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Episode 02






 時は進んで、現在に至る。

 意識を取り戻した巧は、見覚えのない室内に捕らえられていた。


「俺はどうなるんだろうな」


 ある程度の事情は、61により説明を受けていた。

 意識を失った後、自分は何者かによってこの見知らぬ室内で拘束されたという。話しを聞く限りでは、その者に助けられたと解釈すべきだろうか。しかしこの状況がどうにかなるわけでもなく、巧はただ時が過ぎるのを待つ他なかった。


「…寒いな」


 夜も更け、暖房器具もなく風通しの良いこの室内は冷えきっていた。夜の冷たさに体温を奪われ寒さに身を震わす。

 その時だった。ギシリと木製の床が軋み、人と思われる足音が聞こえる。

 一定の間隔で聞える足音は、真っ直ぐに巧の拘束された部屋へと向かっているようだ。巧のいる位置からは開け放たれた廊下しか見えずにその姿は確認出来ない。

 ふと、巧は足音が二つある事に気付く。少なくとも向こうは単独ではなく、二人組みらしい。

 やがて廊下の奥から光が差し込む。足音を響かせるその者が室内に入ると、手にした懐中電灯の光を巧に向けた。

 その眩しさに、堪らず巧は目を細め手械の付いた両腕で顔を庇うように覆う。

 懐中電灯を持つ人物は少しだけ光の角度を変えて、座り込む巧の足元を照らした。


「誰だ?」


 光にようやく目が慣れ、巧は現れた人物へと視線を向ける。

 懐中電灯を手にしたその者は黒いスーツを着用しており、61が言う巧を助けた人物と同じ特徴をしている。おそらくは本人だろう。


「…」


 その者は答えることもなく、ただ静かに巧を見下ろしていた。サングラス越しではあるが、その視線は巧と携帯電話の画面に映る61を捉えている。


「へえ、君がそうなんだね」


 代わりに答えたのは、スーツ姿の隣に立つもう一人の人物だった。その者の声からおそらく男性だと予想できる。

 男性はこの状況にそぐわぬ軽い口調。夜の闇に浮かぶような白いスーツを着用し、いかにも高そうな時計やネクタイといった物を着用している。金色のサラリと伸びた長い髪が印象的だった。

 巧に歩み寄る白いスーツの男。鎖に繋がれた巧の顔を覗き込むように見下ろし、中腰の姿勢になる。


「初めまして。確か、ええっと、綾川くんだったっけ?」


 確認するかのように、白いスーツの男は自分の後ろにいる黒いスーツの人物へと顔を向ける。黒いスーツの人物は短く、はいと返事をする。

 その声を聞き、巧は黒スーツの人物が女である事に気付く。

 再び顔を巧の方へと向け、白いスーツの男は顎の下に手をやり物珍しそうに舐める様に眺める。


「…」


 まるで珍獣を見つけたかのような態度に悪印象はあれど、それよりも巧は男の顔の方を注視していた。

 それは目の前の男性が絶世の美形とか、目を逸らすほど醜いとか、そういう意味ではなく。それは自然な疑問となり言葉となって現れる。


「お面?」


 白のスーツの男の身なりや声を見聞きした限り、上品や気品といった雰囲気を纏っていた。

 ところがその代名詞にもなるであろう顔の方はといえば、狐の顔を模したような面を被っており窺い知ることが出来ないのだった。


「これかい? こう見えても僕、結構偉い人なんだよ。出かけようとすると周りが色々と煩くってねえ。面をつけたまま話すなんて行儀が悪いと自覚はしてるんだよ」


 楽しそうに笑いながら喋る御面の男。


「でもそう警戒しないでくれよ。少なくとも今は、君の敵じゃない」


 今は、という部分を強調し御面の男が言った。

 二人の素性や意図はさっぱり分からないが、少なくとも巧を即座にどうこうしようというつもりはないらしい。

 その言葉の後、御面の男は自分の後ろに控えていた黒いスーツの女から何かを受け取る。

 小さな鍵だ。受け取ったそれを、巧の手枷の鍵穴へとはめ込み回す。

 ガチャリという音と共に手枷が外れ、巧の両腕が自由になる。開放された両腕の手首を摩りながら、正面で中腰の姿勢でいる御面の男に顔を向ける。


「それにしてもここは寒いね」


 御面の男が音もなく立ち上がる。くるりと巧に背を向け、部屋の出口へと足を運んだ。廊下に出た所で歩みを止め、背を向けたまま御面の男は口を開く。


「外に車を待たせてあるから、其処で話そうじゃないか」


 そう言い残し、ひらひらと手を振って一人廊下の奥へと消えて行く。

 その場に残された巧はゆっくりと立ち上がり、傍らに落ちていた携帯電話こと61を拾い上げる。

 ふと、視線を感じた。

 懐中電灯を持ったまま、先ほどから微動だにしない黒いスーツの女からだった。サングラスで視線は分からないが、その顔が巧と61の方へと向けられている。


「なにか?」

「…」


 巧の声に、黒いスーツの女は何も答えない。

 立ち上がって気付いたが、目の前の人物を女と称するにはやや小柄であった。どちらかと言えば、その体格だけを見るならば少女と称した方が適切であろうか。

 黒いスーツの少女は、少しだけ首を動かして部屋から出るように合図を送る。


「巧。今は言う通りにしておけ」


 今まで沈黙を保っていた61が巧に話しかける。

 巧はそれに答えることもなく、自分を見つめ続ける少女の横を通り過ぎ部屋を後にする。廊下は薄暗く床もかなり痛んでいるが、出口は意外と近かった。

 外へと出る。そこは窓から見えた通りの景色で、周囲は木で覆われた森の中のようだ。

 囚われていたであろう廃屋は木造一戸建てで、外観はかなり痛みいつ崩れてもおかしくない形をしている。

 そんな森の中の廃屋にはまるでそぐわない、真っ黒な大型のリムジン車が一台、停まっていた。エンジンはかかっているが、車内はスモークガラスのため外からでは中の様子は窺い知れなかった。


「どうぞこちらへ」


 そんなリムジン車の前に一人。

 清潔感のある白いYシャツにネクタイを締め、黒いタキシードと黒いズボン姿、おそらく執事であろう白髪の男性が立っていた。顔には多数の皺と白い髭を生やしており、年配である事が分かる。

 白い手袋をしており、慣れた手つきでリムジン車の後部ドアを開ける。その動作一つ一つはとても丁寧で、執事風の男性は車に乗るよう催促する。

 巧は一言礼を言い車へと乗り込む。車内は外見よりも広く感じた。

 バタンと車のドアが締められ、執事風の男が運転席の方へと歩む姿がガラス越しに見えた。


「驚いたかい?」


 車内にいた御面の男が声をかける。

 後部座席に座る巧と、高級感のある黒く小さなテーブルを挟んで向かい合う形で座っている。その右手にはワイングラスと、中には発泡する透明な液体が注がれてる。

 遅れてやって来た少女がドアを開け、御面の男の隣に座る。


「飲むかい?」

「お酒は、ちょっと…」


 御面の男がグラスを傾け勧めてきたが、未成年である巧は飲酒が出来ない。

 断る巧を見た御面の男は。


「あっははは! 心配しなくても、これはジュースだよ。僕もお酒ってのはどうにも苦手でね」


 爆笑していた。

 確かに、お酒にしてはアルコールのあの独特の香りがない。グラスを差し出したまま笑っている御面の男から、そっとグラスを受け取り中身を確認する。

 シュワシュワと泡立つそれは、甘い香りを漂わせていた。何処にでも売っているような、炭酸ジュースのようだ。

 それを一口だけ、口へと運ぶ。

 弾けるような炭酸水が舌を刺激し、それは甘みとなって脳へと伝える。長時間水分を摂っていなかった巧にとって久方ぶりに口にする液体でもあり、最初の一口こそ慎重ではあったが、残りは一気に喉の奥へと流し込む。

 空いたグラスをテーブルの上に置き、それを確認した御面の男は自分の後ろ、運転席にいるであろう執事風の男性に車を出すよう指示する。

 車がゆっくりと動き出し、暗く深い森の中を走り始めた。

 しばらくの間、外の景色は木々の連続であり先ほどまでいた場所が深い森の中であったことを物語っている。

 やがて景色が一変した。公道であろうか、整備されたコンクリートの二車線道路へと出た。海の近くだったらしく、左手の窓には海岸らしき風景が広がる。道路に他に行き交う車の姿はない。


「さて、本題といこうか」


 出合った時と変わらぬ口調で、御面の男が巧へ話しかける。つい窓の外を眺めていた巧が男の方へと向き直る。

 何から話したものかと、御面の男は右手を顎に当てながら思案げに唸る。その表情は狐の面のせいで確認する事は出来ない。

 そして、うん、と一度頷くと話を切り出した。


「まずはそうだね。君の所持する携帯、中身について話そうか」


 中身、すなわち61の事だろう。

 この不可思議な存在について、目の前の人物は何かを知っていると言う。巧は思わず腰を上げ、狭い車内の天井に頭をぶつける。

 その様子に苦笑する御面の男。隣に座る黒いスーツの少女は不気味なまでの沈黙を貫いている。

 巧は、自分でもらしくない行動に顔を赤面させ、頭を摩りながらも再び座席に腰を下ろす。


「その前に聞いてもいいかな。君はそれを、何処で手に入れた?」


 何かを探るように、御面の男は巧へと問いを投げかける。


「ネットの海を漂っていたオレが、偶然にもコイツの携帯へアクセスしたんだよ。何を思ったかコイツ、オレを開いちまったってわけだ」


 その問に答えるのは巧ではなく、携帯電話の中の61だった。

 巧は携帯電話を取り出し、61の映る画面を御面の男の方に向けてテーブルの上においた。画面に映るドクロマーク、61を前にして別段慌てた様子もなく御面の男はそれを見つめる。

 車内が静寂に包まれる。

 しばらくの間の後、口を開いたのは御面の男だ。


「話には聞いてたが、まさかこんな小型の端末の中でも存在できるとはね。それでは見つからないはずだ」


 興味深そうに61の収まる携帯電話を手に取りあらゆる角度で眺める。手触りを確かめ、携帯電話を操作し、何か変わった所がないか調べ始める。

 流石に中を見られることには躊躇いがあるのか、巧が止めようと身を乗り出す。


「ああ、すまないね。ちょっと興奮して我を忘れていたよ」


 すまなさそうに、手に持っていた携帯電話を巧の方へ差し出す。差し出されたそれを手に取り、巧は携帯電話の中身を確認する。どうやら個人情報やプライベートに関する所までは見られていないらしく内心ほっとする。

 反対に、御面の男は再び顎に手をやり思案に暮れる。


「見た所、なんの変哲もない既製品のようだね」

「別に、特注というわけでもありません」


 だろうね。と御面の男が巧の言葉を肯定する。

 だがそれは、男の中で61に対する更なる興味へとなっていた。


「そうなってくると、やはり野放しには出来そうもないか」


 その言葉の後、御面の男は押し黙り一人考えを巡らせ始めた。

 再びの沈黙に巧は緊張する。

 突如、車が小さく揺れる。

 何事かと思い巧が窓の外の景色に目を向ける。外はどうやら港のようで、一隻の大型フェリーから延びたスロープをリムジン車が登っている最中だった。


「船?」


 そこに至り、ふと自分が今何処にいるのかという疑問が頭を過ぎる。

 遠慮がちに問いかける巧に、御面の男が気付き答える。


「ここは海上都市じゃないよ。本土の船着場の近くさ、詳しくはちょっと教えられないけど」

「本土? なんでまた…」


 海上都市から本土までは大よそ数時間はかかる。それだけ長い時間を、自分は気を失っていたことになる。


「あそこは色々と目が恐いからね。互いの安全のためだよ」


 御面の男はさらりと恐い事を口走った。

 その事に対して質問しようか迷ったが、後が怖くなり巧は言葉を飲み込む。

 スロープを登りきり、リムジン車がフェリー内の車両甲板の中央に停車する。他に車はなく、広い甲板の一台だけポツンと存在する光景はなんとも奇妙だ。

 フェリーのスロープが徐々に迫り上がる。やがて完全に上がりきると、フェリーは汽笛を鳴らし、港からゆっくりと離れてゆく。

 その光景は車内に留まる巧達には分からないが、揺れを察するにフェリーが出航した事はなんとなく分かっていた。

 船着場から離れ、フェリーが徐々に速度を上げる。

 港が遠のき、またも御面の男から話を切り出した。


「話の途中だったね。その携帯の中身…綾川君は、61と呼んでいるそうだね」

「はい。こいつは、一体なんなんですか?」


 携帯電話の画面に映る61は、自分の事なのにも拘らずつまらなさそうに狭い画面内を動き回っている。


「こいつからは、自分が高性能のAIであると言う事は聞いてますけど、本当なんですか?」


 巧が言葉を重ねる。

 その問いかけに、ふむ、と唸り御面の男が答える。


「ある意味で正解だね。これ等は僕達が作り出した次世代型AIだよ」

「次世代型…?」


 名前の語感から、ある程度の想像は巧でも出来た。

 だが、目の前の男はそれよりも大事な事を口走った。


「僕達が作った、だって?」


 うん、と短く答え頷く御面の男。

 目の前の人物は61の生みの親だという。あまりに軽く言うものだからか、巧は口を半開きにし目を丸くする。


「うちの企業が極秘に開発してた、超性能を備えた擬似人格プログラムだったんだけどね。ちょっとした事故で、データが外部へと流出しちゃったのさ」


 両手を上げ、やれやれと言いたげに御面の男は肩を落とす。


「それの元は一つの大掛かりなプログラムなんだ。流失の際、およそ75のプログラムの断片となって一般のネットに四散した。個々の性能はそれなりだけど、本来のプログラムなら使い方次第で各国の戦術兵器をも手中に収めるぐらいの性能はあるよ」

「戦術兵器って…」


 あまりにも飛躍した話しに付いて行けず、巧は頭を抱える。


「しかし報告を受けた限りじゃ、意外と凄い力を備えているみたいだね。これは純粋に興味が沸いたよ」


 やや興奮気味に語る御面の男。それは製作者としての余裕なのか、それとも常識外れな力に対する興味なのか、それは分からない。


「擬似人格であるプログラムがリアルに干渉する。なんともそそられる話だと思わないかい?」


 何処までが本気なのか、御面の男は楽しそうだ。

 これに対し巧はどう反応すればよいのだろうか。話しの規模があまりにも大きくなりすぎ、最早巧の常識から大きく逸脱していた。


「信じられないかい?」


 御面の男が巧に問いかける。

 そんな巧からの答えはない。

 なんとも非常識極まりない話しだ。

 自分の手にした携帯電話の画面に映る61。コレが元はある企業の開発したプログラムで、その使い方によっては世界を混乱させることも出来るというのだ。

 常人が聞けば夢物語と笑われるか、戯言として相手にもされないだろう。だが話を聞いていた巧は、心の何処かでそれを信じていた。

 烏の大群を操る少女の出現。

 61の能力。

 聞けば、黒いスーツの少女も何か不思議な芸当で巧を助けたらしい。

 この半日の間に、自分の常識がまるで通じない出来事の数々。それを裏付けるように、この現状に至る。

 何より61と出会った際、姉の奇病を解析し治療する事も可能というあの言葉。

 それは最早部外者でもなんでもなく、61を手にしたその時から巧は深い所まで絡んでいたということ。

 やがて諦めたかのように強張った身体から力が抜け、脱力するかのように座席の背もたれに身を預けため息を零す。


「本当なら…俺も笑い話だって、笑う所なんでしょうね」


 背もたれに上半身を預けながら、巧は車内の天上を見つめながらポツリと呟く。それに対する言葉はなく、御面の男は巧の言葉を待った。


「なんなんでしょうね。昨日まで、なんとも平凡な生活だったのに。今日半日に至っては、まるで漫画のような出来事ばかり」


 右腕で目の前を覆い隠すようにして、巧は搾り出すように言葉を紡ぐ。


「分かってるんですよ。これは現実で俺は変な事に巻き込まれてるんだな、って事ぐらいは」


 それは誰に語っているわけでもなく、まるで独り言のように自分に言い聞かせるよう呟く。 

 何度目かの沈黙。

 やがて、巧は正面に座る御面の男と、黒いスーツの少女に顔を向ける。


「俺に何をさせたいんですか?」


 その目にはまだ迷いがあるも、巧は頭の中を整理してその言葉を口にする。


「そうだね。散らばったデータの回収が、本来の目的なんだけども」


 巧の心中を探るように、御面の男は静かに語る。

 だが、巧の答えは既に分かりきっていた。

 彼は迷わず、渡さないと答えるだろうと。

 故に男は本当の目的を語った後、一拍おいて巧の表情を確認する。その瞳には状況に対する恐れはあれど、明確な強い決意がある。おそらく、今彼を突き動かしているのはその決意だろうと、男は結論付ける。

 実力行使ならば、おそらく隣に控える彼女に任せても問題はないかもしれない。寧ろその方が手早く一番確実な方法である。だが、それにはいくつかの不安要素もある。

 更に付け加えるならば、自分自身がそんな状況に巻き込まれるのは全くもって冗談ではなかった。


「君には、その61を手放せない理由があるんだね」

「はい」


 雛乃と対峙した際の問いかけと同様に、巧は即答する。

 ふむ、と唸り御面の男は巧の顔を見つめる。巧のその目はしっかりと前を向き、自分を見つめている。

 やがて御面の男は口を開く。


「分かった。では君と61の回収は後回しにしよう。こちらとしても、話が通じるのなら有効に活用したいところだしね」

「…!」


 そう語る御面の男に反応したのは、意外にも隣に座る黒いスーツの少女だった。先ほどまで微動だにしなかった彼女は、理解できないといった様子で御面の男に顔を向ける。

 そんな彼女に対し、御面の男は彼女の口元に自分の右手人差し指を当て、喋るなと合図をする。何かを言いかけた黒いスーツの少女だが、その制止もあり口を紡いだ。


「能力は何度か観測してたよ。限定的ながらも探査能力とハッキング能力に優れているようだね」

「俺というより、こいつのですけどね」


 相も変わらず61は、携帯電話の狭い画面内でふてくされるように寝そべっていた。自分の事だと言うのに、まるで感心がないといった様子である。


「しかし回収を後回しにする為には、こちらからも条件を提示したいところだね」


 少女の口元からその指を離し、再び人差し指を立てたる。


「一つ。君達はその探査能力を使い僕達に協力すること」


 その条件は巧も考えていた。コクリと頷き、条件を承諾する。

 御面の男は人差し指を立てたまま、今度は中指を立てる。


「二つ。可能ならばデータの回収も行うこと」


 データの回収。それはつまり61のような存在を見かけた場合、相手の持ち主に接触しろ、ということ。下手をすればそれをめぐって争う事にもなるだろう。

 それに関しては少しばかり不安があった。


「探査の方もそうですけど、海上都市から出てまでそういう事は出来ませんよ?」

「無論、君の生活に支障ない程度だ。それにデータが海上都市外に流出する事はほぼありえない事だ」


 何故、と巧は問いかける。


「あれらのデータはネットに流出したとはいえ、膨大な情報量の中で個々を維持するだけの性能はない。必然的に、海上都市内の端末に身を潜めるしかないのさ」


 それに付け加えるように、海上都市全体にはセキュリティが布かれており今現在もそれらのデータが外部に漏れたという形跡はない、とのこと。

 少なくとも、巧の行動範囲は海上都市全域だけで済ませられる。それでも広いことに違いはないが、下手に世界中を飛び回るような真似はしなくて済む。

 そう思えば精神的にも肉体的にも楽だ。巧はほっと一息ついた。

 しかしそれも束の間、もう一つの不安要素が残っている。

 その事を口に出すまでもなく、御面の男はそれに触れる。


「回収、又は接触の際には連絡を入れて欲しい。そうすればこちらでも人を送るし、彼女も君の助けとなるさ」


 そう言って、自分の隣にいる黒いスーツの少女に顔を向ける。

 黒いスーツの少女が巧に向け小さく頭を下げる。

 もう一つの不安要素。それは、雛乃と対峙した時のような事がまた起こる可能性。相手が何も知らないようであれば、話し合いで何とかなるかもしれない。だが全てがそれだけで済むとは巧自身も思ってはいない。

 巧は悩みつつも、小さく頷く。


「三つ。この事は口外しないこと」


 薬指を立て御面の男が言う。

 自分達の不利益になる事を口外されては今後の活動にも大きな支障になりかねない。当然の条件だった。

 頷く巧に、男は御面の下でほくそ笑む。その笑みにどういう意味や意図が在るのか、それは本人の心中のみが知るところだった。

 御面の男が自らの右手を巧の前へと差し出す。


「宜しい。ではこれで、僕達は協力者という立場だね」


 握手を求められ、巧はテーブルから身を乗り出すようにその手を取り軽く握り返す。正面に座る男の表情はまるで分からないが、その手には力が込められている。


「そう言えば、自己紹介はまだだったね」


 握手をしたままの体勢で御面の男は声を出す。


祗園路萩李(ぎおんじはぎり)だ。こっちの彼女は、姫神(ひめがみ)アスト」


 巧が自分の名前を言おうとした時、萩李がそれを遮る。ある程度の素性調査は済ませているらしく、巧の事は把握しているという。

 握手を交わした後、巧と萩李にアスト、それに運転手の執事は狭い車内から出て車両甲板の上に降り立つ。鉄の床を踏みしめる度にその足音が何もない空間に木霊する様は、なんとも寒気が増してくる。

 執事の男を先導に、歩きながら萩李が巧に話しかける。


「海上都市に着くのにはもうしばらくかかる。今日はこの船の一室で休むといい」


 詳しい話はまた明日、とも付け加える。

 ようやく休めると思い、巧の身体から力が抜ける。本日何度目かも分からないため息は白い靄となって現れ霧散した。


(これで、よかったんだよな)


 そんな心の声に、巧は改めて事の重要さを認識する。

 だが、彼にはそこに至っても優先すべき目的がある。61と協力関係を築いた時に交わしたあの約束。


(姉さん…)


 不安と恐れしかない。

 それでも姉を助けるためならばと、巧は自らを奮い立たせる。

 果たしてそれが正しい事なのか、今の彼に知る術はなかった。






     ◆◇◆◇◆◇◆◇






 時を同じく、海上都市。

 夜の住宅街。どの家も明かりは落ち寝静まった頃、その夜闇の中を駆ける者が一人。

 赤くくすんだ長い髪は走るたびに乱れ、しかしそれを気にすることなく雛乃は走り続ける。呼吸は荒く不規則で、息をする度に白い吐息が漏れる。

 もうどれほど走っただろうか。

 雛乃は交差点を右へと曲がり身を潜める。先ほど駆けて来た道を覗き込むように顔を出し、誰も居ない事を確かめる。

 それを確認し、雛乃は背後のコンクリート塀に背を預け乱れた呼吸を整える。最早体力は限界に近く、呼吸は小さな肩と胸を上下させる程まで乱れきっていた。

 額に浮かぶ大粒の汗が頬を伝わり、顎に溜まった汗の雫が地面へと滴り落ちる。


「ああ、鬱陶しい」


 巧の襲撃に失敗し、路地を駆け抜け逃走に成功した雛乃だった。改めてチャンスを窺おうと策を巡らせ帰路へと就くその時、自分を監視するかのような視線を感じる。それはまるで、獲物を見つけたかのような敵意を含むものだった。

 その視線に追われ今尚逃走を繰り返しているが、その気配はまるで離れる事もなく雛乃を追いかけてくる。何とか逃げ切れてはいるが、本格的に何処かに身を潜めなければいずれは追いつかれてしまうだろう。

 追跡者の姿や目的は定かではないが、跡をつけてくるような者の要件など決まってろくでもない事だ。


(まったく…! 私、こういうのは趣味じゃないってのに)


 心の中で悪態をつきながら、胸に手を当て呼吸を整える。

 その時、人の気配を感じた。

 それは雛乃の通ってきた道の方向から。静かな住宅街に足音が響く、それは真っ直ぐ雛乃の方へと向かっていた。

 舌打ちをし、未だ乱れた呼吸のままその場から走り去る。

 雛乃が走り去ってしばらくすると、そこに雛乃を追っているであろう人物が姿を現す。


「───」


 周囲を見渡し、その者は雛乃が走り去った方向へと歩き出した。







遅筆なので気長にお待ちください。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


PS:甘いもの食べたい

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