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Episode 03





「実に恐ろしいものは人間の努力。だそうだ」


 それは太く低い声で、突拍子もない事を口走る。


「なんだよ、それ」


 その言葉に反応したのは、襟周りにファーの付いた白いコートに黒いジーパン姿の巧だった。学校帰りのようで、右肩には教科書などが入っているリュックを背負っている。

 そんな彼は、自分のコートのポケットに収まる携帯電話、61の言葉に眉根を寄せる。


「誰だったか、昔の人はそういったそうだ。人間の努力次第で、空想や妄想は現実になる。だったか?」

「知らないなら語るなよ」


 語尾はやや弱く、確認を求めるかのように問い返す61。巧はそんな61を邪険にあしらい、人通りのまばらな商店街の真ん中を歩いている。

 61の製作者と名乗る男、祗園路萩李の接触からそろそろ二ヶ月が経過しようとしていた。

 あれから何度か探査のため海上都市中を捜し歩いたが、目立った成果は得られなかった。しかし協力者である萩李は、現場での探査は大助かりだと賞賛している。

 萩李の方も独自の探査班でネットワーク内部を調べているが、未だ発見には至っていないらしい。この海上都市という限定的な空間とはいえ、その情報量は膨大であり隠れ蓑も多いために難航しているらしい。

 幸いな事に、巧を襲撃したあの少女とはあれから遭遇していない。そちらの方も萩李が、捜索は任せてほしいと言うが、進展はないらしく情報もそれっきりだった。

 そうしている間にも季節はすっかり冬へと移り変わり、乾いた冷気は風となり人々へ吹きつける。

 それはドームの中にある海上都市も例外ではなく、冬の寒さはその猛威を振るっていた。風は時に痛いぐらいの冷たさで巧の顔を撫でて行く。


「寒い」


 本日何度目かも分からないその呟きを漏らし、巧は商店街の中を歩く。

 時間的にはまだ夕方の4時を回ったほどだが、冬の季節は日が暮れるのが早く、曇りな事もあり辺りは薄暗くなりつつあった。

 果物が詰まったビニール袋を手に提げ、巧は花屋を目指していた。目的地である花屋は丁度商店街の真ん中に位置した場所にあるため、愛用の原付きは商店街の出入り口に駐輪してある。

 ふと、前方から仲の良さそうな二人組みの少女が、仲良く談笑しながら歩いてくる。その内の一人に見知った顔を見つけた。

 向坂香奈美だ。

 制服姿ではなく、大き目のコートとスカートに黒と白の縞々のハイソックス。頭には黒いニット帽を被った私服姿だ。ニット帽の正面には、何かのキャラクターらしき大きなアップリケが付いている。サイズが合わないのか、ぶかぶかのコートは袖の部分は腕を振る度にプラプラと揺れていた。


「話しかけないのか?」

「友達と楽しそうにしてるし、邪魔するのもな」


 巧は話しかけようか迷ったが、邪魔をすべきではないと思い素通りしようとした。

 と、どうやら香奈美の方がこちらに気付いたらしく、行き交う人などお構いなしに巧の名を叫ぶとその手を高く挙げ大きく振った。ぶかぶかになった袖がプラプラと揺れる様は、見ていてなんとも愛らしかった。

 そんな香奈美の様子に、隣の少女も巧の方へと視線を向ける。


「見つかったな」

「そうだな」


 気を利かせたつもりだったが、どうやら不用だったらしい。

 61の言葉に軽い返事をし、巧は香奈美達の方へと足を運んだ。


「先輩こんにちは」

「ああ。こんにちは」


 相も変わらず、香奈美の声は元気一杯だった。巧は挨拶し、微笑む。

 香奈美の友達であろう連れの少女が、巧の方をじっと見上げていた。


「あ、こっちは友達の赤音ちゃんっす」


 隣に立つ友人の左腕に、自分の右腕を絡めて紹介する香奈美。

 紹介した香奈美の表情は何処か自慢げであり、彼女にとって大切な友人なのだろうと、巧は感じた。


「初めまして。綾川巧だ」

「…銀錠赤音(ぎんじょうあかね)


 自己紹介をする巧と、それに答えるように少女、銀錠赤音は小さな声で名乗った。ところが赤音はそれっきり押し黙ると、巧から目を逸らし俯いてしまった。

 それを見かねた香奈美が慌ててフォローする。


「赤音ちゃん、人見知りが激しいから許してほしいっす」


 巧は特に気にした様子もなかったが、そんな香奈美の言葉に当たり障りのない返事をする。

 恥ずかしいのか照れているのは分からないが、この年頃の子は色々と難しいだろうからよくある事だろう、と巧は結論付ける。

 余計な事を言わないで、とでも言いたげな様子で赤音は香奈美に擦り寄っている。

 あまり二人の邪魔をするのも悪いと思い、巧は遅くならないうちに帰るよう二人に伝え、目的の花屋を目指した。去って行く巧の背を、香奈美が最初と同じように大きく手を振って見送る。

 赤音の方は、結局最後まで俯いたままだった。

 二人から程よく離れた所で、沈黙を保っていた61が巧に話しかける。


「随分と好かれてるな」

「気のせいだろ」


 下手な事を言って61に余計な茶々は入れられたくない。巧は簡潔に答えると、61はなんともつまらなさそうに不貞腐れた。

 そんな61に構う事なく、巧は歩みを進める。

 やがて目的地の花屋が見えてきた。店内に収まりきらない花も多く、彩り豊かな花が店の前にも展示してある。

 巧がこの花屋を利用するのもこれで何度目だろうか。店の店員とはすっかり顔見知りとなり、お得意様だとかでいつも花をおまけしてもらう。

 見舞い用のため、派手な色は避けて選ぶ。

 今日は週に一度、入院する姉の見舞いに行く日だ。






     ◆◇◆◇◆◇◆◇






 各企業の私有地と、空高く聳え立つビルが所狭しと立ち並ぶ海上都市の中心部。

 その中でも取り分け空に近いビルの一室。黒いチェアに座った祗園路萩李は、自分専用のデスクを前にパソコンのディスプレイを見つめていた。その背後には大きな窓があり、島を一望できる景色が広がっている。

 広い室内は萩李専用のオフィスとなっており、部屋の中央には絨毯と来客用に如何にも高級感のあるテーブルとソファーが配置されている。

 ソファーに腰掛け、両手で厚みのある本を持ち黙々と読み耽るアスト。今は黒いスーツもサングラスも着用せず、動きやすいラフな格好をしている。


「なんともまあ、笑える結果報告だ」


 萩李がチェアの背もたれに寄りかかり、ディスプレイに表示されるそれを興味深く眺めている。

 顔にはいつもの如く御面をつけており表情は分からない。だがその声色には、興味と期待が入り混じっていた。

 そんな彼が気になったのか、本に目を落としていたアストが顔を上げて萩李の方へと視線を向ける。自分を見つめる左右で色の違う双眸に気付き、萩李は手招きする。


「見てみなよ」


 手にする本をテーブルの上に置くと、ソファーから腰を上げ萩李の隣にやって来るアスト。萩李の座るチェアの背もたれに手を置き、デスクに手をついてディスプレイを覗き込む。


「…」


 萩李の言う面白い報告書には巧と61、二人の仔細なデータが纏められていた。

 巧は大学や私生活上の動きから、身長や体重、果ては家族構成までもが書き記されていた。ただし、記された情報の殆どは海上都市に移ってからのもので、それ以前のものには、現在調査中と書かれていた。

 巧のデータの隣には、61のデータが顔写真付きで表示されている。ドクロマークがカメラ目線で、まるで威嚇しているかのような顔つきはシュールの一言に尽きる。

 アストの興味は、巧よりも61の方が気になるらしい。身を乗り出し食い入るように眺める。

 その横顔を萩李が見つめる。御面の性で表情は分からないが、一体どんな思いで見つめているだろうか。


「これは…」


 最後まで読み終えたアストが口を開く。


「驚きだよね。元はプログラムのはずが、個々に分かれて擬似的な人格を持つなんてさ」


 萩李の興味は大きく分け二つになるが、その一つは正にそれだ。

 プログラムという、人間が設計した物に果たして感情や人格などが芽生えるものだろうか。それは機械ではなく別の何かではないかと萩李は考えるが、未だに情報が少なく答えは出せないでいた。


「前例があるとはいえ、まさかアレほど流暢な喋りとねえ。下手な人間よりも口達者だなんて驚いたな」


 巧と接触する少し前、いくつかのデータを回収した事があった。その際はアストを使い、合法もしくは非合法的に、且つ秘密裏に事を済ませていた。

 片手の指で数える程だったが、その内にも人間と対話が可能なプログラムの存在は在った。ただしそれは、あくまで機械的な喋りの延長上な位置付けであり、まして61のような人間に近い存在は稀少と言わざるを得なかった。

 どういった経緯でそうなったのかは分からない。研究部の方から、直に解明させて欲しいと打診されたが、萩利は二つ返事で断った。

 その際には。


「こんな面白い存在をバラバラ切り刻んで視たいの? 僕はちゃんとした水槽で泳がせた方が、活き活き見れる楽しみがあっていいんだけどね」


 などと口走っている。

 本人の与り知らぬ所で存在の危機に瀕していた61だが、そんな彼は今現在、巧の着るコートのポケットの中でのんびりとしていた。


「気になるかい?」


 真剣に見つめるアストの横顔を見て、萩李はついからかってみたくなった。

 顔をディスプレイから萩李へと向け、眉根を寄せて拗ねるかのように唇を尖らせるアスト。その顔が見たかったと言わんばかりに、萩李は笑ってアストの頭を撫でる。

 その時、室内にノックの音が響いた。


「失礼します萩李様。石垣(いしがき)を連れて参りました」

「入っていいよ」


 萩李が答えると、オフィスのドアが開いた。

 そこには黒いタキシードを着こなした、巧と萩李が始めて対面した際に運転手を勤めていた老執事が立っていた。

 その老執事の後には、こちらは若い男性が背広姿で立っている。若い男性、石垣と呼ばれた男は不安のせいか若干青ざめた顔をしていた。ところが、萩李のつける面を見るや今度は困惑の表情を浮かべる。

 自分の勤める企業の重役に呼び出され、その呼び出した本人が御面をつけていたら誰だって同じ反応をしたであろう。

 二人は部屋に入ると、老紳士は視線を向ける萩李に丁寧に一礼する。それを見た、隣に立つ石垣も慌てて頭を下げる。


「ありがとう犬塚(いぬづか)。話が終わるまで、誰も通さないように」

「畏まりました」


 主人である萩李の言葉に老執事、犬塚は一礼する。ドアを閉める際にもう一度頭を下げ、部屋を後にする。

 残された石垣はどうしたものかと内心慌てふためきながら、ゴクリと唾を飲み込む。緊張で顔は強張りながらも、姿勢を正して萩李の方を向く。

 彼の心中では仕事で何か失敗し、そのお咎めでもあるのだろうか、などと見当違いの事を考えていた。


「あの、自分に何か不手際が?」


 意を決して口を開いた石垣だが、その言葉の意味が分からず萩李は首を傾げる。

 見当違いであるその質問を萩李は、別にそんな事はないよくやっている方だ、と簡潔に答える。彼の業務成績は見せてもらったが、特に問題視する点はない事を萩李は知っていた。

 どうやら怒られるわけではないと分かり、石垣はほっと胸を撫で下ろす。

 それも柄の間、では何故自分などが呼ばれたのだろうか。と考える。


石垣龍一郎いしがきりゅういちろう、歳は27だっけ?」

「一昨日28になりました」


 照れくさそうに、石垣は言う。


「おや、それはおめでとう」


 軽く祝いの言葉を口にし、萩李はデスクの上に置かれた一枚の紙を手にする。そこには石垣の名前や住所が顔写真とともに載せられた、履歴書のコピーだった。

 何を見ているのか、石垣のいる位置からは確認できない。萩李のそんな動作が再び石垣の不安を煽る事となり、その背中に嫌な汗が伝う。

 企業の中でも、祗園路萩李という男はかなりの地位に存在している。石垣から見れば正に雲の上の人である。

 ただし変人としても有名であり、どんな人だろうと石垣は日頃から気になっていた。その疑問は、顔につけた面を見れば一目瞭然。なるほど納得と得心がいった。

 そんな者が一体自分に何の用なのか。

 ふむ、と唸る萩李に、石垣の心臓ははちきれんばかりに脈打っていた。


「立ったままではなんだ。そこに座るといい」


 オフィスの中心にある来客用のソファーを勧められ、石垣は硬い動きでソファーに腰を下ろす。ふと、目の前のテーブルの上に置かれた本に目が行く。


「…少女漫画?」


 なんともこの場には似つかわしくない装丁の施された本に面食らい、緊張は幾分か和らいだ。

 読みかけの本を取られるとでも思ったのか、萩李の後に待機していたアストが、テーブルの上の本を両手で抱えるように持ち去る。


「あの…」

「彼女の事は気にしなくていいよ。後で説明するから」


 なんとも釈然としない現状に石垣は、はぁと曖昧な返事をする。

 チェアから腰を上げ、萩李が立ち上がる。その手には石垣の履歴書のコピーが握られており、テーブルを挟み石垣と向かい合うようにソファーへと腰掛ける。

 長い足を組み、萩李が話を始める。


「君は元警察官だそうだね。高校卒業の後、採用試験で見事合格と」


 手にした石垣の履歴書をテーブルの上に置く。自分の履歴書を見られていたとは露知らず、石垣はこれから一体何が始まるのか、更に胸の鼓動が早くなるのを感じた。


「そのまま警官として活躍。8年も居たんだ、根性あるね」


 萩李の意図がわからず状況が読めない石垣は、とりあえず返事をしておくことにした。なんとも歯切れの悪い返事だが、萩李は別段気にした様子もなくいつも通りの態度で接する。


「しかしどうして辞めたのかな。警官って、一応公務員で給料いいんじゃないのかい?」

「それはまあ、手当ては良かったんですけど…」


 なんともばつが悪そうに、石垣は頭を掻きながら愛想笑いを浮かべる。

 この企業に就職する際にも同じ質問された。その時は色々と誤魔化して奇麗事を並べた気はするが、今回も同じように言うべきか悩んだ。

 何しろ状況が不可解すぎる。あまり迂闊な事は口走らない方が自身のためではないか。

 そして、正面のソファーに腰掛ける祗園路萩李。

 彼の身なりだけを見れば軽い印象を受けるだろうが、纏っている雰囲気はまるで人を品定めするような、本質を見抜かんとするものだった。

 やがて石垣は、観念したかのように話し出した。


「一昨年なんですが、母が倒れたんです。うちは母子家庭な上に近くに親戚も居ないしで」

「それはなんと。母親は大丈夫なのかい?」


 心配そうに尋ねる萩李に石垣は、はいと答える。


「幸い大した事はないんですが、それから身体の調子が悪いとかでよく寝込むんですよ。もう歳だってのに無理なんてするから」


 ははっ、と苦笑いする石垣。

 それから警察官を辞めて、母の住まう実家近くで働ける場所を探した際、この企業に採用されたという。

 ところが、半年前の人事異動でこの海上都市勤務になってしまった。

 母親の方はヘルパーを雇って仕送りもしているが、たまの休みに本土へ向かう際の費用はバカに出来ない上に、仕事が忙しく中々会いに行けない。などと嘆いた。


「警官辞めたら辞めたで母がカンカンで…」


 そこまで話したところで、相手が上司な事に気付き石垣は慌てて言葉を取り繕う。


「別に構わないよ、普通で。その方がお互い楽だしね」


 対する萩李は特に気にした様子もなく石垣の言葉に耳を傾けていた。

 テーブルの上にティーカップが置かれる。中には紅茶が注がれており、温かい湯気に乗って、程よくいい香りが石垣の鼻腔を刺激する。

 紅茶を差し出したのはアストだった。まるで気配を感じなかった彼女に内心驚く石垣だが、アスト本人は素知らぬ顔で、萩李の前にも同じ紅茶の注がれたティーカップを置いていた。


(どうやって飲むんだろう…)


 目の前の萩李は御面をつけているというのに、お茶を出されてどうやって飲むのだろうか。などと石垣は疑問に思う。

 話し疲れて喉が渇き、石垣はティーカップの取っ手を持ち注がれた紅茶を口の中へと流し込む。程よい甘みと独特の葉の香りが石垣の口内に広がり、つい感嘆のため息を漏らす。


「さて、じゃあそろそろ本題に入ろうか」


 ティーカップの取っ手を片手に持ち、萩李はいつになく真剣な声で話を切り出す。


「本日付で、君に人事異動を命ずるよ」

「異動ですか」


 海上都市の生活に慣れ始めた頃だっただけに、それは唐突な事だった。どうせならば本土勤務の方が色々と助かるな、などと石垣は内心思った。

 しかしそれだけのために、こんなオフィスにまで呼び出されるものだろうか。石垣は、どうにも腑に落ちない様子でティーカップに残った紅茶を啜る。


「異動と言っても配置転換されるだけだよ。今日から君は、僕の専属となる」

「はあ…そうですか」


 話を聞く限り、あくまでここでの立場が変わるだけのようだ。嬉しいような寂しいような、微妙な心境だった。

 こう言ってはなんだが、石垣はあまり仕事が早い方ではない。仕事に対する直向さ、勤勉さならば負けない自信はあった。それが評価されたのだろうか、そう思えば悪い気はしない。

 などと考えて約3秒。

 そして先ほどの萩李の言葉を思い出して約5秒。

 更にその内容を理解するのに3秒。


「……………はい?」


 計11秒後。

 萩李の言葉に耳を疑い、石垣はなんともいえない微妙な表情で声を漏らした。先ほどまで味わっていた紅茶の味も忘れてしまい、ぽかんと口を開けている。


「だから、君の異動先。分かり易く言えば秘書みたいなものと思っていいよ」


 秘書と言う言葉に、なるほどそれは分かりやすい。と石垣は納得した。

 それを踏まえた上で尋ねる。


「冗談ですよね」


 その言葉は、自分でも驚くほど冷静に出てきた。

 下っ端である石垣が行き成り呼び出されたかと思えば、企業重役の秘書に抜擢されたと言う。何かあると考えるのが大多数の人間だろう。

 呆れる表情の石垣に、萩李は何処かおかしかったかなと首を捻っていた。


「君次第なんだけどね」

「本気なんですか?」


 テレビ等でよくあるドッキリではないだろうかと、石垣は部屋の中を見渡す。特に変わった様子や物はなく、大きなデスクに寄りかかり少女漫画を読むアスト以外に人の居る気配はなかった。

 まるで信用できないといった様子の石垣に、萩李は何処からか取り出した書類を一枚、テーブルの上に差し出した。

 見てくれと言わんばかりのそれを、石垣は手にとって記された文章を目で追っていく。


「…」


 文字を読み進める内に、次第に石垣の表情から感情が消えてゆく。瞬きを忘れた目は大きく見開き、呆気に取られその口は半開きになる。

 それは、石垣の人事異動の事が纏められた正式な書類だった。見た限り書類に不備はなく、既に自分の勤める部署の判子まで押されていた。残るは企業代表と、異動先の上司である萩李の書名があれば完成するだろう。

 その書類を前にし、石垣は我が目を疑った。


「なんなんですか、この人事」


 到底ありえる筈もない事が目の前で起きている。ここまでくるともはや悪戯などでは済ませられず、現実として受け止めるしかないのだろう。

 確認の意味を込めて、石垣は萩李に問う。


「現場で動ける人間が必要でね。君には外回りをお願いしたい」


 話を聞くに石垣が任される仕事は、萩李ととある人物との連絡役。兼、その人物の監視と護衛が自分の業務になるという。

 不慣れなデスクワークよりも身体を動かす方が石垣には合っていた。だが、どうにもその仕事内容には不明瞭な点が多すぎる。その事に対して、石垣は更に追求する。

 しかしそこに至り、萩李は沈黙してしまう。

 危ない橋を渡ろうとしているのではないか。石垣は不安になる。


「ここから先は口外無用だ。破れば厳罰は免れないよ」


 どうやら自分はとんでもない事に巻き込まれてしまったらしい。

 今更ながら心の中で、心底自分の人生を嘆いた。

 ああ、なんてついてないんだ。

 そして彼も、不条理な世界へとその片足を踏み込んだ。






     ◆◇◆◇◆◇◆◇






 マンションの一室。巧の部屋のリビングにあるソファーに寝転ぶのは向坂蓮。

 黒のTシャツにジーパン姿と冬には寒い格好だが、室内は暖房器具のおかげか過ごしやすい温度が保たれている。

 蓮はソファーに寝転びながら、持参した雑誌を顔の上にあげ流し読みしている。自宅でもないのにリラックスしきったその姿は、彼と家主である巧の親しさが窺い知れる。

 リビングの隣、巧の寝室。

 携帯電話の61は、現在コンセントとケーブルで繋がれており、一人充電中だった。どちらにせよ、巧以外の人間がいる状況では会話に参加する事も出来ないために大人しくしている。

 雑誌に目を向けながら、蓮は唐突に昨夜の出来事を口にする。


「近くで暴行事件だとよ」


 昨日の深夜、アルバイトを終えての帰宅途中。

 いつものように愛用のバイクを留めてマンションの階段を登ろうとした時だ。警察手帳を手にした警察の制服を着た中年男性の二人組みから、職務質問を受けたと言う。


「それは恐いですね」


 ダイニングでお湯を沸かしながらお茶の用意を行っている巧。蓮の方は見ずに、なにかお茶請けでもないかと台所を漁っている。

 気にせず蓮は話を続けた。

 蓮の話を要約すれば、被害者は男性で行き成り後から殴りかかられたという。通報を受けて警官が現場に駆けつけるが犯人の姿はなく、被害者だけが倒れていた。男性の命に別状はなかったが、犯人は現在も逃走中らしい。

 蓮の話しに、巧は相槌を交えながらお茶の用意を進める。

 やがて沸騰した事を知らせるヤカンが高らかに鳴る。ガスコンロの火を止め、熱いお湯を急須へと注ぎ込む。急須の中には緑茶の茶葉が入っている。


「ところが被害者の男ってのが、警察が追っていた指名手配犯なんだとさ」

「それはまた、なんて運のない」


 湯飲みに注いだ緑茶をテーブルの上に置き、蓮の寝転がるソファーと向かい合って座る巧。お茶は熱かったが、寒い毎日はこの熱さが恋しくなる。

 雑誌を見上げていた蓮は、上半身を持ち上げソファーに座りなおす。手にした読みかけの雑誌をテーブルの上に置き、用意された湯飲みを手にする。


「最近は物騒なもんだな」


 お茶を一口、蓮が溜息をつく。

 ここ数ヶ月、海上都市、特に住宅地区では先ほどのような暴行事件が多発している。あまり表沙汰にはされていないが、周囲の住民にしてみれば一刻も早く犯人が捕まればいいと思う者が多い。

 だがその一方で、この事件には不可解な点が目立つ。


「被害者は、また悪人ですか」


 蓮の話を聞いて、巧は湯飲みに口をつける。

 この事件の被害者は決まって夜に襲われる。加えて被害者は何らかの悪事に関わっているというおかしな共通点があった。

 最初の被害者は、素行の悪かった高校生の不良数名。夜間にもかかわらず、大声や騒音により近隣住民に迷惑をかけていたという。

 次の被害者は地元でも問題になっていた小規模な暴走族だった。あろうことか、バイクはそのほとんどが破壊されていたという噂だ。

 中には、ひったくりの犯人を捕まえたという話もある。これだけを聞くと、寧ろ正しい行いをしているように聞えてくる。


「犯人はヒーローなんて呼ばれてるらしいぜ?」

「そんなバカな」


 蓮のヒーローという発言を、巧は一蹴する。

 口にした蓮自身も同じ意見なのか、こちらは鼻で笑い飛ばし手に持った湯飲みのお茶を飲み干す。

 そのなんともいえない暴行犯の犯行により、治安を乱す輩が確実に減っているのは事実だ。だがその手口をヒーローと呼ぶには、あまりに陰湿すぎる。


「そういえば先輩、バイトは?」


 話題を変えてみるために、巧が口を開く。


「今日は休みだ。久々にゆっくり出来るぜ」

「暇なら香奈美ちゃんの相手でもしてあげたらどうですか」


 面倒くさい。と一言で拒否する蓮。


「アイツは今友達と遊びに行ってるしな。俺が相手する必要もねえよ」


 口ではそんな事を言いながらも、香奈美の事は誰よりも可愛がっている事を巧は知っていた。

 何より日々のバイトも、香奈美の学費や将来の為にほとんど貯金していると言うのだから尚驚きである。よく出来た兄ではあるが、その事を指摘されると本人は否定する。

 お茶請けのかりんとうを摘まみながら、蓮はお茶のお代わりを巧に催促する。

 自分の湯飲みもいつの間にか空になっており、再びお湯を沸かそうとキッチンへと向かうために腰を上げる。


「ん?」


 来客を告げるインターホンの音が室内に響く。

 巧が立ち上がり玄関へと向かう。仕方がないといった様子で腰を上げる蓮は、湯飲みを手にキッチンへと向かっていった。

 玄関に辿りついた巧は魚眼レンズを覗き込む。

 そこには背広を着た男性が一人、手提げ鞄を手にして立っている。見知らぬ男で、巧はセールスマンか何かかと思いつつもドア越しに声をかける。


「何方ですか?」

「ああ。えっと…綾川巧さんのお宅ですよね」


 名前を出され、巧は訝しがる。


「萩李さんの使いの者なんだけど」


 萩李という名前を出され、少しの間をおいて巧は鍵を開け玄関のドアを開く。

 そこには冴えない背広姿の男性が愛想笑いを浮かべていた。その後にもう一人、見覚えのある人物が立っている。

 姫神アスト。初対面の時のような堅苦しいスーツ姿ではなく、黒いワンピースにコート姿だった。サングラスは外しており、左右の色の違う瞳が巧を見詰めている。

 いくらコートを着ているとはいえ、この真冬でその姿は寒くないのだろうか。ついアストの方を凝視してしまう巧。


「…なに?」


 じろじろ見られる事への嫌悪か、アストは不機嫌そうに巧を睨む。

 巧はすまないと謝るが、アストはぷいっとそっぽを向いてしまう。機嫌を損ねてしまい気まずい雰囲気となる中、背広姿の男が口を開いた。


「綾川巧君だね。初めまして、俺は石垣龍一郎。萩李さんの命令で君との連絡役を勤める事になった」


 にこやかに笑い、右手を差し出す石垣。

 どうも、と返事をして巧はその手を握り返す。


「でも、今は不味いです。中に先ぱ…友人が来てますから」


 巧がそう言った矢先。


「どうした巧」


 しかしなんと間の悪い事か。

 キッチンに向かった蓮だったが、戻ってくるのが遅い巧を気遣ってか玄関の方へと向かっていた。丁度、巧と石垣が握手をしている場面と鉢合わせしてしまう。


「知り合いか?」


 見知らぬ男の姿に蓮は首を捻りながら巧に問う。どうやらアストの方には気付いていないらしく、丁度玄関のドアと石垣の影に隠れて見えないらしい。

 どう説明したものかと内心頭を抱える巧。真実を言うわけにもいかないが、下手な誤魔化しでは逆に怪しまれてしまう。

 答えに詰まる巧を察したのか、石垣が助け舟を出した。


「俺が巧君のご両親の後輩なんだよ。仕事でこの島の勤務になったんだけど、それなら息子の様子を見てきてくれないかって頼まれちゃってね」


 勿論、石垣の言葉は全部嘘だ。


「そうなんすか」


 それを信じた蓮は短く答える。


「あー…お邪魔みたいだし、俺は退散するよ」


 やがて場を察したのか、蓮は自分の部屋へと戻る事にした。

 リビングのソファーの背もたれにかけられた自分のジャケットを着て、持って来た本も忘れずに回収する。

 巧に軽く手を振り挨拶をすると、玄関口にいる石垣に軽く頭を下げ、その脇を抜ける。

 蓮が石垣の背後にいたアストの存在に気付き、すれ違い様に横目でその姿を捉える。しかし特に気にした様子もなく、蓮は自分の部屋へと戻って行った。

 蓮が階段の奥へと消えた事を確認し、石垣はほっとため息をつく。


「なんとか誤魔化せたね」


 このまま玄関口で話しているのも怪しまれるので、巧は二人に部屋へ入るよう言った。

 外の寒さから逃れるよう、石垣は部屋へと入る。その後から、アストがゆっくりと靴を脱いで上がりこむ。

 二人をリビングに案内し、適当な場所でくつろいでくださいと言い残して巧はキッチンへと向かう。急須の茶葉を入れ替え、再びお茶の用意をする。


「あっ、お構いなく」


 と言いつつも、外の寒さが堪えたのかソファーに座る石垣の身体は震えていた。リビングは暖かいのですぐに温まるだろうが、何より喉が渇いていた。

 アストの方はリビングを見渡している。そう珍しい物はないはずだが、アストは色々と興味深げに見つめている。


「萩李さんとの連絡役ですか?」


 リビングへと戻ってきた巧。手にしたお盆の上には湯飲みが三つ置かれ、それぞれに緑茶が注がれていた。お盆をテーブルに置き、巧は湯飲みを石垣に手渡す。


「と言っても、任されてまだ5日しかたってないんだけどね」


 苦笑しつつ、恥ずかしそうに頬を掻く石垣。


「改めて、石垣龍一郎だ。よろしくな巧君」


 軽く頭を下げる石垣に、巧も会釈をかえす。

 石垣が手渡された湯飲みの緑茶を一口啜る。淹れたてのお茶はやや渋かったが、それを感じるよりも先に熱さで石垣は噴出しそうになってしまう。中々飲み込めず、やがて喉を通ったかと思えば咳き込んでしまった。


「いやあ、ごめんごめん」


 大丈夫だろうかと思いつつ、巧は今後が不安になった。

 やがて落ち着きを取り戻した石垣が、持ってきた鞄の中から二枚の用紙を取り出しテーブルの上に並べた。


「これは…」

「君を襲った子の身元が判明したよ」


 その用紙には巧を襲った少女、雛乃の顔写真と繁華街の中を歩いている際の後ろ姿を収めた写真がプリントされていた。アングルからして隠し撮りだろうか。

 その用紙を手にし、巧はそこに記される雛乃の情報に目を通す。


「アストちゃんの証言とここしばらくの調査で判明した、君を襲ったであろう人物のデータだってさ」

白咲(しらさき)雛乃(ひなの)…」


 住所まで載っていいるが、石垣の話ではそこに本人の姿はなかったという。


「監視もつけてるけど、戻ってくる気配はなさそうだって」


 蓮と摘まんでいたお茶請けのかりんとうの残りを食しながら、石垣は話す。

 意外な事に年齢は巧の一つ下だった。まだ高校生のはずだが、学校は既に卒業し現在は長期の休みなため足取りがつかめないらしい。

 そしてもう一つの用紙には、彼女の所持するデータがどのような事を行えるのか纏められていた。

 ただしそれに関しては巧とアストが目撃した情報を元に、更に61の収めたデータを解析したものであるため、そこに記された事以外にも何らかの行使が可能であるという前提での詳細だった。

 記された情報を見る限り、現状は二種類あるようだ。

 一つは動物への干渉、支配、使役の可能。

 61の情報を元にされた解析結果であり、これに関しては巧が直接目撃している。


「改めて思いますけど、とんでもないことですね」

「いやあ…実は俺も半信半疑なんだよね」


 情報を預かる者として先に見せてもらった石垣だったが、そこに記されている文章は目を疑うものばかりだった。書いた者の常識を疑うナンセンスな文章の数々に石垣は圧倒されたという。

 用紙には、知能が低い動物ならば何らかの電波、電磁波による影響での支配を可能とし、複数に同時命令を行うことも可能。と書かれている。

 人間に対する支配力は確認されておらず、あの場においても巧にその力が適用されていないことから、人体に対しては効果がないらしい。

 それもそうだ。それならば態々烏をけしかける様な真似をせず、直接巧を操り携帯電話を奪えばそれで済んだのだから。

 二つ目に、無機物を自在に扱う事が可能。


「…鎖に締め付けられましたけど、こういう事も出来るんだな」


 61の話しによれば、簡単な構造の物体であれば動きをイメージして動かす事が出来るとのこと。だがその有効範囲は思いの他狭いらしく、自分が身に着けている物、もしくは触れている物に限定されると言う。

 実際にそれらの事柄を目の当たりにした巧であったが、こうして詳細に纏めてみるとその出鱈目さや非現実的な様が如実に現れる。正に漫画やゲームに等しい事柄ばかりだった。

 ため息を零し、巧は湯飲みのお茶を飲み干す。少し冷めて微温湯となっていたが、渋みのおかげか脳には丁度良い刺激となった。


「こうして見るとほんと出鱈目だよね」


 石垣の何気ないその言葉だったが、言った後で自分の目の前にいる青年も同類である事を思い出す。

 慌てて先ほどの言葉を撤回しようとするが、巧は気にしていないと言う。


「石垣さんには、その…」

「俺にはそういう便利なものはないよ。元々部署も違ったしね」


 萩李により巧との連絡役に抜擢されるまでの経緯を掻い摘んで説明する。話をしている内に巧の表情が引き攣っていくが、どうやら萩李の奇天烈さには二人とも思うところがあるようだ。

 ふと、巧はこの場にいるはずであるもう一人の人物、アストがいなくなっていることに気が付く。周囲を見渡すが、少なくともリビングにその姿はない。


「トイレかな?」


 石垣も気付いたらしいが、なんともデリカシーのない発言であった。

 巧はソファーから腰を上げ、その異変に逸早く気付く。

 寝室のドアが半開きになっている。蓮がいた時から閉めていた為、巧はアストが開けたとすぐに分かった。

 半開きにされたドアの隙間から寝室を覗きこむ。

 カーテンを閉め切った薄暗いその部屋にアストはいた。その手には巧の携帯電話を握り締め、画面に映る61を見つめ何かを話しているようだった。

 やがて巧の存在に気付いたアストは顔を上げ、視線を巧へと向ける。


「人の部屋に勝手に入らないでくれ」


 ドアを開け巧が寝室へと入る。アストからの返事はなく、彼女は無言で巧の脇をすり抜けリビングへと戻る。すれ違い様に手にした携帯電話を巧に押し付けるように渡す。

 小さなその背を見て、巧はため息を零す。


「何を話していた?」


 視線はアストに向けたままに、巧は手にした61に語りかける。

 答えるつもりはないらしく61は一言、さあな、とはぐらかした。二人が何を話していたのか興味はあれど、詮索した所で教えてもらえる筈もなく巧はそれ以上の追及はしなかった。

 リビングに戻ってきたアストは、ちゃっかり巧が座っていた場所を占領していた。両足を抱えるようにしてソファーの上に座っている。

 長けの短いワンピースでありながら、そのなんとも無防備な姿勢に巧は思わず赤面し顔を背ける。そんな巧の様子を見て、まるで分かっていないアストは小首を傾げた。

 その時だった。携帯電話の着信音がリビングに鳴り響く。


「ちょっとごめんね」


 石垣はすまなさそうな顔をして、背広のポケットから携帯電話を取り出す。

 少々型の古い携帯電話で、使い込まれているためか所々の色が掠れている。しかし大事に扱っているのか、細かな傷はあるも比較的綺麗な状態だった。

 電話の相手は分からないが石垣の表情は真剣だ。


「分かりました。ではそのように伝えます」


 何度目かの返事の後、その言葉を最後に電話を切る。

 やがて巧の方に顔を向け、先ほどの電話での内容を伝える。


「君を襲った、白咲雛乃の居場所が分かった」







遅筆なので気長にお待ちください。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


PS:体調管理って大事だよね

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