七十二話
ロシアは第二次世界大戦を勝ち残り、アメリカに次ぐ大国として世界に存在感を示してきた。豊富な天然ガスを他国に販売する事で利益を上げると同時に発言力を維持してきたのだ。ロシアの仮想敵国はアメリカだ。冷戦時代を経験し、核戦争の危機に何度か陥ったが、支配する土地と人がなければ意味がない。
ロシアは各国に強い影響を与えるために軍を派遣する事をいとわない。極寒の土地では得られる作物など限定されてしまうし、資源がなくては文明社会が維持することなど出来るはずもなく、文明の穀物である希少金属を確保するために軍を派遣することなど造作もないことだ。それをしなければ産業は先細り、国を維持することすらできなくなる。
中国の影響力が低下し、アメリカも圧倒的な軍事力を背景とした発言力が弱まったことはロシアにとって行幸ではあったが日本の台頭を許すわけにはいかない。中国は昔ほどのシェアを世界に持っている訳ではなかったが、世界最大の人口は転じて安価な労働力となり、安価な商品の需要が無くなることはあり得ないため各国もある程度の経済依存を中国にしている。
ロシアとて例外ではないアジア諸国の安価な労働力を使いつつも中国産の商品を一定数は使っている。アメリカに対抗するために共闘路線を歩んできた中国に対しての配慮でもある。世界的ファストフード店で腐った肉が使用されていた事が発覚した際も上手く論調を合わし、再発防止に向けて善処するくらいの言葉で済ましたのは、アメリカ資本の会社でありアメリカの影響力が落ちる事は歓迎すべきことだからだ。
しかし、ロシアにも問題がないという訳ではない。ギフトホルダーに対する非合法実験が国際社会で批判され、アメリカのホワイトハウスとも言えるロシア大統領府で職員が残業中だと思われる時間に窓際で性行為に及び、たまたま外の風景を撮っていたイギリスの報道関係者によってタブロイド紙にリークされてしまったのである。政府直轄下に置かれる情報機関によって既に懲戒処分を与えたが、対外的に発表する訳にもいかずに闇に葬り去ることになった。どの国も自国の恥じを喧伝する必要はなく同様の措置を取るだろうが祖国の為に命を懸けている者がいる一方で失態を犯す職員がいる事には失望した。
ロシアの極秘実験である【人工才能保持者計画】も多くの屍の上に初めて人工ギフトホルダーの誕生を可能とした。言っておくがロシア連邦として被験者に強制した事は一度もない。祖国に忠誠を誓った者から三親等以内にギフトホルダーがいる者を対象に実験を行っただけだ。麗しい女性ならそれだけで女性諜報員として他国の高官に近づいてハニートラップを仕掛ける事も可能だが、アメリカ・イギリス・フランスなどの先進国は上司にさえ報告さえしていれば楽しむ事も可能であり、逆に小さな情報を小出しにして女性諜報員を信用させ、偽情報を流させることなど当たり前に行う。
人工才能保持者計画はまだ素体を誕生させる事には成功したが、人工的に生み出された者がどのくらい生き残る事が出来るか不明で何故に成功したのかも検証中の代物だ。しかも発現した能力は国際基準で三相当であり、ロシア政府が望んでいた能力より低く、精神的にも不安定さがあり成功と言えるかは微妙な所だ。だがギフト能力の解析に役立つ大きな第一歩である事は間違いないだろう。
軍事・技術方面におけるギフトの有用性は今更、言う必要はないだろう。その分野の最先端を研究している者の中にはノーマルもいるが使用するギフトによっては研究速度に雲泥の差となって現れる。二番や三番などでは決して意味がない。一番でないのであれば他の分野に人材と資金を集中させた方が効率は良いだろう。日本はその昔、様々な分野において計算を行う為に開発しようとしていたがスーパーコンピュータの予算削減をしようとした議員が一番でないと駄目なんですかと質問したそうだが、一番でないと駄目なのだ。スーパーコンピュータが発展した量子コンピュータも一台を有用に使用する事が出来れば敵国のライフラインを混乱に陥れる事も充分可能であり、研究結果を予測演算するためには処理速度は速い方が良いのは子供でも分かるだろう。
ロシアは残念な事に技術面において日本に遅れをとっている。超伝導コアについて調べるために諜報員を放ってはいるが有益な情報を得ることは未だに出来ていない。エネルギー分野において核エネルギーより効率的で核廃棄物も出ないというクリーンさが発表されているが兵器転用が可能で設計図を他国に公開したことは一度もない。宇宙開発計画の一つである軌道エレベータ建設計画でも遅れをとっている。中国の様に模倣品で安全対策もとれていない代物を使うわけにはいかず素材の研究段階なのだ。
宇宙空間まで延びる素材というだけでかなりの強度が必要となり、捻れによって切断の可能性もあるから定期的な点検も必要になる。日本はレールだけとはいえ実用に耐えられる物を実現させ、宇宙開発の分野でもリードしている。量子コンピュータを用いた複雑な計算を行い、不可能を可能にしてきた賜物だろう。ロシアも負ける訳にはいかない。人類が地球の外で生存する事は未だに困難を極めるが、技術進歩によって不可能を可能にしてきた歴史が証明しているように何れは巨大な人工建築物の軌道エレベータの建築、更に地球外でも生存する事が可能となるだろう。
日米共同による火星移住計画は移住候補を選ぶ段階に来ているそうだ。今の技術では火星を地球環境に似せる事は出来ないが、苔によって光合成を促進させ、人間が生存に必要な酸素を発生させる事に成功した。酸素濃度が高すぎても人は生存出来ないが無くても駄目なのである。限りなく少ない状況から酸素を星全体に循環させるだけでも難しいが試す価値は十分にあるのだ。
実際に移住が始まってしまえばどの様な選考基準で選ぶかは不明だが、所有権を主張しなくても実効支配を続ければなし崩し的に領土として扱う事も不可能でなくなる。状況も状況に合わせて改定し、自国の領土を地球で維持したまま、新しく建国する事も出来るのだ。それが自国の領土扱いになるかは不明だが他国が認めなくても国連を脱退し孤立無援の中でも国を維持することが可能であるのなら他国を尊重する必要もない。ロシアがその立場にあればそうするだろうしアメリカも同様だろう。日本は和を尊ぶ風潮が根強いため難しいかもしれないが、アメリカの様に漁夫の利を狙う事は国として国民の利益を守る為に普通に行われる事だ。
ロシアだって第二次世界大戦後に得ていた北方領土を返還したのも、過去のしこりを精算し対等な立場で日本と交渉するためだ。領土を失うがそれは形式的な物だ。所属する国が変わったとは言え、そこには生活している者達がいる。戦後に占領下から解放されたはずの沖縄でさえ、アメリカの影響を色濃く残しているのだ。ロシアも利権的には多くのものを表面上は失ったが日本は甘い国だ。返還された事を無邪気に喜んでいた。
小さな領土を返還し日本に恩が売れ、最終的に宇宙で新たな領土を得られるともなれば安い出費だった。天然ガスも安価な他のエネルギーにとって変わられ、現状を変えるためには何か行動をしなくてはならなかった。元の住民たちもピザなしで自国の様に過ごす事が出来るのだ。流石に日本の領土となった事でロシアの法律は適用されなくなったが、公用語は日本語とロシア語であり名残で両国の言語を話せる者が多い。徐々に日本語の比率が上がり既に日本語しか話せない者もいないことはないが両国は確かに歩みよる事となった。
政策的な事で中国と協調路線を取ることが多かったが利益にならないとなれば方向転換は当たり前に行う。国としては独立しているが、ロシアの強い影響下にある国に対して日本が内政干渉ともとれる行動をしない限りは態度を軟化させる事となったのだ。アメリカ・中国・日本に並ぶ軍事大国であったが国内総生産に対する軍事費率を下げる事にも成功した。同盟国とは言えないが此方の意見を通しつつも、日本を尊重するくらいの関係は築いていると考えている。
そんな状況でギフトホルダーが出現した事で世界は混乱した。祖国の非合法実験が白日の下に晒されるという失態も犯したがそのお陰で祖国に忠誠を誓う者たちを間諜として世界中に送り込む事に成功した。第三世代、第四世代の子供達の忠誠心を疑問視する声は確かにロシア国内でも上がったが、彼等の送ってくる情報は価値がある。倉橋楓の部下として働いている者は貴重な研究成果を暗号で送ってきてそれは最先端の知識であるため人工才能保持者計画でも有効活用された。
倫理的な視点から禁忌とされている人間のクローンも実際に培養し誕生していた。ギフトホルダーのクローンでもギフトを発現させないことが分かっている。それは同じ母胎から生まれても変わらず、双子でノーマルとギフトホルダーに別れる一卵双生児がいるのと変わらない結果となった。偶然から出来た人工ギフトホルダーを解剖し、詳細なデータを集めたが、劣性・優性遺伝が有るように人間がコントロールできる範囲はまだ限られていた。
研究は一筋縄ではいかず時間と金を消費した。各国が保有している隕石にはばらつきがあり、純度も異なる。ウロボロスが所有しているかは定かではないが、一国を支配できる様な資金力・組織力を持っていれば否定する方が難しくなる。ウロボロスの理想郷はかなり破綻した論理だとロシアだけではなく世界中で考えられている。
ギフトホルダーの子は必ずギフトホルダーになる訳ではない。何らかの素因があることは確かだが、両親ともギフトホルダーでもノーマルは生まれる逆に両親ともノーマルでもギフトホルダーは生まれる。我が国が行った実験も非人道的ではあるがウロボロスは人工的に造られたギフトホルダーを国民として迎える事はないだろう。彼等にどんな信念や宗教観があるかはノーマルを虐殺したり収容所に送っている時点で分かるだろう。
選民思想はそれだけ危険な物なのだ。歴史書に残っている第二次世界大戦では窮地に立ったドイツ国民は独裁者の誕生を許してしまった。ナチスと呼ばれたその政治集団は徹底的にユダヤ人を差別し虐殺したのだ。ドイツの戦況が悪くなると強制収容所に囚われたユダヤ人は徒歩による移動を強いられその歩いた道は死の道と呼ばれた。
収容されていたユダヤ人は満足な食事も摂れず強制労働させられていた。生きる事も困難であったが戦後まで生き延びた人間がいる様に問答無用で殺されなかっただけましだったのかも知れない。過酷な労働に耐えられないと強制収容所に入れられる際に判断されればその時点で殺されたのだ。
化学兵器を用いた毒殺を行ったとされているが意識が途絶えるその時まで想像したくないとも思える程の苦痛を強いたのだろう。ナチスはユダヤ人の財産を奪い命をも奪うばかりか、死ぬまで労働力として徹底的にユダヤ人を迫害したのだった。人間の歴史は良く繰り返される。仮初めとも言える平和を感受してきた世界の人々にとって戦争は身近にあってはならないものだ。
ウロボロスの力がこれ以上、強くなってしまえばギフトホルダーがノーマルを支配する時代がやって来るのかも知れない。どの国の国民も大半はノーマルだ。だからノーマルに有利な法律が整備され、ギフトホルダーは力を制限される。同じ外見とは言えノーマルにとってギフトホルダーは脅威だった。お腹を空かせた肉食獣と寝食を共にすることなど出来るわけがない。だから法律という檻に閉じ込める事で安心を得ようとしたのだ。
それが良いことなのかは分からない。確かな才能があるギフトホルダーに生まれる事を喜ぶ親は多いが、自由は制限される国家に監視され他国の潜在的な脅威として認識される。高レベルギフトホルダーは自国以外から簡単に出る事も出来ない。
滞在許可証とは別にGIDの装着が義務とされ、滞在中も国家警察の監視下に入るのだ。外交問題とならない様にする配慮だが配慮も行き過ぎれば苦痛でしかなくなる。ロシアも厳格とも言えるほど外国人に対して警戒している。国家警察に逮捕された外国人ギフトホルダーの扱いが国際問題になりかけるくらいには大小様々な問題を引き起こしていた。
警察・諜報機関から得た情報を元に日本に対してエージェントを送る事にしたロシア政府。無論、日本政府に対しては無許可でその作戦は行われる。世界の危機に対して沈黙を守る事は出来ない。中東に軍を派遣させなかった事が間接的にウロボロスの建国を許してしまったロシア政府としては、多くの若者を派遣している。現在でもアメリカ・日本・イギリスに対して遅れをとっているのだ。
これ以上の遅れは国際社会の立ち位置を危なくする。焦りが判断を甘くしたと後世で批判される事になったがこの時点での判断は妥当な物だったといえる。強いて言うならば正式に日本政府に対して協力要請をすればまた違った歴史があったかもしれないがそれを言うのは酷な事かも知れなかった。




