七十八話
大河は柳を呼び出し、ある作戦に従事させようとしていた。
「失礼します。柳です。ただいま、出頭しました」
「柳。呼び出して済まないな」
神奈川県警から自衛隊にイワンコフを逮捕する協力要請が大河のもとに来ており少女誘拐は予知の件と無関係でないと自衛隊上層部はそう判断した。ここで問題になるのはイワンコフが訓練された兵士であり、数々の戦場を渡り歩き自部隊に損害は出しても生き残って来たと言う事実だ。もしそれが本当であるのであれば、国内のギフトホルダーでイワンコフと対等に戦える近接戦闘のスペシャリストは限られてしまう。
柳隊は近接戦闘のスペシャリストが集まった隊ではあるが射撃のギフトを有するホルダーも在籍している。当然、近接戦闘において間合いは重要で自衛隊格闘術を習得している事は当たり前で敵の間合いを崩す為にテレポートのギフトホルダーもいる。
テレポーターは戦闘に向かない者が多いのは事実である。隊の中での実力では下から数えた方が早く特質上、足代わりにされる。しかし、テレポーターを弱いと勘違いした者は痛い目を見る事になる。そもそもヤタガラスに所属しているだけで猛者なのだ。弱い筈が無い。自衛隊のギフトホルダーの中でも更に狭き門を突破した者のみが入隊できるのがヤタガラスだからだ。
「隊長。まさか治安出動命令が出たんですか」
「違う。非公式ではあるが神奈川県警は警察庁長官を通じてある被疑者の逮捕協力を要請してきた。その被疑者が問題で元ロシア軍に所属していた傭兵のイワンコフだったたことだ」
「幾ら有名な傭兵だからと言っても日本では銃を手にする事は出来ない筈です。警察にしては弱気過ぎませんか」
柳の言うことは最もだが、警察はなんとしてもこれ以上の失態を避けたいのだろう。確実に逮捕するならヤタガラスは適任だし、自衛隊の最高戦力であるヤタガラスが失敗したのであれば警察だけの失態だけではなくなる。警察庁長官である上木田の考えは間違いではないが、ヤタガラスが失敗した時の意味を考えてはいないのだろう。
警察と自衛隊の失敗は転じて日本に敵対する者に対して有効な手段をもっていない事を意味し、独立国で大国である日本がテロリストに屈したとなれば、世界の笑い者となり日本は国連の中での発言力を失う事になる。そして日本がテロの標的として甚大な被害を出す事に繋がるのだ。
「日本政府としての決断だ。俺達、自衛官はただ命令を実行すれば良い。それにな、柳。狩りがいのある獲物だぞ。指揮権さえなければ俺がやりたいくらいだ」
大河の言うことは最もで、海外派遣された事のある自衛官以外は実戦と言うものを知らない。訓練で出来ない事が実戦で出来る訳がないという事実のもとで、訓練をサボる事はないが、佐官以上の自衛官は敵と戦う前に書類と闘っている。柳も大河を補佐する部隊長の一人として経験を積んで来たが未だに要に勝てる気はしない。
接近戦であれば柳も要に勝つ事は出来るだろう。しかしそれは戦術的な勝利であって戦略的に勝つ事は出来ないだろう。個としての力量を向上させるだけでなく、部下を率いて戦う。イワンコフと戦うとなると柳でさえも確実に勝てるとは言い切れない。だから柳隊に大河は命令を出した。戦術的(柳が)に負けても戦略的(柳隊が)に勝てれば日本としては問題はないが死者だけは出す訳にはいかない。
銃を使用して来ることも考慮しなくてはならない。柳はある程度の距離があれば柳刃で銃弾を切断することも出来るがそれも絶対ではない。頭部は硬度の高いヘルメットで覆う事は出来ない。視界が確保出来なければ柳のギフトは有効にならない。となると残るのは多少の身体強化のみで敵と戦わなくてはならなくなる。指揮官である柳が殺られれば、隊員に少なくない動揺が走る。
ヤタガラスの中で上位となれば日本の最高戦力の一人となり、椎名達、柳隊の隊員で柳を殺害出来る程の実力者と戦えというのは酷な話である。否応なく戦うが勝てたとしても被害は少なくないだろう。ノーマルによる偏差射撃も相手によっては無効化されるので使いどころは難しい。
となれば戦える戦力が用意出来るまでは不用意に戦闘になる事を避け、バックアップとして対応可能な者を配置するしかない。後はギフトホルダーでも対応が難しい超長距離狙撃手を用意し、捕縛ではなく、殺害に切り替える必要が出てくる。狙撃手と観測手を用意することはギフトホルダーを用意することよりは条件が甘い分だけ可能であり、後は民間人に被害が出ない様に調整すれば良い。
狙撃は建物が多くある市街地では相応の技量を要求する。民間人を誤って狙撃する訳には行かないため、実行に移すのであれば夜が明けるまでの僅かな時間か、生産活動が終わり人々が自宅で寛ぐ時間が適しているが贅沢は言えない。非常事態宣言がされれば、少女を救うことは出来るかも知れないが、予知回避失敗により日本は少なくない打撃を受ける。
しかし、猶予が余りないのは情報解析に当たる全ての分析官が感じていた。車で移動しているなら県を既に越えている可能性が高く神奈川県内を捜索する事は無駄に終わるだろう。緊急配備されたが県境全てを封鎖出来た訳ではない。アメリカ大統領来日なみの警護とは行かないが警察官は多く動員されていた。
大河が指揮官として数多の戦場で犠牲を出すことなく、国際社会の一員としてその責務を果たしてきた事を知らない自衛官はいない。士官学校では必ず先人達が経験した場面を元に戦術シュミレーションが行われる。大河が成功させた作戦の多くが対象となり、士官候補生たちが挑むが、作戦を成功させた者は両指で事足りる。
寧ろ現役の佐官ですら失敗する事があるのだ。士官候補生達とは与えられる情報が違うとはいえ、戦況は常に変化すると言うことだろう。相手もプログラムによって定められたものではなく、一人一人が現役の自衛官であると言うことを差し引いても大河ほどの傑物はそう簡単には現れない。
優秀な指揮官を日本は優遇している。暗愚な指揮官に部隊を任せれば隊は力を発揮することなく全滅する事になるだろう。個の戦闘力が高くても指揮官として優秀かどうかはまた別の話であり逆も然りである。情報分析に長けたギフトホルダーは総じて指揮官として優秀な者が多いが傾向であって絶対ではない。
ギフトホルダーはギフトを発現し、戦闘を優位に進めるが、GIDにより弱体化もしくは無効化されれば多少ほかの人間より頑丈で頭が切れる人間でしかなくなる。
「分かりました。柳隊は作戦行動に移ります。作戦会議を行うのでこれで失礼します」
自衛隊としても看過できない事態であった。通常の治安維持であれば警察の領分であり、自衛隊はあくまでも日本に対する自治権の侵犯のみに対応すべきであって無闇に行動することは好ましいことではない。
静岡基地から厚木基地に輸送ヘリで飛ぶより車で移動した方が早い。事件が発生した土地が東京よりではなく静岡よりで起こったためでもあるが深夜に自衛隊の輸送ヘリが飛ぶのは良くない。
柳は自分達の隊に宛がわれた部屋で待機していた隊員に私服に着替える様に命じた。表だって自衛官が動く訳には行かない。だが非番だった自衛官が事件現場に居合わせて事件解決に協力するのは、自衛官ではなくても力を持つギフトホルダーであれば一種の義務ともいえる。ギフトホルダーであればギフト発現の為の補助具を非番に持っていても問題はない。
柳の場合なら刃を潰す必要はあるが玉鋼で出来た無名の刀を非番時には持ち歩いている。他の者もそれぞれのギフトに準じた補助具を所有している。治安出動待機となっている自衛官が本来であれば基地以外にいることは問題になるが何事にも例外がある。
柳隊は直ぐに準備を済ませ二つの車に分かれて移動することになった。本来ならひとつの車で移動した方が効率的ではあったが、武器弾薬を積まなくてはならない都合での処置であり、急襲を受けても全滅しないための処置である。柳は運転を椎名に任せ、最寄りの警察署まで移動するまでは仮眠を取る事にした。
このところ満足に睡眠時間をとることのできない柳にとっては貴重な時間であり椎名の車はアサルトライフルで撃たれても平気な防弾車である。椎名は隊長である柳の心労を考えて無言で運転をしている。神奈川県と静岡県の県境には検問が設置されていたが最後尾に並ぶことなく一度、車を降りて検問に当たっていた警察官に身分証を見せるだけで通過できた。既に自衛隊統合幕僚本部からの連絡が行っていたのだろう警察官は警察署までパトカーの先導を付けるとの申し出はあったが断らさせて貰った。
現時点では防衛出動命令どころか治安出動命令も出ていない。自衛官が表だって動くには文民統制上と法律上に問題があり、幾ら治安出動待機命令が出ており中曽根が許可した作戦であっても迂濶なことは出来ない。超能力開発幼年学校が狙われたドールマスターの件もある。林檎は自衛官としての道を歩き始めていたが月に一度の精神鑑定と公安関係者による準監視対象となっている。大河や柳の様に肉体的に優れているギフトホルダーが常に勝てるとは限らないのが戦場であり、日本の国土を戦場として戦う経験は自衛隊には少ない。
これが明確な意思を持った侵略行為であったのなら日本は自治権を守る為に自衛隊を動かす事に躊躇いはなかっただろう。敵が国ならば、自衛権に基づいて敵国に爆撃を行う事も躊躇わないだろう。敵の全容も不明で攻勢に出ることも出来ず防戦を強いられるのは専守専衛の理念を基盤に行動している自衛隊ですらストレスが溜まるのだ。多くの国がウロボロスを調査し、その為に訓練された諜報員を潜入させてきたが成果は上がっていない。
敵の全貌が不透明な以上は出来る事は限られ根治治療ではなく対症治療しかできないのが現状だ。日本の警察もただ手をこまねいているだけではない。日本にいる潜在的な反ギフトホルダー集団【旭会】の主要メンバーの監視、外国人テロリスト容疑者の監視。それに加えて中国、北朝鮮の工作員の監視。実際に犯罪行為を行わない限りは監視に留めるしかないがそれでも人員・資金・時間を掛けて重大なテロ攻撃に移る前に身柄を拘束するのは地味ではあるが誰かがやらなくてはならない重要な仕事だった。
警察署に着いた柳達を迎えたのは署長である里中警視だった。彼はキャリア組らしいがノーマルで自身のキャリアを積む為に短期間だけ署長を務めているだけに過ぎない。三十代に届くかどうかという年齢で警視なのだから経験はとにかく頭はそれなりに切れるのだろう。たが権力にすがる特有の卑屈さは見てとれた。
警察庁長官の上木田に話を通して派遣された自衛隊特殊部隊ヤタガラスのメンバーでなければ、署長である里中が自衛官に対してここまで協力的になったかは疑問が残る。今の柳達は自衛隊と警察の間である交換留学制度に基づいて一時的に自衛官の身分を剥奪され警察官としての身分を与えられている。
静岡基地から私服に着替え通勤用の車で移動したのも法律上では有事以外で警察権を行使できるのは警察のみであり、自衛官としてではなく、警察官として行動しているだけと国民と野党の批判をかわす為の詭弁であり、政治の世界では建前が重視されることもあって中曽根が考えた苦肉の策であった。
中曽根は常に責任をとるつもりで行動してきた。日本が難しい立場に立たされる事を承知した上でウロボロスに対して自衛隊の派遣を行い、ノーマルである元国民を人道上の観点から保護した。そのため日本では今の時代には珍しい難民キャンプがある。人権高等弁務官によって各国はウロボロスが建国した事によって発生した難民を受け入れる事になったが最初はどの県も不確定要素が強く、得体の知れない難民を受け入れる事に難色を示した。
育った環境も宗教観も違う異民族を受けいれることは日本にとって難しい事である。国の成立からほぼ単一民族で国家を形成してきたのが日本であり、鎖国を一時期していた程の閉鎖的な国である。いまでこそハーフやクォーターなどの混血は珍しくはないが、日本人は肌の色、目の色が違う外国人を異物として扱ってきた。政治的に情勢不安だった国から難民を受け入れることは治安の悪化を指しており、批判を浴びてまで受け入れを表明する県はなく、中曽根の政治基盤のある神奈川県に難民キャンプは作られる事になる。
首都東京から一定の距離が離れており厚木基地からもそう遠く離れていない土地を国が一括して購入し、高い塀で囲んだのである。当時は収容所と蔑称で呼ばれていたが、中の人々はゲートを潜らない限りは自由であり、許可を受けた一部の者は短期在留許可証が発行され、日本国内の移動も制限付きではあるが許可されていた。
「里中署長。挨拶は結構です。警察庁からの要請により出向してきた柳であります。早速で申し訳ないが機動隊装備一式と軽装甲車輛一台と新しい身分証を用意して頂きたい。」
キャリアである里中は自分がぞんざいに扱われた事に対して顔をしかめるが相手も自衛隊の指揮官であり、実践経験豊富な自衛官である事を思いだし吐き出しそうになった嫌味を無理矢理飲み込んで副署長に柳に指示された装備を集めるように命令をだす。
「柳三等特佐。いえ柳警視。警察官の職務執行に関する法令はご存知ですか」
里中としてもあくまでも自衛官である柳を自由に行動させる訳には行かず監視を含めた首輪をつけておく必要がある。それは里中だけでなく警察全体の意向であり、省庁間での権力闘争の兼ね合いもあった。
「里中署長。本官の職務はイワンコフの捕縛であり、最終的には生死を問わないとの命令を受けております。道案内に警察官一名を受けいれますが、戦闘に関してはこちらに一任して頂きたい。」
自衛官歴が長く優秀なほど警察に出向した経験を持つ自衛官は多い、警察官にも逆の事が言えるが警察官と自衛官では求められることは異なるが国民の生活を守るという点に関しては共通している。犯罪を抑止し犯罪者を逮捕する警察に対して、国土侵略を行った敵を倒す(殺す)事が求められる軍隊では適用される法律も異なる。
互いの領分を犯さないことも重要だが警察と自衛隊の横の連携も有事の際には必要になるため交換留学という形をとって経験を積ませるのだ。中曽根は内閣総理大臣として政治で解決出来ない事を歯痒く思いながらも吉報を待っていた。




