8 倭国朝廷の朝
西暦512年 顔花が近寄ってくると、まるで花束の残り香のようなうっすらとした良い香りがするよう磐井王には思えた。百人もの女達が宮廷に住んでいたが、ふらりと王の寝殿に顔を出す事が許されているのは、皇后と数名の順正妻とも呼ぶべき女達であった。皇后はいずこの王朝でも、王制を保つために、政略的な、しがらみで他の王家の姫を頂く事が多いが順妻たる数名の女官たちは美形が多いのが通常である。その例にもれず顔花は親の地位はさほどではないがその気だての良さと香るような清らかな美しさは、美形がそろう後宮のなかでも抜きんでたものだ。磐井は、武にたけた質朴な性格の人であったから後宮にあまり多くの女達を住まわせなかった。女を後宮に入れる場合はその人格が上品であることが一番大事なことであると思っているのだ。正妻は肥の国(火の国、九州南部)の姫を、倭国安定のために親王のすすめで貰っていた。顔花とのあいだにはすでに一男一女の子が設けられている。皇后とのあいだには、まだ子供がない。そのことが宮廷内では何かと話題にはなっているが、磐井はそのような事を気に病むような男ではない。好んで野に狩りをし、野宿するような男らしい自立心に満ちた人だ。 磐井の王宮は博多湾を見下ろす丘の中腹に荘厳に建てられている。「見ろ、顔花、朝もやが晴れてきた。俺はここから見える倭国海軍の千からなる船の様を見るのが好きだ。この眺めこそは我が倭国そのものではないか。いつの頃からか定かには判らないが我が祖のまた祖はこの海の漁り人であったという。この海によって倭国は生まれ、育てられ、王国として建つことができるようになったのだ。倭国は対馬、壱岐島を忘れてはならない。この大海の中に、かの麗しい島々があればこそ、我らが祖は加羅(韓国)と筑紫に領地を広げることがなったのだ」「本当にいつ見ても神秘に満ちた海原でございます。数多くの高天原伝説と国造りの物語ができたのは、この豊穣な海ゆえでございましょうね」「しかし倭国は今までのところ順風満帆で進んで来ることができたが、今まさに西の大陸に乱が起こり、東に北に蛮属が勃興しておる。容易ならざる事態だ。この静けさがいつまでも続くか判らぬな」海はキラキラと光り始めた。