大名研修
足利義栄の上洛は、三好義興指揮の三好軍三万の兵に守られて何事も無く行われた。
越水城を出た一行は数日かけて、芥川山城に到着。
ここで管領細川昭元と合流し、更に数日かけて三好家の京都拠点となった勝竜寺城に到着。
松永久秀の接待の後、細川藤孝が朝廷の使者と共に現れて従五位下左馬頭に叙任された事を告げる。
そして、京二条に作られた御所には三好長慶が待っていた。
この二条御所をお渡しするために。
政治ショーである為に、俳優にはちゃんと見せ場が与えられるのだ。
たとえば、俺みたいな大根役者でも軍勢を率いて道中警護の任務が与えられたり。
復興著しい京は現在、新公方に挨拶する諸大名の使者でごった返していた。
もちろん、その分トラブルも頻発しており、その対処に追われる羽目になったが。
「見事な裁きでございますな」
「それほどでもない。
ここだと俺程度の事ができる奴はゴロゴロ居るぞ」
臼杵鑑速の感嘆の声に俺は生返事で返す。
たとえば、俺の前で感嘆の声をあげている臼杵鑑速とか。
大友家の使者として来た彼だが、同時に俺を帰郷させるという任務も帯びている。
で、現在の警護におけるトラブル処理も俺の仕事なのを良いことに、遠慮無く彼にぶん投げたのである。
できなかったらそれを理由に断ろうと思った俺が甘く、トラブル処理とキーマンを把握して処理が驚くほど迅速化。
大友家宿老に三好家の仕事をぶん投げるなんて荒業が可能なのも、俺という曖昧な存在があっての事。
あくまで俺の本籍が大友家にある為に、一族で後継者候補である俺の命令を臼杵鑑速は受ける事ができる。
臼杵鑑速もこの無茶振りにメリットがない訳ではない。
公方上洛という政治イベントは幕府から九州探題に任命されている大友家にとって大事という事もあるし、俺の帰還に向けて三好家に貸しを作っているとも言える。
だが、臼杵鑑速という強力ブレーンをつけた俺のトラブル処理は、畿内を一気に安定化させた。
種を明かせば簡単な事で、各地の揉め事、特に公家や寺社が持っていた荘園を武士が横領した荘園帰属問題を銭で解決したのである。
具体的なロジックはこんな感じだ。
武力を持っている寺社は別として、公家の荘園は武士が奪ってしまって公家の生活が窮乏していた。
その為、荘園の代わりにとりあえずの銭で妥協する公家が続出したのである。
この銭の出処は、俺が構築し松永久秀に管理を任せた大阪湾淀川琵琶湖の河川航路一元管理からで、あくまで幕府から支払われている点がポイント。
公家による新公方承認という解釈を周囲に見せる事で、合法的に公家に銭が流せる仕組みを構築した所にこの仕組みのえぐさがある。
それは同時に、幕府が大半の公家の生殺与奪の権利を握ったとも言えるのだから。
俺は三好家から銭を払わせるつもりだったが、これを幕府からに変更させたのは臼杵鑑速の進言だ。
「公家には幕府が無くなったら困るという事にしておくべきかと」
その裏にある幕府権威の失墜が地方に波及して九州探題の箔が落ちる事を恐れたのを、俺が見抜いたのを知ってなおこれを進言するのだから、大友家の宿老たる加判衆に座っているのは伊達ではない。
このあたりの働きは松永久秀を通じて即座に三好家上層部に伝えられていた。
寺社荘園の争いについてはもっと露骨な手を使った。
銭で懐柔できる寺社は喜捨という形で幕府から払わせ、懐柔できない大寺社からは矢銭という形で徴収してその原資を出させたのである。
「武力を抱える寺社に脅しは下策。
彼らが欲しがるものを与えるしかございませぬ。
彼らが欲しがるものとは、宗派争いが起こった時の公平な裁き。
これは武家にしかできぬ事でしょう」
さすがに本国豊後に宇佐八幡宮の寺社荘園を大量に抱えて、その横領をやり続けてきた大友家の宿老である。
淡々と紡がれる言葉には説得力しか無い。
畿内は一向宗VS日蓮宗VS天台宗という一大宗教一揆が発生した事もあってこの手の第三者の仲介、特に各宗派に寛容でかつどこかに肩入れしない裁定を守らせる武力を持つ武家の仲裁はありがたいものだったのだ。
そういう意味で三好長慶という巨人は彼ら寺社勢力の暗黙の支持を受けており、彼の治世において宗教一揆が少なかったことも決して偶然ではない。
そのあたりの仕組みを即座に見抜いて、あらかたの争いを銭でケリをつけてみせた臼杵鑑速の手腕を知った三好長慶が出向いて臼杵鑑速に礼を述べたぐらいだ。
これが何を意味するかというと、畿内の公家と寺社の争いが沈静化した訳で、一気に治安改善が進む事になる。
足利義栄の上洛における警護上のトラブルが許容範囲内で収まったのも、大元の治安問題が改善していた事が大きい。
とはいえ、争いの種はつきる事もないのは知っている訳で、村々の間で揉めている水争い等の問題はまだ手づかずのままだった。
「これだけは村々に出向いて地道にやるしか無いでしょうな」
豊後で九州一円のその手の問題を処理していた臼杵鑑速は、俺に一番簡単な解決策を教えてくれたのである。
村に出向くというのは結構大事なイベントだったりする。
下克上上等な世の中なので、城を出たら城を奪われていましたなんてのもざらにある。
その為、この手のお出かけには留守を守る信頼できる将が絶対に必要になる。
これは大鶴宗秋に任せることにする。
次に、お出かけに伴う護衛要員だ。
これも小野鎮幸率いる馬廻衆でまかなえるし、俺近くには当たり前のようについてくる有明や名月の為に果心や井筒女之助や柳生宗厳も居る。
最後に必要なのは、俺が決裁する調停案を作る奉行役だ。
これは臼杵鑑速が出向く事で解決する事になり、せっかくなので田中久兵衛を下につけて勉強させることにした。
「守護代様!
この時期に水を持ってかれると田が枯れてしめぇます!」
「何をいうだ!
お前らが勝手気ままに田を広げたのがいけねぇのだろうが!!」
「なにぃ……溜池を持っているからって大きく出やがって!!!」
双方の村長がガンを飛ばし、その後ろには農民が鍬や竹槍や筵旗を持って威嚇している。
この時期の戦国時代において、とてもとてもよくある光景である。
それを臼杵鑑速は両方を宥めつつ脅しつつ双方の話に耳を傾けていた。
「ねぇ。
これ何の意味があるの?」
ついてきた有明が俺に耳打ちする。
威嚇している村人達も布地の少なくて薄い有明や果心や明月や井筒女之助の肌にちらちら目がいっているのが分かる。
あと後ろでは股間をおさえていたり、草むらに駆け込む男も。
見なかったことにする。
「話を聞くことに意味があるのさ。
俺には基本的にはこの手の仲裁はできないからな」
この時代の統治の大原則として村の自治力は強く、それを背景とした地侍、つまり国人衆の領地に大名は強制ができないのだ。
だが、双方の村人に知人や利権なんかがあると国人衆も公平な裁きができずに、合戦になるぐらいに揉めに揉める。
隣同士で水争いや土地争いをしている国人衆が仲が良い訳がない。
そんな時に大名が出張って、国人衆達に『命令』する訳だ。
大名様の命令だから。
当事者の誰にもヘイトが行かない素敵な解決方法である。
もちろん、この大名の『命令』も出す前に国人衆達で根回しが行われているのは言うまでもない。
こうやって国人衆達のお飾り、もしくは持ち上げによって大名になった連中が守護大名である。
そして、戦国大名というのは、この国人衆に配慮せずに命令が出せるかで一つの目安として見ることができる。
「おかしいですな?」
双方の言い分を聞いていた田中久兵衛が首をひねる。
農民上がりでこの手のことを十二分に分かっている彼は、文字を覚えて算盤もマスターしてこいつは結構な拾い物なのかもしれないと俺は思いつつ、彼に続きを促す。
「見た目ですが、この溜池の大きさだと水が足りなくなる訳がないんですよ。
向こうの村長が言う田を広げたにしても、足りなくなるのはおかしい。
多分、あっちの村隠し田がありますよ」
溜池のある村長が殺気の篭った視線で田中久兵衛を睨もうとして柳生宗厳の殺気にあてられて体を震わせる。
臼杵鑑速の笑顔が実に怖くなるが声はあくまで温和なままだ。
「まさかと思うが謀るような事は……」
「めっそうもございませぬ!
今、それをお伝えしようと……」
真っ青になる溜池を持つ村長にざまぁな顔をする隣村の村長。
だが、彼も顔を青ざめる事になるのも田中久兵衛のせいである。
「で、あっちの村、隠し田の事を知っててそれを黙っていますよ。
裁きで有利になりますからね。
多分、田を広げてなんておらず、没収される隠し田を先に申告したんでしょうな。
隠し田があって向こうが言う開墾だと完全に池が干上がります」
「……」
「まさかと思うが謀るような事は……」
「めっそうもございませぬ!
それがし物覚えが悪く、何を言ったか思い出せぬ次第で……」
この時期の戦国時代において、とてもとてもよくある光景である。
だから、臼杵鑑速の笑顔なお話によって裁きが出た時、誰も文句を言えなかったのである。
「守護代様!
よろしければ、村によって行きませぬか?
宴を開きとうございます」
「何を言うか!
どうかおらたちの村にお越しくだせえ!
酒も肴も用意しておりますぞ!!」
さて問題だ。
武家の裁きで納得出来ない裁きが出た場合どうするか?
答えはこれである。
買収だ。
この時期の戦国時代において、とてもとてもよくある光景である。
なお、一揆はこの買収がうまくいかない時に発生する。
という訳で、俺は薄着の有明と明月を抱いて村人達に見せつける。
「悪いな。
これだけの美女がいるとは思えんので今日は帰らせてもらおう。
村長達よ。
このままでは後味が悪かろう。
村の若者数人を連れて城について来い。
色々と話をしようではないか」
さて問題だ。
一揆を回避するために武家が取る手は何か?
答えはこれである。
買収だ。
村の不満を持つ連中を引き連れて、こちらの遊郭で酒と女に溺らせて文句の言えないようにする。
そして、こういう特権階層をつくる事で、下層部の不満を彼らに全部受け止めてもらうのだ。
もちろん、国人衆は真っ先に溺れさせたのは言うまでもない。
なお、コストがかかる場合は武力を持って村を襲うなんて手段もある。念のため。
こうして、俺の最初の訪問は一応成功裏に終わった。
この後も数村回って裁きを出し、遊郭で彼らを遊ばせたのは言うまでもない。
「いかがでしたかな?
村へ行ってみた感想は?」
遊郭の広間にて村人達のどんちゃん騒ぎが行われている中、俺は最初の乾杯だけ出てそっとその宴の席を抜けた。
で、この声をかけた臼杵鑑速に俺は苦笑して答えた。
「こちらこそ聞こう。
大名として振る舞う場合、俺はどう見えた?」
臼杵鑑速がここまで踏み込んで俺の手伝いをした最大の理由。
それは俺が大名として振る舞えるかどうかの同紋衆達の見極めに他ならない。
『武将』大友鎮成はおそらく合格点をもらっているのだろう。
問題は何かあった時に『大名』大友鎮成の評価を見たい訳で、そんな彼らにとって俺が押し付けられた和泉国守護代は渡りに船だったと。
「問題はないかと。
御曹司はこの地で良き人と出会えたのでしょうな」
これで終わらないのがこの戦国時代というものだ。
臼杵鑑速が俺の耳元に囁く。
「毛利元就が九州の国衆を使って御曹司の帰国を促しております」
それを聞いた時の俺は時間が止まったような錯覚を受けた。
つまり、帰れば粛清フラグが限りなく近くなる。
「にも関わらず、俺に帰国を促す理由は何だ?」
「守護」
つまる所はそこにある。
大名という一つの席を脅かしかねない俺を排除するのがこの問題の根底にある。
「三好と公方の怒りを買ってもか?」
「畿内に振り回されて、大内は滅びましたぞ。
足元は固めねばなりませぬ」
少なくとも大友家家中には、畿内政局を無視して将来の反乱の芽を摘んでしまえという意見がある事を俺は確認した。
殺そうと思えば、いくらでも手段はある訳で、それを言い逃れる理由もある程度は用意しているのだろう。
帰国は危ない。
頬から汗が垂れるがそれを拭く余裕は俺には無かった。
「畿内に留まるという選択肢はお考えになりなさるな。
背中から刺されますぞ」
守護代辞職を前提とした畿内滞在プランを考えだした俺に臼杵鑑速は冷徹に釘を刺す。
この一言で、九州から連れてきた連中が信用出来なくなってしまった。
「三好亜相との仲はよいみたいで。
あとは博多の商人たちを動かして銭をばらまきましょう。
もう一手欲しい所ですな」
三好長慶のコネと商人のコネ。
あと一手何か用意しろというアドバイスに俺は首をひねる。
だからこそ、それだけ言って去ろうとする臼杵鑑速に俺は後ろから声をかけた。
それだけはどうしても聞いておきたかったのだ。
「待て。
お前は、俺の敵なのか?
それとも味方なのか?」
立ち止まった臼杵鑑速は少しだけ視線を天井に向けた。
そして笑顔を作って、こう俺に告げたのである。
「臼杵鑑続の弟。
それで十分かと。
兄のために泣いてもらい感謝いたしますぞ」
と。