表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/226

73 作り出された新羅の長い歴史

 三国史記中の新羅本紀には、非常に古い出来事が載せられている。


 倭人兵(つら)ねて、辺を犯さんと欲す。始祖(姓はぽくいみな赫居世かくきょせ)の神徳(神的な能力)があるを聞いて、倭人は戻っていった。(始祖は前漢孝宣帝の五鳳元年=西暦・紀元前五十年に即位したとある)


 始祖は瓠公ここう(もとは倭人であって、瓢箪ひょうたんをつけて海を渡ってやって来たので瓢公と呼んだ)を馬韓ばかんに派遣した。馬韓の王は「辰韓しんかん弁韓べんかんの二国は私の属国なのだ。それであるのに毎年の貢ぎ物をそちらに廻して寄こさなくなった。大国に仕える礼儀というものを知らないのではないか」と瓢公を責めて言う。瓢公は答えて言った。「わが新羅は始祖が国を建ててから、世の事項は収まり、天候は順調で、穀倉は充ち人民は礼儀正しい。このような我が国に辰韓の人々を始め、弁韓・楽浪らくろう・倭人にいたるまで恭しく従わない者はいない。このように強大な新羅であるが、貴国に臣を使わして修好しようとするのである。非常に礼儀ただしい事ではあるまいか」

 馬韓の王は、激しく怒って、配下の者達に武器を持たせて詰め寄らせ瓢公を威嚇した。

「これはどういう事だ」瓢公は言ったので馬韓の王は瓢公を殺そうとしたが、下臣が押しとどめた。

 (始祖38年=紀元前20年の条)


 このように、古い出来事を書く一方で、これに矛盾した事が書かれている。


 503年 十月 群臣が王に言った。「始祖が国を建ててから、まだ国の名を定めませんが新羅という国名はどうでしょう。またこの国を治める方をお呼びする、名も確定しておりませんが、新羅王とお呼びしたいと思います」王は、それで良いと言った。(新羅本記)


 504年 九月 役夫を徴用して十二城を築いた。(新羅本記)


 505年 二月 王は国内の州、郡、県を定めた。


 

 以上の記事から判断すると、新羅は500年のころ、ようやく国家らしい体制を整えたばかりであったのではないだろうか。すでに500年の歴史を持つという国が、国の正式名を持たず、各地の支配拠点もなく、国内の区画も定まっていないという事がありえるだろうか。そこから考えるにたび重なる倭の侵略は、長い歴史を創作ために、ひんぱんに、事実を曲げて過度に記載されたことが推測される。六世紀以前の新羅は伽耶三十国の一国にすぎない弱小な存在だった筆者には思われる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ