帰還の為の根回し その1
九州に帰るためにも、お世話になった人たちへ挨拶はしなければならない。
もちろん、その過程で生き残るための札も手に入れないといけない。
戦国の世は、かくも大変なのである。
「そうか。
九州へ帰るのか」
臼杵鑑速を連れて最初に挨拶に行ったのは、飯盛山城の三好長慶。
元々が俺の守護就任から始まった話の為に、三好長慶はある意味それを理解してくれていた。
「はっ。
また戻るつもりではおりますが、色々とあるとは思い挨拶をと」
「帰ってきたら是非とも守護を受けてもらわねばな」
軽口を叩きながら、三好長慶は書状を俺に差し出す。
宛名は大友義鎮になっている。
「大友殿に文を書いておいた。
届けて欲しい」
「三好亜相様のご配慮に感謝いたします」
九州における生き残りの策その一。
三好長慶とのコネである。
畿内情勢をうまく使えるならば薬になるが、大友家中第一が強かったら毒にもなる切り札である。
だからこそ、彼を使ったその先を用意する必要があった。
「この後、京に上るつもりです。
公方様に肥前守護代についての嘆願をするつもりでして」
こういう時のお願いは嘘偽りなく言う方が成功率は高い。
高橋鑑種が報告してくれた肥前不穏の情報を臼杵鑑速が簡単に説明すると、三好長慶が口を挟んだ。
「肥前守護ではなくて、守護代なのか?」
要するに、肥前のごだごたを鎮める切り札がこの幕府による守護代承認の書状である。
そもそも守護代というのは守護の『代理』であり、守護が代理として己の家臣から任命するものである。
だが、守護が在京して畿内情勢に振り回された結果、本国で留守を守っていた守護代にブランドが発生。
その世襲化と共に幕府の任命による守護代というブランドは、地方において無視できない影響力があるようになってしまっていた。
具体的に言うと守護大名任命の守護代の場合は明確な上下関係が出るが、幕府がこの守護代を認めると守護大名と同等の扱いになる。
戦国時代を彩る下克上の種の一つが、この守護代というものなのだ。
「はっ。
あくまで、肥前守護は大友左衛門督様ですので」
この話のポイントは、あくまで『肥前守護大友義鎮が守護代を任命し、それを幕府に申請する』という点にある。
少弐家は肥前守護だけでなく筑前や豊前等の守護を務めた名家で、それが大友家の申請で守護代につくのだから、衰えたとはいえ少弐家が格落ちするという事を意味する。
また、竜造寺家にとって成り上がるためには、守護代という名はあって困るものではない。
それに気づいた三好長慶がニヤリと笑う。
「となれば、守護代の名は書かぬ方がよろしいな?」
その言葉に俺と臼杵鑑速はただ無言で頷いて肯定する。
要するに、少弐が勝とうが竜造寺が勝とうがどちらでもよいようにリスクヘッジをするという事なのだ。
多分、竜造寺が勝つだろうが、恩は売れる。
そして、その後の大友と竜造寺の対立までは知らぬし、その時は畿内に逃げている予定である。
本音を言うならば、史実を知っているから竜造寺一点張りにしたいのだ。
だが、少弐は俺が助けた形になっているので、それを見捨てると筋が通らぬ。
あくまで、上から目線で両方に賭けるという形で安全策を取るという形でしか竜造寺家に賭けられなかったというのが本音だが、それを言うつもりはない。
話がそれた。
三好長慶は臼杵鑑速の前に小箱を置く。
「臼杵殿にも世話になった。
これはささやかだがお礼だ」
箱を開けた臼杵鑑速が息を呑む。
彼は博多で商人たちと交流があるので、その良さが分かるのだ。
そして、箱にその茶壺の銘が書かれていた。
「大名物朝倉文琳。
朝倉殿がああなった為に、多くの品がこっちに流れている。
これも婿殿が畿内一円の商いを差配したお陰よ」
俺が持っている珠光茶椀と同じく小城が建つ値打ちもので、この茶器一つで分かることがある。
誰が流したか分からないが、三好長慶なら買うと踏んだという事と、織田信長はまだこれを求めないという事だ。
この手の箔のつけ方にも順序というものがある。
織田信長みたいに下克上をして国主になった場合、まずは守護や国司を得ようとする。
そして、その役職にふさわしい趣味や教養という形で、このような茶器の出番になるのだ。
このあたり、一昔前のサラリーマンパパが接待と言いながらゴルフをしていたのと感覚的には同じだ。
占領地統治や伊勢の軍事行動等で茶器にかける銭は無いと判断しているのだろう。
織田信長はそういう所は合理的だ。
で、必要になったら名物狩りとかで一気に漁るのがある意味彼らしいといえば彼らしい。
「ありがたく頂戴いたします」
臼杵鑑速は恭しく礼を返す。
自分で使うつもりは無く、そのまま大友義鎮に献上するのだろう。
銭をばらまくより遥かに効果のある一品に、三好長慶が俺や臼杵鑑速をどれだけ評価してくれているかが分かる。
俺は臼杵鑑速と同じく、彼の好意に礼を返すしかできなかった。
「そうか。
帰るのか……」
俺の帰還報告に少しさみしそうな声を出したのは芥川山城に居た三好義興。
現在進めている摂津国三好家本拠化計画では、三好長慶がいる飯盛山城とこの芥川山城、そして今の公方である足利義栄が滞在した越水城が三好家の最重要拠点として認識されている。
最終的には、三好長慶と三好義興の二人のどちらかが京に滞在し、残りが留守を守るという形で話が進んでいるという。
「これでも大友の名を名乗っていますので。
菊池の名で受け入れてくれたならば、三好に変えられたのですが」
「御曹司」
「戯れ言だ。
許せ」
大友家一族だからこそ、大友家の命で帰る。
ただの浪人だったらこんな面倒は無かったわけで、臼杵鑑速が窘めても愚痴を言いたくなる。
とはいえ、大友の名前を九州から三好に味方に来たと政治的に使っていたので、三好義興も苦笑するしかない。
「父上の所は挨拶に行ったのだろう?
という事は、この後は京か?」
「はい。
公方様や公家に挨拶をしてそれから堺より出るつもりです」
既に吉弘鎮理や一万田鑑実等の九州勢は堺から九州に帰していた。
だから、今の俺の一行は馬廻と島清興の手勢ぐらいしか無い。
まあ、その手勢でこうやって行き来できるほど三好勢力圏では治安が改善しているともいう。
「そうか。
ならば一つ頼みがある。
孫六郎。
入れ」
障子を開けて十河重存が部屋に入ってくる。
俺の顔を見て、嬉しそうに微笑んでこう俺に言った。
「若狭の一件以来でございます。
よろしければ、此度の九州行きに同行させて頂きたく」
俺と臼杵鑑速の顔色が変わる。
この場合における十河重存の存在は、三好家が俺に人質を預けると言っているに等しい。
これ以上ない切り札であると同時に、彼に何かあったら大友家は畿内における影響力を喪失しかねない爆弾に変わる。
「お待ちを!
十河殿を九州に連れてゆくのは危のうございます!!」
「里に帰るという話しで見聞を広めようと。
それとも、大友殿は九州で合戦でもするつもりなので?」
十河重存の言い返しに俺の言葉が詰まる。
臼杵鑑速が肥前がらみの話をしようとして、三好義興に制される。
「覚悟なされよ。
大友殿。
いや、義弟殿と呼ぼうか。
これは三好の本気なのだ。
もちろん、父上にも話は通している」
ああ。そうか。
果心が一応三好一族の娘という設定だったよなー。
義弟殿と呼んだって事は、果心を三好長慶の養女とすると明言した訳で、三好義興と俺は義兄弟の関係になるのか。
今更それを思い知るというか、俺は現実逃避していた。
そんな姿がおかしいのか、三好義興と十河重存は笑う。
「父上から聞いた。
いずれ三好は織田と争うことになるだろう。
その時、お主が居るのと居ないのでは戦の仕方が違う」
「買いかぶりすぎですな」
俺の言い逃れを十河重存が塞ぐ。
その顔は実に楽しそうだ。
「ほほう。
若狭国勢峠合戦で一色家当主を討ち取った大手柄を買いかぶりすぎと申しますか。
若輩者のそれがしからすれば、羨ましいの言葉しか出ませんな」
「それはそうだろう。
義弟殿は久米田合戦で叔父二人である三好義賢殿と安宅冬康殿を救うだけでなく殿まで務め、三好の運命を決めた教興寺合戦では淀川で我らの渡河が終わるまで畠山勢を押し留め、石清水八幡宮の託宣を陣中で告げて勝利を作った猛者。
それだけでなく、観音寺騒動の仲裁や織田との折衝にも功績がある三好の柱石よ。
叔父上だけでなく俺も父上も一門にと望んでおられるのだ」
あ。
臼杵鑑速の顔が変わった。
九州にも武功は聞こえていたはすだが、ここまで轟かせていたのは知らなかったらしい。
そのあたり色々と九州でやばいことになりそうだから黙っていただけると嬉しいのだが、という俺の心の声を三好義興と十河重存は華麗に無視した。
「だからこそ、義弟殿には帰ってきてもらう。
その為に孫六郎を出すのだ。
同時に、大友家とももっと良い縁で繋がりたいと思っておる。
大友と三好が互いに結ばれるようにな」
要するに、でっち上げた血縁関係を正式なものにしようという訳で、その駒として選ばれたのが十河重存な訳だ。
彼と大友家の娘が婚姻関係になる事で、俺の畿内滞在の取引材料にしようという腹なのだろう。
十河重存は大人になれば、讃岐一国を任される予定の三好家重鎮候補だ。
毛利家との戦いにおいて、水軍衆も強い讃岐を警戒するというのは大友家にとって大きな利益になる。
三好家は俺の為にそこまで踏みこむ事にしたのだ。
近い未来に起こるだろう織田信長との戦いの為に。
ぽたりと何かが目から落ちる。
それが俺の目から落ちた涙であると気づくのに少しの時間がかかった。
打算もあるとはいえ三好家の恩と信頼が熱く嬉しい。
「御曹司。
ここまで功績を立てて、三好家の信頼を得るとは……
お屋形様も喜びましょうて」
まったく喜んでいない声で臼杵鑑速は言い放ち、俺はその声に涙をふきながら苦笑する事しかできなかった。
その夜。
臼杵鑑速から説明を求められ、畿内における一部始終を全部ぶっちゃけて頭を抱えられたのは言うまでもない。
「それがし以外の者が今日の会話を聞いたら、御曹司を滅ぼす以外の選択肢を取りませんぞ」
の真顔の感想に俺は何も言い返すことができなかった。
その為、俺と臼杵鑑速と大鶴宗秋は九州に帰るまで十河重存を交えて、功績をごまかす事に苦心するはめになる。