを継いでいた。
その代替わりにおいて西園寺家中で乱れが発生し、その乱れに一条家がつけこんでという感じである。
「この戦については大友家が裏で動いております」
長宗我部元親の言葉に納得する俺。
臼杵鑑速が言っていた、『一条絡みの功績』が多分これなのだろう。
西園寺家は宇和海の制海権を邪魔するライバルであり、一条家を支援するかたちで介入の名目も立つ。
問題なのはその先だ。
西園寺家侵攻は伊予に戦乱を巻き込む事になる。
伊予の守護大名は河野家だが、そこに大友家は一族から正室を送っていた。
だが、子ができずに亡くなり、毛利家一門衆である宍戸隆家の娘を継室にもらって毛利家と従属的同盟関係を築いていた。
他国からの武家侵攻は守護大名の介入要件に当たる。
つまり、この戦を進めれば必ず毛利が出てくるのだ。
「尼子絡みの支援なんだろうな」
俺はあっさりと種をバラす。
意外というか、ある意味当然というか、門司合戦後に結ばれた大友と毛利の和議はまだ生きている。
これがあるからこそ毛利は尼子に全力で当たれる訳で、大友家としてもせっかく得た平和を毛利との戦いで失いたくはなかったのだ。
その為に、一条家支援なんて搦め手を使う事になる。
史実だと、そろそろ九州で秋月種実が蜂起してそれに毛利が介入するという形で北部九州に大乱が発生する。
尼子の断末魔と博多をめぐる大友と毛利のガチバトルの中、この南予は大友と毛利の第二戦線として機能し、毛利の勝利で終わることになる。
だが、主戦線である北部九州から毛利家は叩き出されるわけで、そういう意味では大友家の戦略的勝利とも言えなくはない。
「大友殿が戻られたのは、この一件絡みで?」
長宗我部元親の声が低くなる。
西日本をまたにかけた大戦の一環であると理解したからに他ならない。
俺も顎に手を置いてうわ言のように呟く。
「分からぬ。
絡もうと思えば絡めるが、呼ばれたのは肥前国絡みだ」
毛利家からすれば、俺という駒をできればこの大戦に絡ませたくないというのは理解できる。
門司城合戦でも畿内でも主戦場に居ないくせに、その主戦場に多大な影響を与えたのが俺なのだから。
明確な第二戦線になる南予戦線に俺が出張った場合、主戦線にどんな影響があるか分かったものじゃないからだ。
なるほど。
何処においても悪さをするならば、一番影響が少なそうな肥前か。
「ならば聞いてみてみればよろしいのでは?」
お椀に冷えた水を持ってきた水心が口を挟む。
このあたり、幕臣の嫁という事で視野が広いし、口を挟む度胸もあるという訳だ。
長宗我部元親は良い嫁をもらったようだ。
「誰にだ?」
俺の問い返しに水心は瓜の漬物を皿に乗せて微笑む。
「大友家の重臣に。
いらっしゃるのでしょう?
臼杵殿は」
「たしかに、一条の戦については、大友が手を貸しております」
来てもらった臼杵鑑速の声にはめずらしく迷いがあった。
長宗我部側に彼の存在が知られていたのは、畿内に行く時にも挨拶していたからで、港に本拠が置かれてから長宗我部家は海路の情報把握が格段に上がっていた。
「声に迷いがあるみたいだが、どうしてだ?」
俺が瓜の漬物を噛みながら尋ねると、臼杵鑑速はその迷いをあっさりと口に出す。
「御曹司にこれ以上功績をあげるべきか迷っておりました」
下手に功績がある一族を抱える大名家の業というものだ。
大友家一族としてだと、俺の領地は猫城周辺で一万石に届かない。
だが、三好家で暴れていた時は和泉国守護代として和泉国一国を差配していたのだ。
動員兵力で表すともっと差が出る。
猫城でまかなえる兵の限界は三百人を超えない。
だが、若狭後詰で俺が指揮した兵力は万を超えていた。
領地から離れて銭払いで雇った連中を使っていた事もあるが、普通の侍ならこう考えるだろう。
「御曹司、絶対不満を持つよな」
と。
実際、三好家からは、
「準一門として和泉守護になってもらいたい」
なんて声が出ているのだ。
これを断り俺の不満を解消させるためには、最低でも万石取りの大名に押し上げないといけないと考えているのだろう。
この手の話は、俺がいくら言った所で周りが曲解するから質が悪い。
なお、与えられた場合猫城周辺が領地になるから、対毛利主戦線最前線確定という地獄コースが待っている。
「何なら、『南伊予切り取り次第で褒美とする』でも構わぬが?」
西園寺領の石高が十万石相当ある。
この相当というのは、米が十万石取れるのではなく、米が十万石買える経済力があるという意味だ。
一条家の戦を手伝い、ある程度の石高を確保できれば猫城の石高と合わせて大名と呼べるだけの領地を確保できる。
だが、それにも臼杵鑑速は渋い顔をした。
「高橋殿が知らせてくれた、肥前情勢が思わしくないのです」
肥前の覇権をめぐっての竜造寺と反竜造寺の対決は、少弐家の帰還の噂が広がって発火しつつあった。
少弐家の背後についているのは、大友家ではあるがこちらも表向きは支援はしていない。
あくまで肥前国人衆の争いという形で表向きは中立を保たないと最後の和議に出てこれないからだ。
肥前国の勢力争いは、竜造寺家が佐賀平野を押さえて頭一つ飛び出ており、それを海上交易によって財を成した松浦・大村・有馬の三家が追っている形になっている。
まだ、頭に肥前守護だった少弐家がいた時期は互いに牽制しあってふらふら生き残っていたのだが、少弐家が滅亡した後に我が大友家が肥前守護職を得るにあたってバトルロイヤルが勃発。
大友の本国が豊後なんで訴えようにも豊後府内まで出向かねばならず、ならば現地で既成事実を積み重ねた方が有利なのだ。
このような本社が離れているので支社が好き勝手というのは、戦国時代あちこちで起こっていたりというか戦国時代の元凶と言ってもいい。
この問題がややこしいことこの上ないのは、この四家バトルロイヤルが推理小説さながらの血縁関係と利権のしっちゃかめっちゃかでもうどろどろになっている所。
簡単にまとめると、血縁政策で養子を駆使して勢力を拡大した有馬に対して、内紛で揉める松浦、間に挟まれて右往左往の大村に、その漁夫の利を得た竜造寺という感じだ。
まず、この四家の経済的特徴を見ておく。
松浦・大村・有馬の三家は水軍持ち、しかも南蛮船までは持っていないが東シナ海で交易する事を前提にしている外洋水軍である。
で、竜造寺は有力な水軍は保持していないが、筑後川河口を押さえている上に、佐賀平野からの莫大な穀物供給によって我が大友家が警戒するに値する戦力を保持している。
肥前の経済活動は、筑後川の水運と佐賀平野の米を松浦・大村・有馬などの水軍によって博多に運び込む事によって成り立っている。
その為、この四家のバトルロイヤルは、『海』の三家と『陸』の竜造寺、『銭』の三家と『米』の竜造寺という対立構図を抱えているのだ。
さて、次は語りたくも無いぐらいにどろどろの血縁関係である。
基本は、有馬の養子政策と竜造寺の漁夫の利。
松浦家は古くは藤原純友の乱に記述があるぐらい古く、源平合戦時や元寇でもその名前を知られる北部九州の水軍(海賊)の連合体だった。
それゆえ、多くの一族・分家を持っていたのだが、長年にわたって内紛と離合集散を繰り返していたのである。
で、その中心になっていた松浦本家は平戸松浦家と相神浦松浦家の間で対立し続けており、肥前守護だった少弐家が健在だった時はその権威を持って辛うじて平穏が保たれていた。
だが、少弐家が竜造寺家によって滅亡させられた事によって、箍が外れて対立が激化。
勢力的に不利を感じていた相神浦松浦家は外部勢力を養子に迎え入れる事で、起死回生を図った。
その養子元が有馬家である。
で、松浦本家はひとまず落ち着いたが、松浦分家も同様に内紛が勃発し、ここにも絡んでくる有馬と竜造寺。
今度の舞台は肥前国日本海側で壱岐国まで絡んだ上松浦一族の中心となった波多家の内紛である。
基本的な構図は松浦本家と同じで、お家争いで不利な勢力側が有馬家から養子をもらったはいいが、本家の内紛が、波多家に誘爆してお家争いが勃発。
松浦家は完全に外に向けて動くことができなくなり、その方面の国人衆の多くは竜造寺になびいてしまったのである。
さて、今度は大村家の話をしよう。
大村家はその位置関係上から、有馬・竜造寺・松浦と陸路ならば必ず狙われる場所に位置し、自勢力も他勢力を押し返すほど強力ではないので、その外交方針は右往左往という状況だったりする。
そして、ここでも出てくる有馬の養子とお家争いと竜造寺の漁夫の利。肥前はこんなのばっかりである。
大雑把にまとめると、有馬家が養子政策で他家乗っ取りを画策し、それに反発したその家の家臣団との間でお家争いが勃発。
反発した連中が頼るのが竜造寺という訳だ。
この展開に有馬家もさすがに焦りだす。
で、竜造寺家を抑えこむ為に少弐家の帰還を全面的に支援していたのである。
少弐家の帰還は既定路線。
そして、少弐・有馬連合軍と竜造寺軍の戦いも目前に迫っていた。
「御曹司は府内にてお屋形様と会っていただき、今までの論功行賞を終わらせないと伊予にせよ肥前にせよ動いてもらうわけにはいきませぬ。
そして、四国と肥前を比べた場合、重要度は肥前の方が高うございます」
このまま伊予の戦に参加すると、溜まりまくった功績が更に上積みされるので、それをリセットする必要があった。
で、その為に府内に行かないといけないが、府内に行ってしまったら第二戦線である南予より、博多の裏側である肥前の火消しに出向けというのはある意味当然の反応だろう。
「長宗我部殿。
一条殿の戦の手勢はどれぐらいか?」
俺の質問に長宗我部元親が凛々しい声で返事をする。
「それがしの手勢が千。
安芸殿の手勢も同じく千。
一条殿は、土居宗珊殿を大将に三千の兵を動かすとの事」
その説明に臼杵鑑速が乗り、大友家の支援内容を告げる。
「大友は、この戦に若林鎮興殿を大将にした水軍衆を動かす事を決めております。
後は、兵糧や銭での支援を」
兵力五千。
西園寺相手に負けない兵力ではあるが勝てる兵力かと言われると不安がある兵力である。
だが、ここで何かをする事はできなかった。
「分かった。
とにかく府内に行ってからだ。
長宗我部殿。
もし、こっちに来れたならばよろしくおねがいしますぞ」
「ええ。
その時はお願いします」
楽しそうな声で長宗我部元親は笑った。
おまけ。
「痛い!
痛い!
痛い!!
ご主人!!!
げんこつグリグリ攻撃はらめぇ!!!」
男の娘大名にろくでもないことを教えた男の娘くノ一は俺のげんこつグリグリ攻撃の後、罰として浦戸滞在中は酒場で働く事を命じた。
なお、当たり前のようにお忍びでやってきた男の娘大名と女中勝負となって、更にスキルが上がったらしい。
肥前情勢は『大友の姫巫女』からの流用。
水心の名前は某戦国カードゲームから。
西園寺実充 さいおんじ さねみつ
西園寺公広 さいおんじ きんひろ
宍戸隆家 ししど たかいえ
藤原純友 ふじわら すみとも