帰還の為の根回し その3
岸和田城から船で帰るつもりだが、堺に寄ったのは情報収集の為だった。
帰る前に毛利の情報は仕入れておく必要があったからだ。
そこで、懐かしい人物と出会う事になる。
ある意味必然的に。
「おお。お久しゅうございますな」
「お坊も元気そうで何よりだ」
かつて博多の神屋屋敷で出会った恵心は前に会った時より老いたように見える。
そんな事を思っていたのが顔に出ていたのか、恵心は俺に向かって笑う。
「お気になさるな。
人はいつかは死ぬもの。
拙僧にもその番は来るという事です。
弟子も居るので、紹介しておきましょう」
今俺達が居るのは堺の今井屋敷。
人の縁というのは本当に深い。
恵心に呼ばれて一人の僧侶が部屋に入ってくる。
「恵瓊と申します。
大友様にはこれからも会うことがあろうかと」
ここの出会いもある意味必然なのだろう。
毛利の外交僧の交代とその交渉役との顔つなぎ。
博多では危なすぎるこの面会も、堺ならばまだ言い逃れられるのだから。
恵瓊を控えさせたまま、恵心は好々爺に笑う。
「冥土に旅立つ前に、学んだ事を寺に残そうと思いましてな。
こうして帰ってきた次第で」
そういって恵心は懐から本を取り出す。
博多で俺が売り続けていたその本を手に彼は言葉を続ける。
「お礼を申しあげてくれと」
「何のだ?」
「医書の事です。
止める事無く流してくれた結果、とある方の病が治りまして」
この展開を想定していたと言えば嘘になる。
医書生産と医者普及の学校は猫城の重大な収入源だ。
その結果として毛利元就の命が助かったというのは、俺にとってはまずいが医書販売には魅力的なCMにもなるのだ。
史実通りならば、毛利元就はまだあと数年は生きる事になる。
それを考えた上で、対策を立てねばならない。
「良かった。
老いて先は長くは無いだろうが、養生するように伝えてくれ」
笑顔の仮面を張り付かせながら、俺は言葉を並べる。
それを伝えてくれたのは謀略なのか善意なのか。
九州において確実に来るだろうこの一件の流言対策をしなければならない。
「天然而死 天然而活 更問如何 喝 大衆珍重」
淡々と呟いたリズムある言葉に寺ぐらし経験のある俺と恵瓊が身を正す。
高僧のその手の言葉に意味が無い訳がない。
それは、恵瓊だけでなく俺にも与えられた言葉なのだろう。
「天然に死んでゆく。
天然に生きてゆく。
問いましょう。
この天然とは何でしょうな?」
前半部はそんな意味合いの言葉だ。
ああ。
このお坊は、博多での出会いからこんな言葉を俺にくれるのか。
自分が何者であるか分からない俺に。
だからこそ、最後の喝からの言葉が大事になってくる。
「大衆を大事にしなされ。
あなたのありのままの姿を映してくれるでしょう」
元々は道元禅師の言葉『大衆久立、伏惟珍重』の略語かなとも思ったが、俺はこう解釈した。
おそらく、恵心とはもう二度と会うことは無いだろう。
そんな事を笑顔の裏で考えつつ、俺はお坊との歓談を楽しんだ。
「この城のすべてを島清興に任せる」
「はっ」
畿内最後の仕事がこの岸和田城の件だ。
最悪帰って来れなくなる可能性もあるので、留守役の島清興に城代として全部任せる事にする。
俺の留守の間は守護細川藤賢を傀儡として、阿波から一宮成助がやってくる事になっている。
彼は小笠原一族で三好長慶の妹を妻にしている明確な準一門であり、実務を行うのは彼の仕事になるだろう。
彼がこの城についた後は彼の下で働く事になるだろう。
「何ならば、城主になってみるか?」
半分本気の俺の誘いを島清興は首を横に振る事で断る。
「あくまで我らは大和の人間。
今のままなら、我らが大和に帰れる日も近いかと」
松永久秀が京で政務を担当する事になり、彼が担当していた大和攻略が大幅に遅れていた。
京の政務と弟内藤宗勝が担当する丹波情勢の支援を考えると勝竜寺城から動けず、国替えをするかもと本人から聞いている。
広がりきった三好家は大和方面に完全に手が回らなくなっていた証拠である。
で、興福寺門徒を代表する筒井家を守護代にという構想が浮かびつつあった。
その一方で、阿波国人衆の有力家を手薄な和泉国や大和国へ国替えさせようという動きも始まっていた。
その有力候補が篠原長房だったのだが、彼が阿波国守護代になった為に次点の一宮成助がこっちにやってくるというのが裏事情である。
四国を盤石にし、かつ畿内に三好家の有力諸家を配置する計画はまだ始まったばかり。
その駒として期待されている俺の九州帰国が三好家の戦略に波紋を広げているのを俺は否応なく思い知った。
「元気そうで何よりだ」
「お変わりなくと言いたかったのですが、少しお疲れのようで」
岸和田城から船に乗って、まずは着いたのは阿波国。
その本拠地勝瑞城の奥で三好義賢は疲れた顔のまま笑う。
その笑顔がかえって危うさを際立たせる。
「笑ってくだされ。
手を汚した因果をたっぷりと味わっていましてな」
その一言で察してしまう。
三好義賢が抱える業というものを。
全ては阿波守護細川持隆を三好義賢が謀殺した事からはじまった。
これによって、阿波を掌握した三好家は畿内に四国の兵を送り続けてその覇業に大いに貢献する事になる。
だが、それによって失ったものも大きかった。
いくら勢力が大きかったとはいえ、阿波国人衆だった三好家を同じ阿波国人衆達がどう見ていたか。
同僚という関係が長すぎ、主君と呼ぶには時間が足りなかった。
その為、三好義賢は己が殺した細川持隆の子である細川真之を守護に祭り上げざるを得なかったのである。
ここまでは、まだ戦国のよくある事である。
ここからが、三好義賢の自業自得である。
細川持隆の室に小少将と呼ばれる女が居る。
細川真之の母でもある彼女は、三好義賢の室になり三好長治を生む。
つまり、細川真之と三好長治は異父兄弟の関係で、守護と守護後継者という関係なのだ。
揉めない訳が無い。
これに、阿波国人衆の内紛が透けて見える。
三好義賢が睨みを利かせていたので大事になっていないが、篠原長房の権勢が大きくなって他の国人衆が嫉妬しだしているという。
で、その嫉妬の炎を煽っているのが篠原長房の弟である篠原自遁というのだから救いが無い。
このあたりのどろどろが発火したのが、新将軍足利義栄就任に伴う人事で露見したのである。
「今でも思う事があり申す。
あの時、守護様を殺さなければと。
詮無きことですが」
三好義賢の前なのだが、俺は頭を抱えざるを得ない。
来たるべき対織田戦における後詰戦力として阿波・讃岐の四国衆は用意されている。
それがこの状況では、爆弾を抱えているようなもので安心して使う事ができるかどうか。
「一宮殿の和泉国派遣の件もまさか……」
俺の指摘に三好義賢はため息で答えた。
この手の事情はどこの家にも大なり小なりあるものだ。
一番信頼できる最大の敵というのは、身内一族なのはよくある話だ。
「安心なされよ。
大友殿。
畜生道に堕ちたとはいえ、その代償に兄の覇業を支える約束は違えるつもりはござらぬ。
篠原長房と共に、四国を治めてみせましょうぞ」
その笑顔に儚さを感じてしまったのは俺の思い過ごしなのだろうか?
かるく頭を振って俺は本題に入る。
「十河殿の一件。
義賢殿はご承知か?」
十河重存の件だが、できるならば四国に置いてゆく事も考えていたのである。
讃岐国の有力武家で三好一族が血族を送り込んだ十河家を名乗っている以上、顔見せはやっておいて損はないはずだからだ。
「それほど九州は厳しいので?」
三好義賢はこちらの核心を突いてくる。
このあたり腹の読み合いをしても仕方がないので、ぶっちゃける事にした。
「半々。
いや、六四で危ういかと」
大友義鎮以下加判衆はなんとか説得できるめどはある。
重臣達も上がなんとかなるのならば、説得できるだろう。
問題はその下の連中だ。
「三好殿もご存知でしょうに。
田舎の田舎たる所以」
田舎の田舎たる所以。
その村の外に世界が広がる事を知らぬと。
かの地において、俺の名前は他紋衆希望の星になっているだろう。
それを、同紋衆の侍が許容できるのか?
状況は違えども、俺が飛び込む九州は三好義賢の悩みとさして変わりがないのだった。
「そこまでして何故お戻りに?
三好の名乗りで畿内に留まれば、大友とて手を出せぬでしょうに」
「出しますよ。
実際脅されましたからな」
三好義賢の問いに俺は即答する。
縁というのは離れていても消えない。
九州勢を全部帰しても、俺が離せない人間が三人いる。
大鶴宗秋と有明と明月だ。
そして、この三人の縁者は九州にいる。
大鶴宗秋や明月の縁者が俺を殺せと頼んだ時に、それを断れるかどうか分からないのだ。
大鶴宗秋は息子が筑前に領地があるし、明月は宗像の姫だ。
彼らを通じて脅された場合、二人がそれを断れるのか?
有明の場合はもっと質が悪い。
大神系国人衆の名家小原鑑元の娘で、唯一豊後内にて権勢を残している雄城家の養女として振舞っている。
その有明と関係を持っているのが俺だ。
俺が有明と子を作った場合、大神系国人衆だけでなく、肥後菊池家にまで波紋を呼ぶ因縁ができてしまう。
その因縁を切る為だけに同紋衆下位の侍で俺と有明を殺す馬鹿が出かねない。
俺が畿内で殺された場合、三好家をはじめとして大友家の外交関係は大混乱に陥るだろう。
だが、その馬鹿が生きて九州に帰った場合、
「大友の問題を解決した英雄」
としておらが村で崇められかねない。
その村の外に世界が広がるのを知らぬとはそういう意味なのだ。
問題を小さな村の中だけで解釈し、解決しようとする。
だからこそ、村に入ってその解釈を修正する必要があるのだった。
四国に留まって、家庭問題を抱えて必死に解決しようとしている三好義賢と同じように。
「ままならぬものですな」
「ええ。
本当に」
結局、十河重存を置いてゆく案は没になった。
三好からの人質というか命綱を外す必要がないという表向きの理由と、阿波三好家の家中の確執に一石を投じるからそれを避けたという裏の理由とともに。
「あら、お客人が来ておりましたの?」
三好義賢との会談後、奥から帰る途中に声がかけられる。
白檀の香りで隠し切れない濃厚な牝の臭い。
障子越しだが、向こうの様子が爛れているのが分かる。
「障子越しに失礼を。
大友主計助と申します」
その声に色が乗る。
女には散々狂っている自覚はあるが、その声と漂う臭いでこれがやばいと分かる。
障子に映る影が、女が裸身である事を示す。
「三好豊前守の妻、小少将と申します。
主計助様の噂は耳に入っておりますのよ」
顔に脂汗が浮き出る。
障子一枚向こうの煩悩を想像して頭を振って煩悩を追い出す。
疲れ顔の三好義賢の理由はこれではないだろうかと浮かんでは消える。
「障子一枚なのにお開けにならないのですの?」
露骨な誘い水だったからこそ、俺は少しだけ冷静になる。
彼女がこういう事をする理由は何だ?
そして、それに三好義賢はどう絡んでいる?
「豊前守の事ならお気になさらずともよろしいのに。
既に多くの殿方を誘っていますのよ」
何だと!?
その一言で、阿波三好家のろくでもない状況を察してしまう。
細川持隆殺害という三好義賢の下克上を正当化したのがこの小少将の存在だ。
彼女が三好義賢に抱かれて、三好長治を産んだ事で阿波細川家と阿波三好家は縁戚関係となったのだ。
家中に軋みが見える現状で、小少将を処分した場合細川真之がどう出るか分からない。
そこまで考えて、背中に冷たいものが走った。
よくあるドラマの設定だ。
だけど、よくある設定という事は、同時に納得できる理由でもあるのだ。
本当に、細川真之は細川持隆の子供なのか?
ちらちら聞いた所によると、小少将の輿入れは彼女の髪がまだ長くない時だったという。
その時細川持隆は既に中年になろうとしていた。
そして、細川真之が生まれた年は天文法華の乱などで畿内情勢が荒れに荒れていて、畿内に出ていた時期と重なっている。
元々三好一族を保護する等三好家と友好関係を作っていた細川持隆の暗殺は当時から謎が多かった。
三好義賢は、畿内で戦う三好長慶や細川持隆の代理としてその時から阿波に留まって阿波を守っていたのだろう。
その若武者三好義賢と若妻小少将。
色を知り狂う時期で、止める者も居ない。
よくあるドラマの設定だ。
主従関係でなく共犯となった場合、その主導権は女が握ることが多い。
開き直ったともいう。
「瑕なき玉に瑕はつけられないでしょう?」
そんな文句を艶声で誘う小少将も小少将だが、分かってしまう俺も俺である。
なんでここまで彼女が強気に出れるのか分かった。
『瑕なき玉』とは源氏物語で出てくるある御方の為の言葉だ。
それを当てはめると、彼女の男関係の深さと救いの無さと権勢の大きさを嫌でも分かってしまう。
だから、誘惑を振りほどいて逃げることしかできなかった。
「申し訳ございませぬ。
一夜に三戦せねばならぬ身ゆえ、無駄弾は撃ちたくないので。
これにて」
「あら残念。
それを聞いてお誘い申し上げたのに」
背後からの艶声を俺は聞かなかったことにした。
翌日。
一日予定をずらして、阿波守護細川真之に和泉守護代として挨拶をする事にした。
確認したいことがあったからだ。
仏頂面で実に面白く無い目で俺の挨拶を聞いていた若武者は、身分の低いとされる女から既に一人男子を授かっているという。
その顔は三好義賢と面影が似ていた。
ナチュラル・ボーン・ビッチ登場。
最初彼女の事を知って、
「うちのビッチ姫、ビッチでも史実キャラに勝てねぇ」
とガチ凹みしたのは良い思い出。
やる夫スレ『小少将夢譚』(18禁なのでリンクは張りません)に『源氏物語』を加えてまぜまぜした結果がこれだよ!
うん。凄いや。この国。
千年前からぶっ飛んでいやがる……
ちゃんとエロは回避しているけど、かえってエグくなった気もしないではない。
細川 持隆 ほそかわ もちたか
細川 真之 ほそかわ さねゆき
三好 長治 みよし ながはる
篠原 自遁 しのはら じとん