陽だまり ~特製クッキーはあまさひかえめ?~
「ふふ、今日もたっくさん!」
空色のイチゴでいっぱいになったかごをのぞきこんで、メイは満足そうにうなずいた。かごの中のイチゴは、まるでくすぐるみたいな木漏れ日にてらされて、ほんとうにおいしそう。かごを置いて、ねむたそうな朝の風といっしょに、あまい香りを胸いっぱいに吸いこめば、メイはいつもうっとり、思わずためいきがでてしまう。
朝が来たばかりの雨あがりの町は、あわい霧のような光につつまれていて、まだ半分夢のなかにいるみたい。そんな町をすっかり見渡せる丘の上に、メイの家はあった。すぐそばには、おおきなヒカゲイチゴの樹がよりそうように立っているけれど、そのほかにはなんにもない原っぱが広がっているだけ。それにいまの季節はお花も咲かないから、メイはちょっと味気ないなぁなんて思っていたりして。
朝の陽だまりのなか、ひとしきりうっとりしたところで、メイはイチゴの、ふとくておおきな幹に背をあずけた。そのままするすると、猫が背中をこすりつけるみたいにしてすわりこむ。
「ありがとね。イチゴさん」
メイはいいながら、近くの根っこをなでなで。
メイがそうするときまって、ヒカゲイチゴの樹はゆたかな枝をさらさらと鳴らして、きちんとこたえてくれる。メイのだいすきな、世界に一本だけのイチゴの樹。こうして朝をいっしょにすごすのも、もう最後かもしれない。いままでおおきなハサミでぱちぱちしてごめんね。そんなことを思いながらこずえを見つめると、イチゴの樹はまた枝を鳴らした。だからメイは安心して、にっこり笑った。
メイのかんちがいかもしれないけれど、イチゴの樹が笑ってゆるしてくれたような気がして。
「さてっ」
メイはきゅうにぱっと立ちあがり、んーっとのびをすると、イチゴでいっぱいのかごを持ちあげた。あまい香りのあとから、雨あがりの匂いがふわり。
またね、と、イチゴの樹にむかってウインクをひとつして、メイは歩きだした。
「す、す、すてきなイチゴです~。あ、そういえばイチゴのケーキってあんまり作ったことないかもなぁ」
さっき作ったばっかりの歌をうたって、ひとりごとをいいながら、雨あがりの丘の上を歩く。あやうくスキップしそうになるけれど、メイはぐっとがまんした。だって、せっかくのイチゴが落ちてしまうといけないもの。このまえなんて、勝手口までイチゴの列ができてしまってたいへんだった。それに、家までほとんどはなれていないのだから、スキップもすぐにおわってしまうんだ。
「ん、しょっ、と」
メイは干してあったすみれ色の傘をどかして、すこしだけひんやりしたキッチンに入る。かごをかかえたメイがちょうど通れるくらいの勝手口は、ほんとうにぎりぎりで、いつも通るのにひと苦労。
キッチンの中には、きのうの夜に作った焼きプリンの匂いがまだのこっていて、メイは自然と笑顔になってしまった。ひと晩たったけれど、しっかり冷えたかな。今日のおやつのことに思いをはせながら、メイはイチゴのたくさん入ったかごを、調理台のはじっこのほうにのせた。ふーっと息をはく。
「さてっと」
あ、また言っちゃった。自分でも、ひとりごとがおおいかな、とは思うけれど、なかでもいちばんの口ぐせは「さて」の気がしていたり。このまえエナにいわれて気づいたのだけど、いったん気にしはじめてしまうと、言うたびになんだか恥ずかしくなってしまうから、ちょっとこまりもの。腕まくりをしながら、メイは心のなかでそんなひとりごとを言った。もしかしたら、ほっぺも赤くなっているのかも。
「だめだめっ」
両手のひらで、ほっぺをぱちん。焼きプリンとひとりごとのことはいったんあたまのすみっこに追いやって、調理台の下から、おもたくておおきな鍋を取り出す。なにかの金属でできているそれは、いまからのだいじな作業にはかかせない、特別な鍋。もち手のくるくるした感じが、メイのお気に入り。
メイはつづいて、ひらたい木箱をひっぱり出すと、そのままずりずりと足もとまで引きずってくる。メイが手をはなすと、木箱はぼふっという音といっしょに、白いけむりをはきだした。じつはまだ背伸びをしないと大鍋のなかを覗けないメイにとっては、この木箱もぜったいかかせない、特別な箱だった。とくにお気に入りのところはないけれど、しいていうなら、チョコレートみたいな色あいが好みかな。
「お昼になるまえに、すませなくっちゃ」
とんとんっ、と木箱にのってすこし背の高くなったメイは、小さな声でまたひとりごと。深呼吸をして息をととのえてから、とれたてのヒカゲイチゴたちを鍋のなかへていねいにならべてゆく。はじめからていねいにするのが肝心。だってちゃんとしていないと、イチゴたちがへそを曲げてしまうもの。
丘の上のお菓子屋さん。そんなふうになんのひねりもない看板が、メイの家の前には立てかけられている。一階は、キッチンのほかはそっくり喫茶店のようになっていて、けっして広くはないけれど、あたたかいお茶といっしょにお菓子がたのしめる、メイの自慢のお店。もともとはメイのおばあさんのお店だったのだけれど、いなくなってしまってからは、メイがひとりでお菓子屋さんをつづけている。ちなみに二階には、メイの部屋もある。そろそろ荷物をまとめおわらないといけないなぁと思っているけれど、メイはなかなかできずにいた。
そんなお店のキッチンのなか、メイが朝からせっせと取りかかっているのは、あまいあまい砂糖づくり。いちばんだいじな、お菓子のいのち。焼きプリンも、みかんのケーキも、メイの特製クッキーだって、みんな砂糖がないとつくれないのだから、すこし時間はかかるけれど、おやすみなんてしたらたいへんだ。きょう作ったお砂糖は、きっとつかいきれないと思うけれど、メイの顔はいつもとかわらず、真剣そのものだった。
「よう」
「ひゃあっ」
「いつもご苦労さん」
カウンター横の出入り口からあたまだけをひょっこり覗かせて、ミーシャおじさんがにっこり笑っていた。ちょっとこわい。
「……もう。おじさんたら、来てくれたなら、教えてくれたっていいじゃない。びっくりしちゃった……」
メイはどきどきする胸をおさえながら、ちょっとむくれてみせる。
「ははっ、すまんすまん。あんまり熱心だったもんで、声をかけづらくてな。こっそり入ってきちまった」
右手で銀髪あたまをかきながら、おじさんはまた陽気に笑った。まったくもう。
「むう。えっと、そうね、じゃあ、もうすぐおわるから、席にすわって待ってて? お茶、いれるね」
「あいや、茶はおれがいれよう。メイはそれに集中するといい」
「あっ、ほんとに? ありがとう。それじゃ、お願いしていいかしら」
「おう。すんだらひとつ休憩としよう。今日はいい茶葉を持ってきたんだ」
「あら、それはたのしみね」
メイがこたえると、まるでないしょ話でもするみたいに、ふたりして肩をすくめてくすくす。おじさんにはほんとうに、くやしいけどお世話になりっぱなしだ。やかんを火にかけるおじさんの背中をみつめて、メイはまたひとつ、ちいさく笑った。
おじさんがポットをもって向こうへひっこむと、メイはまた砂糖づくりに取りかかった。
うしろの本棚から、おおきめの本を一冊、ひっぱり出してきて調理台のうえにひろげる。
いまにもページが落ちてしまいそうなこの古いレシピ本は、ミーシャおじさんいわく、メイのおばあさんの直筆なのだとか。ひらかれたページには、ヒカゲイチゴの実から砂糖をつくる道すじが、こまごました筆記体で、ことこまかに記されていた。
レシピを見るのは、試験だったら怒られてしまうけれど、いまはだいじょうぶ。それに、試験なんてかんたんに思えてしまうくらい、砂糖づくりはメイにとって複雑で、むずかしいものだった。
「このおわりのところ……」
メイはぐっと顔を近づけて、でこぼこだったりしわしわだったりする紙の上を、指でなぞった。最後の砂糖づくりくらいは、自分ひとりでやりとげてみたかったけれど、やっぱりまだまだ不安。メイはもうなんどもこのページを読んでいるのに、最後のしあげがどうしてもわからなくて、レシピなしにはこわくてできなかった。だけどこのくるくるした文字が、自分のおばあさんのものだと思うと、メイはふしぎと安心してしまう。おばあさんの顔も、声も、ほとんど覚えていないのに、へんなの。そんなことをいつも思う。
「……できたっ」
おわりに右に三回、左に五回木べらでかき回せば、あとはまつだけ。メイはふーっと長いため息をついて、こわばっていた肩のちからをぬいた。これでひと安心。すると、ふわっと思いだしたように、おいしそうなお茶の香りがメイの鼻をくすぐった。
メイは立てかけておいたふたをとり、すこしお祈りをしてから、かぽっと鍋にのせた。そうだ、せっかくだから、朝ごはんにしちゃおうっと。メイはそう思いたつと、慣れた手つきでぱぱっとサンドイッチをこしらえて、特製クッキーといっしょにお盆にのせた。そのままおじさんのテーブルにかけていく。今日のはどんなお茶なのかなぁ。メイはわくわくで胸がいっぱいだった。
「あれ? エナ?」
「……や、やっほ」
すみっこの四人がけのテーブルには、ミーシャおじさんともうひとり、ふわふわ髪の女の子がすわっていた。
「きょう、早く目がさめちゃって、おじさんについてきた」
そういって、おはよ、とひかえめにほほえむエナ。
「ん、おはよ! ふふっ、エナがこんなに早起きなんてね」
からかいぎみにいいながら、メイはエナのとなりに腰かける。お盆を置くと、かちゃん、と食器が鳴った。
「……わたしだって、いっつもねむたいわけじゃない」
エナは、独特の、すこしハスキーな声でいいかえすけれど、べつだん怒っているわけじゃない。そんなことよりも、メイがとなりにすわったときに、ふわっと、メイのあまい香りがしたものだから、うれしさのほうが何倍もおおきかった。そんなことは、ぜったいにメイにはいえないけれど。
「あははっ、冗談だよー。んーでも、ほんとびっくりしちゃった。あ、ほらほら、エナも食べよ? 朝ごはん! だいじょうぶ? おなかすいてる?」
「ん、とっても」
「よかった!」
エナの笑顔を見て、メイはもうひと安心。たりないといけないと思って、すこしおおめにもってきてよかったなぁと、メイは思った。これなら、ちょうど三人分くらいだ。
「さ、茶がはいったぞ。お嬢さんがた」
「あ、ありがと」
「わあっ、ありがと! いいかおり~」
湯気のたつカップが、メイとエナの前にさしだされる。思わず笑顔になってしまうくらいすてきな香り。覗きこめば、透きとおった深い色をしたお茶が、くるくると宝石みたいにひかっている。メイとエナは、顔を見合わせて、すてきだね、とにっこり。
「気にいってもらえたかな?」
おじさんがたずねると、メイはぱっとおじさんのほうへ向きなおって、こくこくとなんども頷いた。そのときのメイの顔といったら、なにもいわなくてもひと目でよろこんでいるとわかってしまうほど。そんなきらきらした目で見つめられたミーシャおじさんも、クッキーをかじりながら、しんそこ満足そうだった。
「あっ、だめだよ! クッキーは最後なんだから!」
「いいだろう、順番なんて」
「よくないっ。みんなでいっしょに食べるの!」
かと思ったら、こんなたあいのないことで小競り合いがはじまったりする。
「……まあまあ、ふたりとも」
ひさしぶりのにぎやかな朝ごはん。こんな日がいつまでも続けばいいのになぁと、メイは思った。だけどそれも、今日でおわり。夢がひとつ叶うのは、もちろん跳びあがるくらいにうれしいけれど、みんなと離れてしまうのは、やっぱりさみしい。そのさみしさをうち消すように、メイはふたりと食べる朝ごはんをめいっぱい楽しんだ。
ぽつん、ぽつん。ぱらぱら。
お昼がすぎて、おやつもすんだころ、この町にはいつも雨がふる。
みかん色の空が隠れて、だんだんとすみれ色の雨空に染まっていく。丘の上の原っぱに雨つぶがはねて、一瞬だけきらきらとひかったと思ったら、まばたきを三回もするころには、もうあたりはざあざあぶりになってしまっていた。
こんな夕立が、毎日のようにあるものだから、町のひとはたいへん。ほとんどのひとはとなり町へはたらきに出ているから、帰りはいつもびしょぬれになってしまう。もしも傘をわすれたなら、きっとひどい風邪をひいて、つぎの日はおやすみしないといけないかもしれないほどだ。
だけどメイは、この町にふる雨がだいすきだった。雨の音を聴いていると、ふしぎと心がおちつくし、雨がふっているときの風の香りは、メイの胸のおくに染みこんでは、なんだかやさしくて、ちょっとだけせつない気持ちにさせてくれる。こんな香りのするお菓子なんて、いったいだれが作れるのだろう。
「ふって、きたね」
メイがお店の入口から顔を出していると、うしろからエナの声。
ミーシャおじさんは、しごとしごと~なんていいながら帰ってしまったけれど、エナは朝ごはんがおわってからもずっとここにいてくれている。帰らなくてもだいじょうぶなのかな、と、メイは思うのだけれど、エナがなにもいわないから、メイもむりに訊いたりはしなかった。
「うん。ようやくね」
ばたん。からんからん。
ドアをしめながら、メイはふりかえってこたえた。いよいよ、最後のおしごとだ。
「お菓子屋さん、オープン、だね」
エナはうれしそうに、だけどひかえめにほほえみながら、メイに目配せをした。
じつはメイのお菓子屋さんは、おやつのあとに始まる、ちょっと変わったお店。丘のはんたいがわにあるとなり町から、びしょぬれになりながら帰ってくる町のみんなに、雨宿りしていってもらうためだった。
クッキーの焼けるいいにおいが、テーブルのほうまでただよってきた。メイもちいさく笑ってこたえると、エプロンのひもを結びなおしつつ、キッチンへと歩いてゆく。
「ね、メイ」
すれちがったところで、エナがメイを呼びとめた。
「ん? なに?」
ふりかえってエナを見る。エナはまだドアのほうを向いたままだった。
「メイは、どんなお菓子屋さんに、なりたいん、だっけ」
「どんな、って?」
メイのバンダナを巻く手がとまる。どんなって、どういうことだろう。メイはなにをこたえたらいいのかわからなった。どんなお菓子でも作れるお菓子職人さん? それとも、だれもしらない新しいお菓子を作るひとかな? 理想はたくさんあるけれど、まだしっかりと決まっているわけではなかったから。
「んー……まだちゃんと決めてないや。でも、どんなお菓子屋さんになっても、みんなを笑顔にできるお菓子屋さんがいいなぁ」
メイはちょっと照れ笑い。自分の夢のことを話すのは、やっぱり照れくさい。
そんなメイの声を聴いたエナは、くるりとふりかえって、なんだか安心したみたいに笑った。
「ん、メイ、まえにも、いってた……わたしのお菓子をたべてくれたひとが、笑ってくれたらいいな。って。笑顔になってくれたら、それでいいの、すっごくしあわせなの。なんて、たのしそうに」
「えっ、うそ、まえにもいったかな? えっと、ちょっとまって、いますっごくはずかしい……」
「ん、いってたよ。もう、だいぶまえだけど。そ、それに……ぜんぜん、はずかしくない」
すてきだとおもう。と、エナはいったつもりだったけれど、もともとちいさな声がもっとちいさくなってしまったから、きっとメイには聞こえていない。
「えへへ、ありがとっ。でも、やっぱりはずかしいよ。夢のこと話すのって」
メイはそこまでいうと、すこしほてったほっぺをぱちん。とことこと、いそぎ足でキッチンへむかう。クッキーが焦げてしまったらたいへんだもの。メイのお店の看板メニュー。最後の日に焦がしてしまうなんて、そんなのかなしいったらないんだから。
となり町にある、有名なお菓子の学校。そこでお菓子の勉強をするのが、メイの夢の、はじめの一歩だった。そしてその一歩が、あしたからほんとうのことになる。いまよりもずっとお菓子のことを知って、自分のなりたいお菓子屋さんに、すこしでも近づくんだ。メイはどきどきしていたけれど、それよりも、新しい世界にわくわくしていた。
だけど、となり町の学校に通うのは、丘の上のからだと遠すぎて、とても授業にまにあわない。だからメイは丘の上の家をはなれて、学校のすぐ近くの寮に住むことになっていた。あしたからお店をおやすみしないといけないのは、それが理由。
からんからん。
メイがミーシャおじさんに教えてもらったやりかたでお茶を用意していると、お店のいりぐちが鳴った。つづけて、エナがキッチンにかけてくる。
「メイ、お客さん、きたよ。おじさんもいっしょ」
「あっ、エナありがとう。ふふ、みんなに笑顔になってもらわないとね。雨宿りしにきてよかったって」
お菓子たちのあまい香りのなかで、メイはウインクをひとつ。それから、肩をすくめてにっこり笑った。雨あがりのおひさまみたいな、あかるい笑顔だった。
傘立ては、すぐにいっぱいになってしまった。
どうやらミーシャおじさんが、おしごとの帰りに町のひとたちをさそってくれたみたいで、お菓子屋さんのなかは、いつもより席がうまっている。この時間はいつも、ちょっとしたパーティのようになるのだけれど、今日は段ちがいにすごかった。なかには、メイがひさしぶりにあう友だちもいて、メイはお菓子とお茶をはこびながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、おおはしゃぎ。どのテーブルへいっても、メイは人気者だった。
そんなメイをすこしとおくから見まもりながら、エナはお店のお手伝い。いつもよりたくさんのお客さんがきてくれたから、メイひとりだけではきっとたいへんだと思って、手伝わせてもらうことにしたのだった。
空っぽになったお盆をはこびながら、エナはミーシャおじさんのほうをちらり。おじさんは今日あったことや、きのう手に入った自慢の茶葉のおはなしをしていたけれど、エナに気づくと、いったん話をやめて、ちいさく手招きをした。エナはお盆をおいて、はや足でかけていく。
「いやあ、今日も盛況だな」
ちょっといたずらっぽく笑いながら、おじさんはいった。
「ん、ほんとに。わたしも、びっくりしてる……」
エナもちいさな声でこたえる。メイがほんとうに楽しそうで、エナもうれしかった。
「ふたりとも、なんのおはなししてるの?」
「あっ……」
いつのまにか、メイがすぐ近くにいたものだから、エナは思わずからだがびくっとしてしまった。
「ん?」
きょとんと、すこしふしぎそうなメイ。
「なに、たくさん来てくれてよかったなっつう話さ。こんなに来るのも、めずらしいだろう」
「うん、ほんとに! すっごくうれしい……泣いちゃいそうだよ~」
そういうとメイは、両手で胸をおさえて、感慨深そうに、ためいき。ほんとうに泣いてしまいそうなくらい、メイはうれしそうで、それを見たおじさんも、つられて泣きそうになってしまうほどだった。
「メイちゃんメイちゃん!」
うしろのほうの席から、声がかかった。
「ほらほら、呼ばれてるぞ」
「もう、おじさんたら、わかってるってば。はあい!」
いっしゅんだけ唇をとがらせてから、メイはおおきな返事をしてかけていった。
まったく、最後の日にこんなにたのしくなってしまうなんて、さみしさがよけいにおおきくなっちゃうじゃない。そんなことをメイは思ったけれど、なんにもなくてしずかにおわるのと、たのしくおわるのだったら、たのしいほうがいいに決まっていた。メイはこんなかんたんなことに気がつかなかった自分に、すこしあきれてしまう。みんなかわらず、来てくれてよかったなぁ。メイは心からそう思った。
ちいさな、だけどいつもよりはおおきなお菓子パーティは、雨がふりやむまで続いた。パーティといっても、あとのほうなんてほとんど注文はなくて、みんなただおしゃべりをして遊んでいるだけだったのだけどね。
夕立はいつも、思ったよりもはやく上がってしまう。もうすこしだけ、長続きしてくれてもいいのになぁ。お菓子屋さんのメイは、毎日のようにそんなことを思う。
さて、と、だれかの声がする。みんな雨宿りがすんで、うちへ帰ってゆくんだ。
「あのっ、みんなちょっとまって!」
いつもなら、またあした、なんていいながら、笑顔で手をふるのだけど、今日はちがう。みんなに伝えないといけない。となり町でお菓子の勉強をすること、そのためにあしたからお店をおやすみすることを。
立っているひとは足をとめて、立ちあがろうとしていたひとはすわりなおして、みんなそろってメイのほうを見た。
「わたし、みんなにいわなきゃいけないことがあるの。じつはね――」
「メイっ」
とつぜん、エナがメイの服のそでをぎゅっとつかんだ。
「えっ、なに?」
いきなりのことに、メイはびっくりしてしまって、きちんと話すことができない。
「ごめんっ……わたし、しゃべっちゃった……みんなに」
「え、それって……?」
「ごめん……見ちゃったの。キッチンのカレンダー。メイ、予定はぜんぶ、そこに書くでしょう……?」
エナの表情は、まるで砂糖のはいっていないチョコレートを口いっぱいふくんだみたいだった。
そこでメイはようやく気がついて、まわりを見る。
みんながみんな同じように、やさしい顔をしていた。
もしかして、わけ知り顔ってこういうののことをいうのかもなんて、メイは思った。
なんだか全身から、いっきに緊張がぬけてしまって、メイはそのまま床にすわりこんでしまいそうになる。
「ほんとに、ごめん……メイ、怒った……?」
不安そうな、エナの声。
メイがいままで、このことを隠していたのは、みんなにむりに気をつかわせたくなかったからだった。
みんなだって、おしごとはいそがしいはずだし、もしも雨がふらなかったら、きっと雨宿りにもきてくれないと思っていた。それくらいで、メイはよかった。メイのクッキーを食べて、すこしでも笑ってくれるだけで、うれしかった。それよりたくさんメイが求めてしまっては、みんなにもうしわけない。そんなふうに思っていた。
だからメイは、最後の日まで、いつもと同じようにお菓子屋さんをつづけて、みんなが帰るときに、だまっていたことをうちあけるつもりでいた。そうすれば、みんながむりに気をつかわずにすむと思ったから。
「んーん、ぜんぜん怒ってなんかないよ……」
だけどもしかしたら、かえってみんなに悪いことをしてしまったかもしれない。いまのメイはそんな気持ちでいっぱいだった。
「わたしったら、なんて失礼なこと、しちゃったのかな……」
ごめんなさいの気持ちと、ありがとうの気持ち。
ふりむくと、エナの安心した顔があった。
「もうみんなは、知ってたんだよね……?」
もういちど、みんなのほうを見ると、ミーシャおじさんがいつのまにか近くにいて、まるでみんなを代表するみたいにうなずいた。
「まったく、水臭いったらないっての。エナからきいたぞ。おれたちみんな、メイに呼ばれりゃすっ飛んでくってのにな」
そういって、おじさんはまた陽気に笑う。みんなも、そうとも、とか、あたりまえでしょ、なんていいながら、いっしょになって笑っていた。
「……っ、もう、なんにもいわないで。なんにもいわないでいいからっ」
みんな、ありがとう。ごめんなさい。
きっと夕立なんかこなくても、みんなきてくれたんだ。メイはそれがわかってしまって、どうしようもなくうれしくて、なさけなくて、涙があふれてしまった。自分がはずかしい。
思わずエナに抱きついて、ありがとうと、ごめんねを、なんどもいった。
「……メイ、なかないで、笑って、ほしいな」
だいすきなメイに抱きつかれたエナは、自分でも信じられないくらいどきどきしてしまった。泣きだしてしまったメイのあたまを、ぎこちなくなでる。メイが怒らなくて、ほんとうによかった。そんな気持ちもぐるぐるまざって、エナの胸のなかは、砂糖のたっぷりはいったミルクティのような、すてきな甘い香りにみたされていった。
からっぽの傘立て。
雨はすっかりやんで、空は澄んだ青紫色の、たかいたかい星空になっていた。
ふだんはほとんど使わないベランダ。メイとエナはふたり並んで、すこし近くなった星空をながめていた。
「まったくもう。わたしったら」
メイはすっかり泣きやんだけれど、さっきからこんなことばかりつぶやいている。エナはなんて声をかけていいのか、わからなくて、気にしなくていいよ、と、ほほえむことしかできなかった。
だれもしゃべらない夜の丘の上は、風もなくて、ひどく静かだった。
「メイの、笑顔、おひさまみたい、だったよ」
エナは思いきって、メイに話しかける。
「おひさま?」
「ん。おひさま。きっとね、だれかの心が、雨ふりでも……メイがいれば、晴れ間がみえたり、するのかも。なんだかそれくらい、明るい……」
「そうかなぁ。えへへ、そんなこといわれると、また照れちゃうよー」
いいながらメイは、ちいさく笑った。
「あ、よかった」
「えっ、なんのこと?」
「だって……また笑って、くれたから」
「もー、エナはそんなこと気にしてたの? へいきよ、わたし」
「……さっきまで、へいきそうじゃ、なかった」
「いまはへいきなのっ。……ごめん、また気、つかわせちゃったね」
メイはさっきとちがって、ちょっとかなしそうに笑った。こんどはお月さまみたいな笑顔だった。
「みんな……笑ってくれた、ね」
エナは勇気をだして、カレンダーを見てしまったときから思っていたことを、メイにいうことにした。いまいわなくちゃ、もうずっといえないような気がして。
「そう、だね……ほんと、とってもうれしかった」
ちょっとだけ涙声になりながら、メイはこたえた。
「笑って、くれるんだよ、みんな……」
「……エナ?」
エナがきゅうに、メイのほうに一歩ふみだしてきたものだから、メイはすこしとまどってしまって、思わずエナのなまえを呼ぶ。
「メイの夢、わたしにっ、聞かせてくれた夢……みんなを笑顔にできる、お菓子屋さんになりたいって。……それって、もう、叶ってたり、しないのかな……? いまのままで、いるの、だめなのかな……?」
うるんだ両目からぽろぽろと涙をこぼしながら、エナはとぎれとぎれに、ことばをしぼりだした。メイが泣きやんだと思ったら、こんどはエナのほうがたえられずに、泣きだしてしまうなんて。そんなエナを見て、メイはどうしていいかわからずに、あたふた。
「えっ、えっと、エナ? 泣かないでよ、んーっと……」
メイはしかたなく、さっきのお返しに、エナのふわふわ髪のあたまをなでた。
「……わたし、さみしいよ」
ずっといいたかったことだった。
メイになでられたままのエナの声は、涙でよけいにハスキーになっていた。
「たしかに、エナのいうとおり、みんなを笑顔にできたよ。エナはそれに気づかせてくれたの。それはね、そのことはね、わたしも、すっごくうれしいんだ……だけど、わたしがめざすお菓子屋さんになるためにはね、まだまだぜんぜん、たりないの。ほんとにもう、これって、わたしのわがままなんだけど……自分の納得できるところまで、いってみたいの。だから、ごめんね」
夜の、ソーダ水みたいな風がふいて、ヒカゲイチゴの樹がさらさらと鳴った。
「……そっか。そうだよ、ね。……ごめん、へんなこと、きいて」
「んーん。思いきっていってくれたんでしょう? そんなこと気にしないで。だってうれしいんだもの」
メイはまた、おひさまみたいに、にっこり笑った。
メイは、いつも早起き。
今日もいつものように、鳥たちよりもはやく目がさめた。
となりでくーくー寝息をたてているエナを起こさないように、そおっとベッドを抜けだして、てきぱきと荷物をまとめる。
おばあさんのレシピや、だいじなものをつめられるだけつめて、最後に、イチゴから作った砂糖のはいった瓶をいれて、きゅっと、おおきなカバンの口をしばった。けっきょく、砂糖は使いきれなかったなぁ、なんて思いながら、おもたいカバンをもちあげる。
「よい、しょっと! ああもう、なんておもたいのかしら」
「んぅ……メイ……?」
「あっ、いけないっ」
メイのひとりごとのせいで、エナが目をさましてしまった。ぜんぶ準備ができてから、そっと起こしてあげようと思っていたのに。
「ん、かばん、おっきいね」
「うん、なかなかちいさくまとめられなくって。エナ、まだ寝てていいよ?」
半分夢のなかのエナをみて、メイは苦笑いしながら、やさしく声をかけた。
「だいじょぶ。もう、起きるよぉ」
ベッドの上から落っこちそうになりながら、エナはふらふら。緑色のパジャマがずりおちて、かたほうの肩が見えてしまっている。
「もう、むりすることないのに。お着替えは、そこにあるからね。わたしはこれを下に置いてくるけど、どっかいっちゃったりしないでよ?」
「はぁい」
ふらふらのエナを背中に、メイはおもたいカバンをもって階段を一段ずつおりる。まちがって踏みはずしてしまわないように、しんちょうに、しんちょうに。
階段を下までくだりきると、ちょうどテーブルの並んだところに出る。とすん、とカバンを置いて、すこしためいき。特製クッキーのあまいにおいが、かすかに香った。
きのうはほんとうに、いろんなことがあったなぁ。空っぽの席をみわたしながら、メイはなんだかしみじみしてしまった。
「メイー」
まだねむたそうな、エナの声。メイはカバンを傘立ての近くまでよせると、はあい、と返事をして、二階まで一段とばしでかけあがった。
みじたくをすませたメイとエナは、朝のふんわりとした空気のなか、ヒカゲイチゴのところまで歩いていった。
「なぁんで、おじさん、いるの?」
まだまだねむたそうなエナは、木陰にいたミーシャおじさんをみつけると、あくびまじりにいう。
「お、きたな。そろそろ来るころだと思ってたところさ」
「おじさん、どうしたの? こんなに朝早く」
メイがたずねると、おじさんは愛情をこめて、イチゴの樹をぺちぺちとたたいてこたえた。
「なにって、メイの見送りに決まってるだろう」
「え、あっ、ほんとに? うれしい」
あいかわらずの、くすぐるみたいな木漏れ日にてらされて、イチゴの木陰は、きらきらと、たえまなくひかっていた。ここにしかない、ちょっと変わったちいさな陽だまり。
ここをはなれないといけないと思うと、やっぱりさみしい。イチゴの樹にあいさつしなくちゃ、なんて思ってきたのはいいけれど、いざきてみると、こんなにはなれたくなくなってしまうなんて。
「エナもよかったな、メイといっしょに寝れて」
「うるさいなぁ」
となりのエナを見ると、ぷいっとそっぽを向いてしまっていた。それを見たメイとおじさんは、いっしょになってくすくす。
「まあ、なんだ。なにかつまづいたり、つらいことがあったりしたら、いつでも戻ってくるといい。おれの店はあっちのほうだけど、こっちのほうに来るくらい、わけないんだからな?」
「うんっ、おじさん、ありがとう。それじゃあ、そうね、会いたくなったら手紙、おくるね。エナにもおくる! そのときは、このイチゴの樹のまわりに集合ね!」
「おう。いいとも。ここが帰る場所ってわけだ」
「かえるばしょ……なんだか、すてきだね」
エナがメイの手をにぎって、ほわほわといった。そんなエナのやわらかい笑顔を見て、メイは、そろそろ目が覚めてもいいんじゃないのかしら、なんて思って、そうね、と、また苦笑まじりにこたえた。
ヒカゲイチゴの枝がさらさらと鳴って、あまい香りがふわりと、ちいさな陽だまりの中でうずをまいた。
メイたち三人は、イチゴの樹にならんで腰掛けて、最後の朝をゆっくりとすごした。
このイチゴの樹が、わたしの帰る場所。
メイは胸に手を当てて、もういちど、そのことばをかみしめる。
「さてっ、じゃあ、わたし、そろそろいくね」
メイはぱっと立ちあがると、どこかすがすがしい表情で、おもたいカバンをしょいあげた。
「おう、気をつけてな」
「また、ね」
エナも、ミーシャおじさんも、もうよけいなことはいわない、そんな感じだった。
メイは丘の向こうへと歩きながら、なんどもなんどもふりかえっては、おおきく手をふった。エナもおじさんも、メイが見えなくなるまで、手をふりかえしつづけた。
これからあるく道、きっといろんなことがあるのだろうけれど、どんな壁にぶつかっても、帰る場所、イチゴの陽だまりを思い出して、のりこえていこうと、メイは思った。思うことができた。なんだかわくわく。すごくすてきな香りのする未来がくるような、そんな気がした。かんちがいかも、しれないけどね。
ふふっ、と、メイがほほえむ。朝のねむたそうな風にふかれて、メイの長い髪がふわっとゆれた。
ぐうたらパーカー(一見夕)さんの企画、「陽だまりノベルス」にまたまた参加させていただきました! 今回のアンソロジーのテーマはずばり、「陽だまり」。すこしでも花をそえられればと思います。どうぞよろしくお願いします。