表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/226

75 美化された新羅の歴史

 462年 倭人が活開城かっかいじょう(場所不詳)を襲って破り人一千をとりこにして去って行った。


 463年 倭人が歃良城そうりょうじょうを侵略したが、破れずに去った。王は伐智ばつち徳智とくちに命じ、兵を路に隠して待機させて、突然襲って、激滅した。

 倭人がしばしば国境を侵すので、国境近くに二つの城を築いた。(国境?境は海ではなかろうか。この言葉によれば、隣に倭人の国があったみたいである!筆者感想)


 476年 倭人が東辺を侵略した。王は将軍徳智に命じ撃たして、それを破った。殺害すること二百余人であった。


 477年 倭人が兵を挙げて、五道に来て進入した。(多くの街道を埋め尽くすように非常に多くの兵士が進入したのである。多くの街道すじから、陸路を!やって来たという事は、暗に倭と伽耶諸国の連合軍の存在を示しているようである。筆者)しかしながら、新羅に打撃を与えることができずに戻って行った。


 482年 倭人辺を侵す。


 486年 倭人辺を犯す。


 493年 臨海(山の中を臨海と今も昔も呼ぶまい。明らかに新羅北辺地域)・長嶺(山岳地域であろう。加耶・倭国鎮守府方面の西の山岳地域か)の二鎮を置いて、倭賊に備えた。


 497年 倭人、辺を犯す


 500年 倭人、長嶺城を攻め落とす。(このあと、665年まで倭関係の記事なし・527年に倭国で磐井の乱起こる)




 


 


 


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ