七十六話
日本は国民に甘い国であると評される事が多い。平和憲法とも呼ばれている日本国憲法に縛られていた期間が長すぎるからだとされているが、戦争を頻繁に行い、国民に犠牲を強いる国よりはましであると認識されている。
犯罪者に対しても人権を認めそれが例え死刑囚であったとしても基本的人権は保護されるものなのだ。生存権もその権利の一つであった。文化的な生活を保証する生存権であったが本当に必要な人に支給されるべき生活保護費が不正需給されていたのは過去の話だ。
反社会的勢力はなくなりはしないものの警察の努力によって縮小傾向にあり、生活保護費を不正需給した者には通常の詐欺罪に加えて公文書偽造の罪が加算され初犯であっても実刑が課せられる様になった。
一度、日本国籍さえ取得してしまえば、国民保護法により護られ、海外旅行をする際には短期滞在であれば比較的容易に滞在許可が降りるのだ。国籍の取得には厳正な調査があるがどの国にも腐った役人はいる。国際犯罪集団は構成員に日本国籍を取得させ日本以外で犯罪に手を染めていることは良くある事だった。
国際社会の中で犯罪を助長させる事を手助けしていると批判が上がることもあるが、日本は犯罪が発覚した時点で元が外国人であった場合、刑の重さによっては国籍の剥奪を行っているし、生粋の日本人だった場合、ケースによって異なるが現地法で裁いたり、犯罪者引渡し条約を結んでいる国では日本への移送も引き受け、日本の刑法で裁いているが抑止力としては機能しているとは言い難い状況だった。
日本の警察は世界から見ても優秀なのは事実だが、日本の警察権が及ぶのは日本国内と大使館または総領事館の敷地内の中だけである。日本としては打開策として戸籍法の改正、国民保護法の改正を行う事で対抗しようと努力しているが制度を悪用するものは一定数おり根絶することは難しいことだった。
―――
日本某所
戸籍法を悪用し、日本の国籍を正式に取得した集団はホテルの一室にて会議を行っている。元々ここにいる者達はアメリカ国籍を持っていたが、アメリカ合衆国の密命により日本に居を構えたアメリカ特殊部隊の精鋭でもあった。
公式の書類上では米軍に在籍していた退役軍人であるが日本に数少なく駐留している在日米軍の支援を受けている。一般人でしかない彼らが銃を所持する事は難しい。日本警察は不審者に対する職務質問の技術が優れておりその目を掻い潜る事は至難の業であるからだ。
「隊長。今日はやけに警察の巡回が多いですね」
「そうだな。日本政府も馬鹿ではない。予知を聞かされた時には信じられなかったが、日本政府が動いたとなると実際に起こるのかも知れんな」
非武装ではあるが鍛えられた肉体を持つ者にとって銃は脅威ではあるがアメリカは元々、銃社会だ。要は撃たせなければ問題はないし、銃の手配も依頼している。スタン弾だが無いよりはましだと思っている。軍用ナイフは銃刀法違反になるがスタン弾は所持していても防犯グッズ扱いとなるため身元確認はされても所持していた事で逮捕・拘留することは難しい。大人数だと条例に抵触する可能性があったが基本、三人で動く事になる本作戦においては障害にはならない。
「ギフトホルダーに遭遇した場合は分かっているな」
部下達が頷いた事に満足そうに酒を飲む。非正規作戦である以上は捕まればアメリカ政府は自分達との関係を否定するだろう。ノーマルだけで構成されたこの部隊にとってギフトホルダーは死神と同義だった。可能な限り戦闘は避けどうしてもとなった際には抵抗するなと命じてある。国の保護下にない軍隊は真価を発揮させる事は困難だ。
まず補給が受けられないため現地調達となる。先進国である日本で食糧を得るのは容易いことだが、資金は有限だった。資金の出所が分からない様に工作するのは日本の警察の目を誤魔化す必要があるためだ。隊員達は日本にあるトライデント支社から警備員として給与を支給されていたため、公安の監視下に置かれている可能性があったが、退役軍人が警備員として働く事は珍しくなく、政府も職を積極的に斡旋していたため限りなく黒に近いグレーだが黒でない限りは外交問題となるため日本の警察は手出しができなかった。
――――
警視庁
「監視対象者に動きはあったか」
「新田管理官。今の所は目立った動きはないようです」
部下の報告では、監視対象であるアメリカの退役軍人達は都内のビジネスホテルに一泊したとあったが、同じホテルに宿泊した警察官は異常を感知していなかった。犯罪を未然に防止するのも警察の重要な職務の一つだが明確な根拠がなく国民を拘束することはできない。
「分かった。念のために危機管理室に一報はいれておけ」
知ってしまった以上は対応しない訳にはいかない。目的が不明な脅威に対して出来る事は少ないが行動を起こさなければ防げる訳がない。新田の中ではここで功績を上げれば警視長に昇進出来る可能性はあったがそれは結果であって目的ではない。
「俺も貧乏くじを引かされた様だな」
その独り言を聞いている者はいなかったが新田の本心であった。
――――
静岡基地
大河は空自の活動拠点である静岡基地に拠点を置き情報収集を行っていたが予知以上に判明していることはなかった。
「隊長。市内巡回班は異常を検知できなかったとの事です」
「柳。浜松原発はどうなっている」
「そちらも異常なしです」
日本にとって士官候補生はまだ換えの効く存在である。人を物の様に扱う政府には嫌気が差すが、日本国民の命と候補生の命を天秤に掛けた場合に日本国民に傾くのは仕方がない。士官候補生も日本国民である事は間違いないが、少数の命を救う為に大多数を犠牲にする事はできない。
「そうか。柳隊は休息に入れ」
大河は柳にそう命じると退室させる。
「親父。そっちは進展があったのか」
「ないな。現地の大使や領事官に調べさせてはいるが簡単に尻尾を出す筈がない」
それもそうだと納得する大河。政治の世界には疎いが綺麗事だけで成り立っている事は有り得ない。利益を確保してこその政治家だ。奉仕の精神だけでやっていける筈がない。汚職防止の為に議員の給与は上がり議員数はそれに伴い減少した。
議員になれば様々な利権を握る事になるが、悪用しない為の措置としては少し弱かったが、発覚すれば議員生命が終わるのでよほど追い詰められているか金に汚い議員でないと汚職に走る事はない。議員は当選出来なければ只の人になるからだ。寧ろ権力を握っていただけあって普通の人より厄介な存在なのかも知れないが。
大河は考える。敵性勢力がウロボロスだった場合、士官候補生を殺害するよりは誘拐という手法を取る筈だ。士官候補生は例外なく優秀なギフトホルダーの卵であるからだ。日本を仇敵と認識しているかは謎だが、優秀なギフトホルダーを見境なく殺害していけばウロボロスは組織としての求心力を失う事となり、瓦解するだろう。
そもそもウロボロスの理想は曖昧な物だ。確かに各国はギフトホルダーの有用性を認め重用してはいるが、社会の混乱を防ぐ為にギフトの使用を著しく制限している。しかしその制限もギフトホルダーの生命に関わる重大事項については免責条項があり、ギフトを発現した事を罪に問うことはない。
ギフトホルダーとて人である以上は衣食住を欠かす事は出来ない。ノーマルに比べれば体は頑丈な者が多いが風邪を引くし、病気にもなる。知能を測る要素として脳の重量が挙げられることがあるが、ノーマルもギフトホルダーも大して差はない。ノーマルの中にも優秀な者がいる様にギフトホルダーの中にも劣る者がいる。
ノーマルとギフトホルダーが共存して行く為には本来であれば障害は何もない筈だった。ギフトを発現しなければノーマルと変わらないし低レベルのギフトホルダーの性質はノーマルと殆んど同じ物だ。この問題の根深い処には人が持つ嫉妬心と宗教的問題が複雑に絡みあっている。
世界最大の宗教として認知されているキリスト教。信心深い事は悪い事ではないが、何時だって宗教は為政者にとって都合良く解釈され民衆をコントロールするために使われてきた。ギフトホルダーをキリストの再来として扱う神学者もいるし、数多くのギフトを持つ神の遣いと主張するものもいる。
そんな理由の為に人は争っている。自衛隊の下級士官の一人としてPKO派遣された際にこの手で初めて人を殺めている。自分を仲間を守る為に仕方がないという気持ちはあったが平和な日本で暮らしていた俺にとって人の命を奪うという事は重かった。その重みに耐えかねて辞めた者はまだ良い方だ。中には自責の念に駈られて自殺した者もいる。
息子の大志が生まれた時には我が子とはいえ血に塗れた手で触っていいのかと悩んだものだ。楓に見破られて説教された時には、自然と涙が出た。自衛隊に入り宣誓をした俺だったが初めてその言葉の意味を悟ったものだ。だから俺は命懸けで人を護る。人を護る事が国を護る事なのだ。
――――
内閣危機管理室
日本の様々な情報が今この部屋に集約されていた。テロの際にも活躍した情報員たちがここ一週間は寝る間も惜しんで勤務していた。
「神奈川県警より入電」
警察から一報がもたらされたということはどう考えても吉報ではないだろう。高木も自衛隊の代表の一人として情報分析に努めていたが自身も部下も疲労の色は濃い。
とある温泉が湧き出る町でギフトホルダーの未成年が深夜コンビニでたむろしていたところ、何者かに誘拐された。発見したコンビニ店員は軽度ではあるが精神感応系のギフトを有しており、才能保持者保護法の特別項目に基づいて普段は発現することのないギフトを発現して警察へと通報した。
観光地であるため外国人は珍しくない。だが剣呑な雰囲気を感じており、誘拐された少女が常連客であったことから交流があった。その外国人はレシートを受け取らずに立ち去った。購入した者も飲料水と袋菓子、数点だったが、その外国人が残したレシートには残留思念が残っていた。
色々な者が触ると薄れ更に時間が経つにつれて残留思念は無くなる。低位とはいえ、精神感応系のギフトホルダーが他者から敬遠される理由はそこにある。超能力開発幼年学校に入学したものの思ったより能力は伸びなかったため普通大学に入学して経済学を学んだが就職に失敗、フリーターとして職を転々としていたらしい。
初動捜査においてその手法が問題視される事も多い警察だが、直ぐに周辺十Kmに渡って検問を設置、神奈川県と静岡の境には既に機動隊を用意し、厳戒態勢が敷かれている。
未成年の少女が外出できる状態にあったと言うことは通報者であるコンビニ店員と同じく低レベルのギフトホルダーなのだろう。捜査依頼書によってコンビニの経営を行っているオーナーは防犯カメラの映像を警察に提出。予知に関係のない事件かも知れないが神奈川県警が危機管理室に一報を入れたのは事件発生から十五分経過した時で事件の経緯を聞いた警察官が指令センターに報告するのと同時刻であった。
非番の警察官に召集命令が下り町にはパトロールする警察車輛、非番の者も通勤用に使用している自家用車に緊急走行用のランプを取り付けて町を捜索したが、その日、少女が発見される事はなかった。
――――
最低賃金のコンビニのバイトとはいえ、深夜の割増賃金はばかに出来ない。ギフトホルダーとしての才能があればこんな生活はしていないだろうが、全てのギフトホルダーが裕福な生活をしている訳じゃない。寧ろ俺の様に就職に失敗し底辺の生活をしている者も少なくないだろう。俺は成人していたためGIDの装着義務はないが仕事中以外は見えない様にして身に着けている。
いくら当たり前の様にギフトを有するギフトホルダーが生活する様になった社会とはいえ接客業でギフトホルダーですと周囲に喧伝するのは利口ではない。相手に警戒されるし時には罵声を浴びせられる事も少なくない。小型化にも限界があるしバッテリーの問題もある。
人が多く出入りする場所にはギフト発現を感知する警報装置の設置義務があるためこのコンビニにもちゃんと設置されている。ギフトホルダーが発する発現の周波は個人によって異なり、超能力管理局に登録する義務がある。当然、俺がギフトを発現したことは超能力管理局を通じて警察に通報が行っている筈だ。
何もなければ軽犯罪法で処罰される行為であったが品だしを終えて外に設置されているパレット置き場にパレットを戻そうとした時に常連客である少女が連れ去られる所を目撃した。公共の利益の為にギフトを発現する事は法律に基づいた免責行為だ。
事情聴取の為に警察署に赴く必要はあったが、それは国民の義務でもある。シフトは夜の十時から朝の六時までだが、早退させて貰って今は警察署にいる。俺の事情聴取をしているのは三十代に届くかどうかくらいの男性警察官であり、俺と同じ精神感応系のギフトホルダーだった。
まだ深夜の二時過ぎといったところだが、警察は二十四時間、常に動いているし俺の働くコンビニも同じだ。たまにコンビニの店員である俺に営業時間を聞いてくる馬鹿がいるが、今の時代にコンビニが二十四時間、営業じゃない訳がないだろと思いつつ答えている。
刑事物のドラマで良く見るカツ丼は有料らしいが捜査協力をし朝まで拘束されそうな俺に目の前の警察官は奢ってくれたのだ。分かっている情報は既に伝えたが多分、精神プロテクトを解除しての当時の詳細を知りたいのだろう。
だが、俺は当時の状況以外には、精神プロテクトを解除する積もりがない。GIDを発動させれば幾ら相手が高位のギフトホルダーでも精神感応系に対して精神感応系のギフトが効き辛いのは覆せない事実であるし、そこまでが妥協できる範囲だった。
拷問などで精神が弱っていれば別だが、一般市民でしかない俺に警察はそこまでしないだろうし、これでも捜査に十分、協力的であると言える。厄介な事に巻き込まれたなと思いつつ早く寝たいと考える青年がそこには居た。




