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Episode 04






 海上都市、商業開発地区。

 ここは将来的に多数の企業が店舗を構えるための、所謂ショッピングモール街になる予定の区域だ。

 しかし建設業者と企業の間でのトラブルにより着工が遅れ、開発は行き詰まり途中で放置されてしまっている。骨組みの鉄骨が組まれただけのものや、壁をコンクリートで塗り固めただけの建物が殆どであった。

 工事中として周辺一帯をロープで囲ってはいるが、警備員がいるわけではないため進入する事自体はいとも容易い。

 周囲の景色と人気のなさは、それはさながら廃墟といえるだろう。

 その地区の一角。三階建てのビルの二階に白咲雛乃は身を隠していた。室内ではあるものの窓ガラスのない四角い穴がそこかしこに空いており、そこから冬の冷たい風が無遠慮に雛乃の身体を冷やしていく。

 寒さで身を縮こませながらも雛乃は寒さに耐える。自販機で購入した缶コーヒーを両手で握り締め、その温もりに縋っている。


「まったく、冗談じゃないわ」


 ここ一週間は毎晩こんな調子だった。雛乃は凍死しない自分を褒めてやりたい位だった。

 黒いコートを羽織るも、まるで暖を取れる様子はなく身体の芯は冷え切っていた。冷たいコンクリートの床も相まって、雛乃の小さなくしゃみがその階に響く。


「なんで私がこんな目に合わなきゃなんないのよ」

「仕方あるまい。自宅は何やら物々しくなっていたからな」


 寒さに震える雛乃を尻目に、周囲の温度など意に解する必要のない24は答える。

 巧を襲ってからしばらくの後。自分の周囲を探っているであろう人物の存在に雛乃は逸早く気付き、行方を眩ませることにした。

 当面はホテルやら何やらで凌いでいたが、自宅に戻れないために所持金はすぐに底を尽いた。繁華街で優しい人物からの手厚い奉仕、という名の恐喝で食い繋いでいたが、とうとうその辺りも限界となり現在に至る。


「そっち、暖かそうね…」


 とうとう目も虚ろになり、雛乃は現実逃避を始めた。手にした携帯電話の画面を見つめながら、そこならば気温も何も気にする必要はないだろう。と考える。


「いけないな雛乃。逃避は何も生まないぞ」


 いよいよもって限界が近づく。

 寒さに耐え切れず、缶コーヒーのプルタブを空け中身を一気に喉へと流し込む。既に微温湯同然だったが、雛乃にとっては露天風呂に入ったかのような気分だった。

 それも束の間。身体の内から温まるそれは外気の冷たい風に対して、焼け石に水でしかなかった。


「変な連中はうろついてるし、変質者にまで追われて散々よ」

「人気者の性だな」


 24の嫌味に突っ込む気力もなく肩を抱く。


「…?」


 ふと、壁の四角い穴から光が見えた。

 無人であるはずのこの地区に光が指す事はなく、ましてそれが動いているのであれば何か異変があると思うのが普通だろう。

 雛乃が光が見える穴へと歩み寄り、見つからないようそっと覗き込む。

 数台の乗用車と大型の黒いワゴン車が一台確認できる。先ほど見えた光は車のヘッドライトのようだ。

 その周囲には人影も見える。ざっと見た限りでは、およそ十数人といったところだろうか。夜で距離もある事から、容姿や性別までは確認出来ない。


「どう思う」

「98%我等狙いだろうな」


 残りの2%がなんなのか興味はあったが、そんな軽口を言っている暇もなさそうだ。


「変質ストーカーの相手でも手一杯だってのに。人の気も知らないでさ」


 幸いな事にまだこちらには気付いていないようで十分な距離はある。外に居る者達に気付かれぬよう、雛乃は姿勢を低くしその場から移動を始める。







「どうしてこんな事になったかな」


 何処か遠くを眺めるような目をしながら巧は肩を落とす。

 今、巧の目の前には廃墟と呼ぶに相違ない建設放棄された多数の建物と、それを前に物々しい顔つきの警官が数名。実際には警官ではなく、あくまで警官の衣装を着た萩李の私設部隊だと石垣が言っていた。

 がたいのいい警官の制服を着た男達に囲まれた中、私服にコートという姿の巧はなんとも浮いていた。

 いや。浮いた存在は他にも居る。


「巧君、準備できたよ」


 右手を上げて軽く手を振りながら、石垣が巧の元へと走り寄る。その姿はいかにもなサラリーマン風の背広姿で、見ようによっては私服警官に見えるかもしれない。

 萩李の指示で出動した私設部隊が、この周辺一帯を包囲する形で展開しているらしい。万一、一般人に見つかってもいいように全員に警官の制服を着せているとのこと。

 ますますもって萩李の事が分からなくなった巧は頭を抱える。その表情を察したのか、石垣も苦笑いを浮かべる。


「やっぱり色々と変だよね」

「変の一言で片付けられないから恐いんです」


 萩李の掴み所のない態度と言動の数々。しかしそれとは変わり、このような有事の際には周到に人を使いその場にいなくとも実行できる人材を揃え、尚且つそれを纏め上げる才を発揮する。

 巧は素直に、萩李は敵にしたくない人間だと思った。

 そんな二人を横目に見つめる者が一人。この寒い中黒いワンピースにコート姿のアストだ。右手には、刀身の代わりに正三角形のくっ付いた柄を持っている。

 遠巻きに巧と石垣を見つめていたアストであったが、それに気付いたのか巧がアストの方へを視線を向ける。互いの視線がぶつかり、アストはふいっと顔を背けるとその場から離れるように立ち去る。


「…俺、嫌われてます?」


 特に好かれるような事もした覚えはないが、避けられるかのようなアストの態度に巧はどうしたらいいものかと悩んでいた。

 彼女を意識しているわけではないが、萩李からの指示で彼女と行動を共にする事は決して少なくはなかった。その際にも会話らしい会話は皆無に等しく、終始無言であることも珍しくはない。


「俺も彼女とはあんまり話さないからねえ」


 ぼりぼりと頭を掻き毟りながら、石垣は遠ざかる彼女の後ろ姿に視線を向ける。

 姫神アスト。データを持ち、萩李に近しい人物。彼女もまた、色々と謎の多い存在だった。

 夜の静寂の中、携帯の着信音が鳴る。聞き覚えのあるそのメロディは石垣のものだった。


「石垣です。はい、準備できました」


 相手は萩李のようで、石垣は真剣な面持ちで話している。その間にも、周囲の警官風の人達は各々の所定の位置へと散って行った。彼等は周辺の警戒とこの場所の安全を確保を担当するらしい。

 話が終わり、石垣が電話を切る。


「それじゃあ巧君。気をつけて」


 石垣は軽く手を振ると、巧に背を向けワゴン車の方へと歩いて行く。

 ワゴン車の中には何に使うか分からないような、用途不明の機械や機材がぎっしりと敷き詰められていた。さながらそれは中継車のようで、外からは普通のワゴン車にしか見えないようカムフラージュされている。

 後部ドアをスライドさせ、石垣は狭くなったワゴン車へ乗り込む。

 各所に配置した部隊には小さな小型カメラを身に着けさせ、その映像はワゴン車内のモニターで随時チェックできるようになっている。

 未だモニターに映るのは廃墟同然の工事現場と、あるいは周囲に広がる森の風景のみ。


「さて…何も起きなきゃいいんだけど」


 現場での初仕事ということもあり、石垣は緊張していた。その心中は、何も起こらないで欲しいという考えが非常に強かったのは言うまでもない。






 石垣と別れ、巧とアストの二人は人気のない工事現場を歩いていた。

 周囲に人の気配はなく、時折吹く冬の冷たい風が建築途中の建物にぶつかり嫌な音を響かせる。地面は整備されておらずむき出しの土と小石が入り混じった砂利が多く、二人の足音はかなり目立つ。

 61の探査によりこの周辺にデータを持った雛乃がいることは確定しているが、詳しい場所までは自分にも分からないらしい。


「この周辺にはまだ情報網が張り巡らされていないからな」


 建造途中の建物はまだ外観さえ出来ていないのが多い。探査能力に優れる61の力も、覗き見るための入り口がなければその力を完全には発揮できないという。

 無秩序に並べ立てられた建物の影響もあり探査範囲はかなり落ちている。電波が届かず、感知するのも一苦労らしい。


「だが確実にこの近辺に潜んでる。この間のように油断するんじゃないぞ」

「分かってるよ」


 油断した覚えはないが、確かに丸腰の自分では戦力にはなり得ないだろう。

 此処に来る際、何か護身用にと思い家中を探したが、そう都合よく武器足り得るものはなかった。だが幸いな事にここは工事現場だ。


(いざとなれば、武器には困らないな)


 鉄パイプや角材。見渡す限りそういった物に不自由しない事は果たして幸いか。当然それは、相手も同じように武器には困らないということになる。

 白咲雛乃。

 彼女は限定的ながらも物体を自在に操る事が可能だからだ。

 視界が狭いこんな状況だからこそ油断すべきではない。巧は気を引締め、注意深く周辺を見渡す。

 ふと、自分の前を歩くアストの背中に目が留まった。

 こんな寒空の下、表情一つ変えずに彼女は歩いている。時折周囲を見渡し、常に張り詰めた空気を纏っているその姿はひどく美しく見える。

 つい見惚れてしまい、歩みを止めてしまう巧。


「置いて行かれるぞ」


 61の言葉に巧は我に返る。

 自慢にもならないが、この歳になるまで巧には女友達というものが皆無であった。女性に対して免疫がないため、特に同年代や近しい年齢の女性に対してはどう接すべきなのかよく分からないでいる。

 アストにしてもそうだが、こういう状況下では不謹慎と分かっていながらも二人きりという現状は巧にとってかなり辛いものとなっている。

 少し距離が開いたアストの背を足早に追いかけ、巧は気付いた。


(震えてる…?)


 微かにだがアストが震えているように見えた。

 暗いから見間違いかも知れないが、巧は念のため本人に聞いてみようと口を開いた。


「大丈夫」


 アストは立ち止まって振り返り、巧の目を見て答える。

 その言葉通り、彼女は普段と変わらず無表情を顔に貼り付けている。身体も震えていないようで、どうやら巧の見間違いだったらしい。


「なら、いいんだけど」


 心配したつもりだったが、余計なお節介だったようだ。

 アストは再び前へと向き直り歩き出す。その背を巧が追い、なんとも気まずい空気が流れる。


「───くしゅっ」


 静かな夜に小さなくしゃみが響く。

 巧ではなかった。気温という概念が存在しない61がくしゃみなどするはずもなし。聞き違いでなければ、その可愛らしいくしゃみは巧の前方から発せられた。


「…」


 アストの歩みが止まっている。

 その場に固まって動かないアストの正面へと回りこみ、巧は彼女の顔を覗き込む。


「寒いのか」

「…大丈夫」


 震える身体を両手で抱きながら何を言ってるのだろうか、と巧は呆れてため息をつく。

 先ほどの無表情は何処へやら、アストは寒さに目を潤ませ身体は小刻みに震えていた。よくよくみれば頬は寒さでやや赤面しており、誰の目から見てもやせ我慢していることは明白であった。


「何故もっと厚着をしてこなかったんだか」


 尤もな意見であった。

 このような冬真っ只中の深夜に、ワンピースとコートだけでは身体が冷えて当然であろう。


「ハギリが、コレ着ろって言うから」


 震えるアストは顔を背けながら、気恥ずかしそうに口にする。


「萩李さんが?」


 彼女が言うには、この服装は萩李がコーディネートしたものだと言う。日頃も含めて彼女の服装の殆どは萩李がチョイスするものらしく、巧と初めて出会った際の黒いスーツ姿、あれも萩李が選んだそうだ。

 巧は萩李の事がますます分からなくなってしまう。それに従うアストもどうなのかもしれないが、そんな光景を思い浮かべると巧はなんだか可哀想に思えてきた。

 少なくとも、萩李はやっぱりおかしい、というその一点だけは確信が持てた巧であった。


「次からはもう少し温かい服装にしよう。少なくとも冬場はな」


 顔は背けたまま、アストはコクリと頷く。

 その時巧は、自分が彼女と自然に会話している事に気付く。

 アストの声色や言葉を聞く限り、どうやら嫌われているわけではないらしい。少なくとも全く会話が成り立たないなどということはなく、自然に会話をすれば向こうも答えてくれるのだと分かった。


「無口ってわけじゃないんだな」


 巧は知らず知らずそんな事を口にしていた。

 流石に失言だったかと口を押さえる巧だったが、どうやらアストは気にしていないらしく。しかし顔は背けたまま、巧の方を見ずに口を開く。


「…どんな事、話せばいいか分からないから」


 そんなアストの言葉に巧は呆気に取られてしまう。

 つまるところ、巧がイメージしていたような寡黙な性格ではなく、彼女自身も巧とどう接したらいいのか分からないがため、結果避けるような振る舞いになっていたらしい。

 相変わらずアストは巧の方を見ない。

 先ほどとは違い気恥ずかしで互いに沈黙してしまい、ついには見かねた61は普段よりも低い声で割り込む。


「バカなことやってないでさっさと探せ。近いぞ」


 その声には心底呆れた感情が含まれていた。

 アストに少しでも歩み寄れたのは幸いだが、確かに現状そんな事をしている余裕はない。なんとも不謹慎な自分に嫌悪感を抱きつつも、再び気を引締める巧。

 61の探査能力により着実に近づいてはいるものの、相変わらず視界は狭く隠れる場所にも不自由しない工事現場においては見つけ出すのも困難である。

 その時だった。前方で不自然に動く影を巧が捉えた。

 それは物陰から、まるでこちらを窺っているかのようだった。その影は巧の視線に気付くと物陰へと隠れる。風などは吹いておらず、遠目からでもそれが人影ではないかと巧は目を凝らす。


「誰か居る?」


 巧の声に反応し、アストは巧の視線の先に顔を向ける。

 同時に二人とは違う足音が響き、それは二人から離れるよう遠ざかる。


「…!」


 足音を聞きつけ、先に飛び出したのはアストだった。

 その場に巧を残して一人駆け出す。姿勢を低くし、走り難い砂利道の上を構うことなく疾駆する。

 その背をやや遅れて巧が追う。徐々に離されて行くその背を必死で追いかける。

 工事現場を右へ左へと駆け回るが、どうやら足ではアストの方に分があったようだ。徐々にその差を縮め、逃げる足音はどんどん近づきその姿を捉える。

 その影は、遠目ながらに長い赤髪が印象的だった。

 白咲雛乃。おそらく本人だ。


「ちっ!」


 舌打ちをし、雛乃は逃走を中止する。足では敵わないと覚ったのか、曲がり角から不意打ちを行うための準備に移る。周囲を見渡し武器になりそうな物を探す。

 地面に置かれた鉄パイプの束を発見する。それはピラミッド状に折り重なりロープで固定されている。

 コレは使えると雛乃が右手を伸ばし触れる。


「24」

「あい解った!」


 雛乃の言葉に呼応する24。次の瞬間、鉄パイプの束に触れる雛乃の掌からバチリと眩く発光し甲高い音を鳴らす。仕込みはそれだけ、これで雛乃の迎撃準備は整った。

 やがて曲がり角からアスト飛び出す。待ち構える雛乃目掛け真っ直ぐに駆け込む。

 二人の距離はおよそ50m。

 ただ正面から走ってくるのであれば、雛乃にとっても都合がよかった。


「正面から馬鹿正直に、のこのこさ!」


 鉄パイプに触れる雛乃の右手が眩い光と共に電磁を帯びる。次の瞬間、触れていた鉄パイプがまるで銃弾のように射出される。それは風を裂き一直線にアスト目掛け放たれた。

 高速で向かってくるそれを、アストは冷静に見据えて右手に握る柄に力を込める。足を止めることなく右腕を振り上げ、斜めに振り下ろす。すでに柄の先の三角形は伸び、矢印の刀身が現れていた。

 伸びた矢印が高速で飛来した鉄パイプを薙ぎ払う。真ん中からくの字に折れた鉄タイプは地面に叩きつけられ、砂塵を巻き起こす。


「この…!」


 続く鉄パイプは二本同時に放つ。

 鉄タイプを打ち落としたアストが砂塵の中から飛び出す。右手に持つ矢印を今度は横薙ぎにする。伸びた矢印が、飛来する二本の鉄パイプを纏めて薙ぎ払う。

 薙ぎ払われた二本の鉄パイプがくるくると回転し、横合いの建物の外壁へと直撃する。衝撃によりコンクリート製の壁は砕かれ、轟音とともに鉄パイプは壁に突き刺さる。

 尚も距離を詰めるアストに、雛乃は残りの鉄パイプを連続して撃ち出す。それはさながら機関砲のようだった。


「…」


 高速で放たれる鉄パイプは、直撃すればコンクリートの壁でも粉々に砕いてしまう。生身で喰らえば致命傷は免れないだろう。

 だというに、アストは気後れした様子もなくただ雛乃目掛け駆け走る。


「なんなのよ、アンタは!」


 先ほどよりペースこそ落ちたが、相対する二人の距離は着実に狭まっている。

 連続で飛来する鉄パイプの弾幕をものともせず、アストはただ前進する。鉄パイプを避け、必要ならば手にした矢印を自在に操り叩き落す。

 眼前へと迫った鉄パイプの先端を、顔を横に倒し紙一重で避ける。完全には避けられず、アストの右頬を掠める。寒さでじくじくと痛む頬の傷さえも気に止めず、更に突き進む。


「それなら…!」


 弾幕を一旦止め、今度は四つの鉄パイプを同時に撃ち出す。だがその内の三本は直進せず軌道を変える。

 二本が左右前方、正面斜め上方向から一本、最後の一本は変わらず真正面から。アストを包囲するように飛来する四つの鉄パイプ。

 多方面からの同時攻撃に、流石のアストも動きを止め迎撃に専念する。

 手始めに、矢印を横薙ぎにし右の鉄パイプを弾き飛ばす。そのまま横へと大きく回転し左の鉄パイプも同じように弾く。軌道が逸れた鉄タイプは宙を舞い、地面に突き刺さる。

 次に両手で矢印の柄を握り上段の構えをとる。正面から飛来する鉄パイプへと向き直ると、振り上げた矢印を勢いよく振り下ろす。

 次の瞬間、鉄パイプは縦に両断されていた。両断されたそれはアストの両脇をすり抜け、後方の地面に転がり落ちた。切り口はとても滑らかで、まるで鋭利なナイフで切断されたかのようだ。


(よし、コレでチェック…!)


 なんとも規格外な動きをやってのけるアストだが、雛乃はこの時勝利を確信した。

 未だアストは矢印を振り下ろしたままの体勢。こちらの鉄パイプはまだ一本残っている。

 いかにアストの身体能力が規格外じみていようと、あの矢印がとんでもない切れ味だろうと関係ない。この距離ならば回避など不可能。

 前方斜め上から飛来する鉄パイプが、今正にアストを捉え貫かんとしていた。


「───アクセス」


 アストに迫っていた鉄パイプが縦に拉げる。

 それは空き缶を地面に立て、真上から踏み潰したかのような形状になり、重力に惹かれ地面へと落ちる。


「なんと…!」


 驚きの声を上げたのは24だった。

 アストを守ったのは、地面から伸びた無数の矢印だった。それはアストを中心に円形に隙間なく生え、さながら灰色の壁だった。伸びた先にはそれぞれ正三角形の先端がある。

 アスト本人が動いたわけではない。先ほどと変わりなく矢印を振り下ろした体勢のままだ。その先端が地面に突き刺さるように伸びている。

 アストがゆっくりと構えを直す。

 地中に吸い込まれるように無数の矢印が引っ込む。それらの矢印が一つ一つ折り重なり合いながらアストの手元の柄に戻ってくる。やがていつも通り一本の矢印へと姿を変えていた。

 再び片手で柄を持ち、正面で唖然と立ちつくす雛乃を見据えるアスト。


「形状構築。なるほど、それも出来ましたか」


 24が独り言のように呟く。その声には驚きと感嘆が入り混じっていた。

 不可解な矢印に、24は自分と同じく物質への干渉が出来ると予測はしていた。だが24のそれは先の鉄パイプのように、あくまでその形状を維持したままが前提となる。形状を作り変えることまでは、今の24には出来ない芸当だった。

 明らかに分が悪い。アストに対し全てにおいて雛乃は劣っている。更には互いに所持するデータも力の差がある以上、もはや雛乃の勝ち目など皆無であった。


「退きなさい雛乃。あの娘のデータ、手強いなんてものじゃない」

「嘘…」


 呆ける雛乃に、24が声をかける。だが彼女はまるで聞えていないのか、その顔から余裕が消える。

 勝利を確信していただけに、その反動は大きかった。思わず追撃を行う事も忘れアストを見つめる。

 アストの方は、意気消沈し呆然と佇む雛乃に向かい再び駆け出す。手にした矢印の刀身を伸ばし、引き摺るように構えた矢印の切先は地面を擦る。


「雛乃!」


 呆ける雛乃に24の叱咤が飛ぶ。

 我に返った雛乃が、残り少ない鉄パイプを撃ち出す。

 迫り来る鉄パイプをかわし、アストが地を蹴り跳躍する。柄を両手で握ると矢印を大きく振り上げ、落下と同時にそれを振り下ろした。

 雛乃が横へと飛び退く。先ほどまで雛乃がいた地点にアストが着地する。振り下ろされた矢印が地面を抉り砂塵を巻き上げる。風に乗って舞い上がる砂から雛乃は目を背け、左腕で目を覆い隠すと再びその場から飛び退く。

 砂塵を突き抜け矢印が伸びる。その先端は飛び退く雛乃を正確に捉えていた。

 雛乃は咄嗟に、所持していたアイスピック状のナイフでその先端を受け止める。


「きゃっ!」


 だが矢印は雛乃の予想を超えた力で押し込み、ナイフ諸共雛乃を弾き飛ばす。吹き飛ばされた雛乃はバランス感覚を失い、受身も取れず背中から地面に叩きつけられる。その衝撃により、ナイフを手放してしまう。

 肺の中の空気が一気に押し出され、苦痛に胸を押さえもがく雛乃。地面でもがく雛乃の肩をアストの足が踏みつけ地面に押さえつける。

 払い除けようと上半身を起こそうとする雛乃だが、先ほど叩き付けられた際の苦痛で力が入らない。ならばと左手でアストの足を掴むが、まるで岩のようにビクともしない。


「確保」


 地面に押さえつける雛乃の鼻先に矢印の先端を向け、自身の勝利を突きつける。

 苦痛で顔を歪める雛乃を、アストの冷たい瞳が見下ろす。


「相手が上手であったか」


 この状況で打開策はないと覚り、それでも24は冷静な声色で言葉を発する。しかし雛乃にしてみれば、その言葉は敗北を意味していた。

 事実として雛乃は己を見下ろす眼前の少女に負けた。それがたまらなく悔しく、歯を食いしばり精一杯の虚勢と敵意でアストを睨みつける。

 状況が全て終わりきったところで、遅れて巧が現れる。肩で息をし、乱れた呼吸を整える。


「大丈夫か?」


 無数の鉄パイプが壁や地面に突き刺さり、周辺にも無造作に転がっている。三人を取り囲む景色は凄惨たるものだった。

 遅れて現れた巧に、押さえつける力は弱めることなくアストは顔だけ振り返る。


「血が出てるな」

「平気だから」


 アストの言葉を聞きつつも、巧はズボンのポケットから黒と白のチェック柄のハンカチを取り出す。巧はアストへと歩み寄り、頬の切り傷へとハンカチを当てがい血を拭う。

 元々酷い傷ではないが、拭った後もじわりと血が滲み出る。


「痕にはならないと思うが、ちゃんと消毒しておけよ」


 滲み出るハンカチで拭き取り、巧が言う。

 そんな行為に、アストはむず痒そうに目を細める。


「ちょっと…! 人放置して、なにしてんのさ」


 地面に押さえつけられたままの雛乃が、忌々しげに口を開く。

 先ほどのダメージのせいか息も絶え絶えであり、その言葉には力がない。


「また会ったな」

「…」


 巧の言葉に、雛乃は答えず顔を背ける。

 屈辱に染まった表情と、その目には涙が溜まっている。もはや観念したのか、アストの足を握る手に力はない。

 雛乃には色々と聞きたい事もあったが、一先ず現状が片付いた事を石垣に報告しなければならなかった。巧はコートのポケットから携帯電話を取り出す。

 それとほぼ同時に、手にした携帯電話が鳴り響く。巧は着信相手を確認する。

 相手は石垣だった。


「石垣さんですか。今丁度終わったみたいです」


 電話に出る巧。雛乃を確保したと伝えるも、どうにも様子がおかしい。


「巧君気をつけて。不審者が包囲網を破ってそのエリアに侵入した」


 石垣の話では、どうにもその不審者は普通ではないという。武装している私設部隊の一部を蹴散らしこちらに向かっているらしい。

 巧はアストに目配せし、それに気付いたアストはコクリと頷く。


「こちらに届いた映像を見る限り、どうにも相手は普通じゃない。今バックアップを送ってるから、そっちもすぐ戻ってきて」

「分かりました」


 返事も短く巧は電話を切る。


「抑えてて」


 電話を終えた巧に、アストが話しかける。雛乃を踏みつける足と矢印はそのままに、自らのコートのポケットへと手を伸ばす。

 取り出された手錠の鎖がジャラリと音を立てる。

 矢印は雛乃の鼻先に突きつけたままアストが足を上げ、雛乃を開放する。だが雛乃にはもはや体力は残っておらず、荒い呼吸はその小さな胸を上下させていた。

 巧が雛乃の両手を取り、アストがその手首に手錠をかける。


「…最っ低」


 何もかも思い通りにならず、雛乃は吐き捨てるよう一人ごちる。

 両腕を拘束され抵抗も出来ない雛乃から、アストは携帯電話を取り上げる。その画面には、小さな鳥が羽を休めアストの方に顔を向けていた。


「抵抗はせんよ。好きにしたまえ」


 自分だけでは何も出来ないと分かっているからか、その鳥、24は潔く敗北を認める。

 その携帯電話をアストは自分のコートのポケットへとしまい、未だ地面に倒れ伏す雛乃を強引に起き上がらせる。

 苦痛により身体が思うように動かず、雛乃の両足は震え立つのもやっとの様子だ。

 見かねた巧が雛乃の両肩を抱き支える。


「急ごう。これ以上の厄介事はごめんだ」


 巧の言葉にアストが頷く。

 アストが背を向け、先頭に立ち歩き出す。その後から雛乃を支えた巧が歩く。足元が覚束ない雛乃は、時折倒れそうになる。

 来た道を戻るも、その道のりは来た時よりも遠く感じるのは疲れの性だろうか。


「もう少しで休めるから、まだ倒れるなよ」

「はっ、なにそれ。笑える…」


 巧は疲弊した雛乃を励ましたつもりだが、こんな状況では何を言っても皮肉にしかならなかった。

 項垂れているためその表情は見えないが、震えるよう絞り出した声にはどうしようもない無念が込められていた。

 余計なことを言うべきではないと思い、巧は真っ直ぐに前だけを見て歩く。歩くペースはあくまで支えている雛乃に合わせてる。

 ふと、先を行くアストが足を止める。周囲を見渡し、何かを警戒しているようだ。


「どうした?」


 アストは答えない。

 しきりに周囲を見渡し、やがて61もその異変に気付く。


「注意しろ巧。新しいデータの反応だ」


 61の言葉に、巧も周囲を見やる。

 先ほど石垣が言っていた侵入者だろうか。状況を考えるに、その者がデータを所持していると考えるのが普通だろう。

 61が絶えず探査を行い、その侵入者を捉えようとする。アストが少しだけ後退り、巧をいつでも援護できるよう距離を詰める。


「後だ、後方の建物の上!」


 61の言葉に、アストが勢いよく振り返り視線を上げる。

 そこには月明かりを背にした、不自然なシルエットを発見する。それは二階建ての建物の屋上に、両腕を組み仁王立ちしていた。

 遅れて巧もその不自然なシルエットへと視線を向ける。つられて、雛乃も顔を上げた。


「本当、最低…」


 そのシルエットに見覚えがあるのか。あまりにも唐突な出現に雛乃は再び項垂れ憂鬱そうに声を出す。


「な…んだ?」


 その者を見据えた瞬間、巧は呆気に取られてしまった。アストの方も珍しく眉根を寄せ怪訝な表情でそれを見ている。


「…テレビ?」


 その不審者は、本来人間の頭がある部分がテレビになっていた。一世代前のブラウン管テレビ、それが頭から首まですっぽりと覆い被さっている。

 更にはこの時期には寒いであろう全身黒タイツに、腰には何故か新聞紙を丸めたような長い棒状の物をぶら下げている。

 おそらくこの場に居合わせた者がそれを目の当たりにすれば、皆一様に思うことだろう。

 まごうことなき変質者だと。

 呆気にとられる巧達を、そのテレビ人間が見下ろしていた。頭から被ったテレビの影響で表情などは全く分からないが、その形を見る限り少なくともまともな人間ではない事だけは誰しも理解できる。


「ふっ…ふぁっはっはっはっ!」


 突然奇声を上げるテレビ人間。その声はボイスチェンジャーでも使っているのか、酷く機械染みており性別などは分からない。

 全身タイツであるため身体のラインは思いの他細く、よく見れば胸に膨らみなどはないため、おそらく男性ではないかと予想出来る。


「市民よ! 悪人退治御苦労!」


 腕組を解き、何やらポーズをとりながらテレビ人間が大きな声でそう叫ぶ。


「市民って、俺達か?」

「…さあ」


 状況がまるで分からず、巧もアストも顔を見合わせる。


「だが、いけないなあ。悪役を打ち負かすのは正義の味方に任せてもらわねば」


 テレビ人間は先ほどとは違うポーズを決め、あろうことか二階の屋上から飛び降りた。かけ声付きで飛び降りると、くるりと宙で一回転し地面へと着地する。

 着地の衝撃で砂煙が舞い上がり、テレビ人間は姿勢を正して巧達三人へと向き直るり、再びポーズを決めると雛乃を指差す。


「さあ、その悪人を渡してもらおうか」


 巧は、雛乃の仲間とも思ったがどうにもそうではないらしい。隣で支えている雛乃は顔を背け見ないようにしている。彼女にとって、目の前のテレビ人間も敵ではないかと巧は考える。

 巧達にとって敵か味方かは不明だが、アストにしてみれば邪魔されていることに他ならない。一歩前へ踏みだし、雛乃とテレビ人間の間に割って入る。


「邪魔をする気かい? 心配せずとも、悪人でない君達に用はないから安心したまえ」


 やれやれと肩をすくめるテレビ男。


「その子が異常な力を不当に振るい悪用していたのは事実だ。そこの青年も襲われていたではないか」


 再びポーズを取り、声を張り上げる。

 話を聞く限りでは、どうやら雛乃が巧を襲撃したことも知っているらしい。あの場に気配らしいものはなかったため、一体どこから見られていたのか巧は驚いた。


「見てたんですか?」


 その事について巧はテレビ人間へと問いかける。

 テレビ人間は小さく頷く。バランスの悪い大きなテレビが上下する様は、なんとも不気味だ。


「分かったらその子を渡したまえ。その子には正義の鉄槌を下さねばならない」

「断る」


 テレビ人間の要求を、アストがきっぱりと拒否する。

 アストは既に、正面の奇抜なテレビ人間を敵として認識していた。相手がいつ動いても良いようにアストは身構える。

 その対応に、テレビ男は落胆のため息をつく。


「君達の敵はその子であって、私ではないはずだ。敵意の矛先を間違えてないかい」


 あくまでも自分が絶対の正義という姿勢は崩さず、テレビ人間はアストへと問いかける。アストはその問いに、ただ敵意を向け無言の返答をする。

 やがてテレビ人間の視線が巧へと向く。


「君はその子には手酷くやられたはずだ。正義のために、その子を渡す気はないかい?」


 目の前の少女では話しにならないと覚ったか、理解を求めるかのようにテレビ人間は問いかける。

 巧は言葉に詰まり、隣で肩を抱く雛乃へと目を向ける。当事者である雛乃は諦めきった表情で、好きにすればとその目が言っていた。

 それを見た巧は、再び顔をテレビ人間の方へと向ける。


「彼女をどうするつもりですか」


 巧は念のためにとテレビ人間へ問う。


「本来なら悪事を精算した後、警察へと通報すべきなのだが」


 少し考え込むように、テレビ人間は唸った。

 その言葉に、巧は何か思い当たる事があるのか。考え込むテレビ人間に再度問いを投げかける。


「…もしかして、最近多発している暴行事件は」

「私だよ」


 あっさりと認めテレビ人間は肯定する。何事もないように語ってはいるが、暴行事件と称されることには不満があるのか、語尾はやや低く威圧的であった。

 やがて最初の質問に対する結論が出たらしく、小さく頷き答えを並べるテレビ人間。


「その子をどうするかだが、その子は人ならざる力を持っている。そんな者を野放しにするわけにはいかないだろう?」


 言葉はぼかしてあるが、要するに雛乃を生かしておくつもりはないらしい。少なくとも、事を穏便に済ませるつもりは毛頭ないようだ。

 その時巧は確信した。


「じゃあ渡せません」


 巧の答えに、テレビ人間は心底理解できないと頭に手を当て首を振る。

 隣で支えている雛乃も同様なのか、怪訝な表情で巧の顔を見上げた。

 これは雛乃を庇っているわけでも、助けているわけでもない。自分を正義と謳いながらもやっていることは通り魔紛いの犯罪行為にすぎないその者を、巧は信用出来なかった。


「君はそこの子に殺されかけたのだろう? 忘れてるわけではあるまい」

「そうですね。でもそれは、貴方と何の関係もないことだ。部外者がしゃしゃり出て正義だ悪だなどと御託を並べてなんになる」


 突如現れ言葉を飾り断罪しようとするその姿が、この上なく不愉快だった。巧は目の前のテレビ人間に明確な敵意を向ける。

 二つの敵意がテレビ人間に向けられるが、当人は至って涼しげな態度だった。その様には何処か余裕さえも感じられる。


「…どうやら交渉の余地はないようだ。ならば仕方あるまい」


 これ以上の会話は不毛と覚り、テレビ人間は腰にぶら下げた丸めた新聞紙へと手を伸ばす。一見してみれば何の変哲もない紙の棒に過ぎないそれを右手で握り、軽く振るい構える。


「絶対正義の名の下に。マスクド・ジャスティス、正義を貫く!」


 テレビ人間、ジャスティスが姿勢を低くし巧達目掛け疾駆した。






遅筆なので気長にお待ちください。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


PS:諸事情により次回は遅れそうです、ごめんなさい

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