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78 磐井の時代の状況

こうして、歴史事象を書き連ねるのは何度ものことであるが、それというのも、磐井の生きた時代の状況のイメージが、私が学生時代に学んだ、日本書紀を元とした、古代とのイメージと重ならない故だと思う。西暦五世紀は、三国史記の叙述を信じるとすれば、高句麗の執拗な南下策が百済、新羅、伽耶を翻弄した時代といえるだろう。こうした状況下、百済はしだいに倭国と接近し新羅は倭国と対立するようになっていったと読める。

 しかし、時には新羅は倭国と協力して、高句麗と闘ったような背景が透けても見える。倭国がしばしば新羅を襲うのは新羅が強くなりすぎないように、倭国が干渉するのであろうか。三国史記では倭国を倭人という言い方をすることが多い。どうも海を渡ってくる倭人(倭国)と西の陸路からおそってくる倭人(伽耶諸国であろうか)の二種があるように思える。新羅と百済は対立の要素を残しながらも、自国の孤立を恐れ、高句麗の前には共同戦線を組み戦う。この共同戦線にはどうやら、伽耶も、その背後にいる倭国も組み入られているようだ。

 高句麗の南下策がなければ勃興する新羅はたちまちの内に伽耶を吸収してしまうに違いなかった、また百済をも、その野望の対象にしたであろう。しかし強国高句麗の強大な軍力の前には、弱小な者達は生き残るために結束せねばならないのが宿命である。倭国と新羅は、敵であるが味方であるという複雑な関係に置かれる事となる。それが後世の我々には理解しがたい複雑さを歴史に作り出しているのではないだろうか。それはちょうど日本の戦国時代の解りにくさと似たものと言える。

 くわえて三国史記の叙述の嘘がなおさら、我々の頭を混迷の中に引きずり込むのだ。度重なる倭の侵略は本当だろうか、それが紀元前から始まっていることなどは、とても真実とは考えられない。新羅本紀が自ら述べているように五世紀の新羅は新興国であったという記事である。それ故、それ以前、紀元前からの永い歴史は作られた小説であった事を示している。


 しかし、高句麗、広開土王以来強まってきた南下策は、百済と新羅と伽耶諸国を苦しめ続けた事は間違いない。長らく伽耶諸国の相談役を任じてきて、相応の利益のあった倭国にも年ごとに負担が加わって、魅力のないものと成ってきたことだろう。


 

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