7 磐井以前の歴史
512年 戦により倭国が消耗したのだろうか、前年に引き続き、倭の韓地内の領土である任那から新たに巳紋多沙郡を百済に割譲した。
任那各郡に動揺が走った。倭国はどうやら倭軍を撤退するようだと思われた。任那各地をこの先、見込みのない百済に押しつけようとしているのだ。任那の一郡、ハエ郡は反乱を起こして巳紋を略取した。ここに至って任那における倭国の権威は失墜した。 倭国の王子である磐井の青春は以上に書いてきたような歴史の中で過ごされた。磐井は輝かしい倭国の伝統を背負い任那倭国府の筆頭として韓地の経営を父王から任されるという立場にいた。若い磐井には重すぎる荷である。磐井の成人を待つかのように父王は磐井を韓地に送った。磐井王子は筑紫での平穏で豊かな日々を奪い取られて突然、凄惨な戦闘の日々の中に投げ込まれてしまった。友と筑紫野で猪や都にを追った頃が懐かしい、王子々と呼ばれ、皆からかしずかれてはいるが鬱々とした気持ちは晴れなかった。 磐井は三十才になろうとしていた。梅の花が内庭で咲いている。早朝であるから倭国、任那御所の中は静まり返っている。目覚めて間もない磐井は麗しい日射しの為だろうか思索の中に沈んでいる。「思えば、宋国が傾き始めてから全ては狂い始めたのだ。西方の脅威が去った高句麗は野望を南に向けた。それまでは群小国であった新羅は高句麗の力を得て倭国に逆らうようになった。逆らうどころか領地拡大の意図を隠さない。・・・・もうどれだけの歳月が戦乱で過ぎて行った事だろうか。もともと新羅は自意識の強い国だ、倭国以前に栄えた出雲王朝の祖は新羅人だという言い伝えがある。それであるのに長年新羅は他国の侵略を受け恵まれなかった。こうした状況が新羅人を強くしたのだ。新羅人の心の中には英雄願望がある。書を読み、美しく強い武人は新羅人の夢だ。新羅人はそのような武人を花郎と呼んでいるそうな。そのような強いあこがれは任那人にも百済人にも見あたらない」 そのような思索に入っていると、「殿、早いお目覚めですね」と妻室顔花がその名の様な鮮やかで清楚な顔に微笑みを浮かべて寝所に入ってきた「お、顔花か夜の間どこに行っていたのだ捜していたのだぞ」