九話
十二月十日 午前七時
要は倉橋邸で目を覚ました。楓が用意してくれた食事を恐縮しながら食べることにする。倉橋家とは家族ぐるみの付き合いがあり、要と楓の関係も良好だ。普段から家に帰ることができない自衛官の妻は独自のネットワークを構築しており夫が佐官でギフトホルダーともなると官舎に住むことで安全を確保しようとする。
要の妻も自衛隊官舎に住んでいたが要が自衛隊を辞めたことに引っ越しを余儀なくされたまたま空き家となっていた倉橋邸の近所に住むようになった。倉橋邸は名家といった感じで警備も厳重だ。当初は部屋が余っているのでなんだったら部屋を貸してもいいぞという源三の好意に甘える訳にもいかず流石に断った。警備会社とは有事の際にはギフトホルダーを派遣してもらえる契約をした。一般人である要がするのには高額ではあったものの倉橋家と交流のある企業が運営している警備会社で国からの補助金も出るため出せない金額ではなかった。
自衛官を退官したものや警察官を辞したものは警備会社に就職するということは良くあることで要も自衛官を退官したら自分で警備会社を設立しようと考えていたのだ。ヤタガラスの副官をしていたことで自衛隊に限らず警察にもある程度のコネクションを持っている流石に大河が持っているものには及ばないが優秀な指揮官は部下にしてみれば無駄死にする可能性が低くなるだけでのありがたいもので将来性を考えると一般隊員や元特殊部隊員で構成された警備会社ともなると顧客からの信用度は他のものに比べ段違いとなる。
七時の時点で既に内閣危機管理室は立ち上げを終了しており、内閣総理大臣である中曽根をトップとして倉橋外務大臣、佐藤総務大臣、国枝防衛大臣と各省の次官レベルの官僚が集まって会議をしている。現場責任者である要を責める声は少ない。少ない情報のなかからベストな行動をしており、寧ろ要らぬ横やりを入れた超能力管理部長や直に総理に報告をしなかった佐藤大臣は非難された。
木野林檎の両親には国民保護法に基づく捜査協力書に署名が貰えたためこの時点を持ってナノマシンによる位置情報検索も解禁された。要も考えていない訳ではなかったが個人としての発言力は政府に対してないに等しい。源三の後押しもあって個人に対する誘拐に政府が動くには速いが警察が動く初動捜査においては最低のレベルだ。たらればの話になるが都知事による保護命令が出た時点で該当GIDの位置情報を検索し警察もしくは自衛隊が動いていれば現時点において犯人の確保および誘拐された林檎を救うことはできていたのかもしれない。
しかも少女ということで生命の危険はおろか貞操の危機もある。ギフトホルダーとはいえ軍事的な教育を受けていない林檎がどこまで拉致されているという状況に耐えられるかも不明で相手ギフトホルダーの情報が分かっていない現時点において無事救出されたとしても自衛隊士官学校への入学を拒否される可能性も否定できない。
精神感応系による洗脳を疑わなくてはならないし特異系による汚染も考えられる。精密検査をしてギフトホルダーによる検査をしても異常を検知できない可能性は完全に否定できない。ギフト研究によって大まかな分類と頻出するギフトはある程度は確認されているが完全ではない。特異系に分類される【降霊】などが有名で日本ではイタコの存在によって知っているものは居ない訳ではないが科学分野の発達した現代ではギフトによる確認ができなかったら確実に眉を顰められる痛い人か宗教団体のトップが自己の権威を護るために自称し信者に神の力として信じ込ませているにすぎないものとなる。
精神感応系で恐れられているのは【マインドジャック】精神に働きかけることにより対象の肉体の自由を奪い意のままに動かすことができ、このギフトが発現した者は潜在的な脅威として公安にマークされることになる。もちろん有効な使い方もある。記憶を消す薬は開発されているが時間的な制限がある。マインドジャックは攻撃的に使えば脅威となるが臨床心理医が使えば記憶の削除はできないが思い出すことが限りなく不可能にすることができる。科学の進歩している現在でも脳に関しては未知数なことが多い。ギフトの発現に関してもそうだが、人間は無意識のうちに脳にリミッターをかけ安全装置とすることで負担をかけないようにしている。このリミッターが外れた状態を火事場の馬鹿力と昔のひとは呼んでいたらしい。
危機管理室の方針は既に決まっている。
防衛大臣である国枝は不審船を拿捕したことによる情報の聞き出しを行う。国際条約において犯罪者に対しての拷問は禁止されているが、ギフトホルダーによる情報の引き出しは認められており国際裁判においても各国の裁判においても証拠能力を認められている。今までは政治的な配慮からギフト無効装置(GID)により危険を排除し通常の尋問しか行ってこなかったが、中曽根総理大臣の指示のもとで情報の引き出しは可能になった。
拘束された船員は黙秘を続けていたが今の状況が良くないことだけは分かっている。日本は昔のように甘い国ではない。憲法改正により当初は混乱した様子であったが自衛官たちは自分達が死ぬことを理解して任務に就いている。専守防衛は聞こえのいい言葉だが、撃ってこないとあらかじめ分かっているものに対して警戒するはずもない。憲法が改正されるまでは領空を侵犯してきた所属不明機に対して空自のパイロットは常に矛盾した状況のなかベストを尽くしてきたのだろう。同様のことが海自隊員にも言える。
撃てないのであれば所属不明機に対して警告程度の事しかできず、領空・領海外へと退去勧告を出すことでしか対処ができなかった。飛行機は精密機械の塊で先に撃たれたらフレア弾で回避できるようなミサイルであれば良いが銃撃までは防ぐことはできない。中国による横暴や北方領土問題と昔の政治家は苦労したことだろう。いまであれば警告は一度で済む。所属不明機に対して、所属と退去勧告を出した後に従わなければ撃墜も許可される。
ロシアなどでは航路を誤って侵入してしまった民間旅客機を撃墜することが数百年前にはあったようだが今ではあり得ない。各国は領空に関してはシビアになっている。各戦闘機・民間旅客機には所属を明らかにする義務があり固有信号によって保護されている。中国はその昔、日本の航空自衛隊により自国の戦闘機が撃墜されたと国際裁判所に提訴したことがあったが、日本の領空においてスクランブル発進した自衛隊機に従わなかったため撃墜された。
日本の有識者などは中国との関係悪化を予測し、人権保護団体・在日中国人によるデモが各地で発生した。日本政府は断固とした態度で撃墜した空自隊員を擁護した。撃墜と言ってもコックピットは狙っておらずエンジン部の被弾により失速し海に落ちただけである。中国側のパイロットも海自の護衛艦により身柄を拘束され外務省の交渉を得て日本を国外退去となった。
これまで舐められていた日本であったが真の独立をしたのはこの時だったとされている。空自隊員は国内で訴えられたが日本の現状を良く思っていなかった司法関係者および国民の手による裁判員制度によって罪を問われることは一切なかった。訴える側も空自隊員を特定している訳でもなく、国は情報公開法による情報開示を断固として受け付けなかった。当時の防衛大臣をオンブズマンが訴えたが大半の国民は政府の姿勢を評価した。このころから領土問題も解決の兆しをみせることになる。
この事件を契機に海自も不当に占拠された状態となっている島を実効支配状態から解放し、国際裁判所の判決において中国と争っていた島は正式に日本の領土となった。歴史的な背景から放置されていた北方領土もロシア側の歩み寄りによって日本の領土になった。このような下地があってこその現在の日本があると言っても過言ではない。
早朝から始められた会議は議論を重ねることになるが想定外の事態も起こっていた。




