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68 百済本・武寧王・倭王

 話しを進めてきて、やっと武寧王と磐井の関係が見えてきたようだ。武寧王は磐井と非常に密接な関係であることが推測出来る。しかしながら韓国のたった一つの歴史書である三国史記は完璧に百済と倭国の因縁を削除している。三国史記には百済、高句麗、新羅の歴史が分けて書かれているが、そこに倭国はおろか伽耶かや諸国が登場することはない。従って私達は日本書紀の武烈王以降の記事に当時の状況を知るだけである。

 だが、この日本書紀もそれ以前の歴史書を改竄した上、ばらばらにして部品としてくみ上げたファンタジーめいた物である。実際にあった事は分析を進めた末にやっと向こう側におぼろげに見えるたぐいの書である。しかし、書記の「心ある」編者は「磐井の反乱」を抹殺する事なく、かなり克明に残しているし、継体王の出身も隠してはいない。(前記したが、古事記では磐井の反乱は数行の記述にすぎない)書紀の「良く考える者には解るであろう」という後世への呼びかけは、後世の我々には嬉しいものである。日本書紀の編者は、我が身の危険を冒して、真実を後世に残している。(中国では皇帝の気に入らない記述をして殺められた史官は少なくない)これが「彼ら」にできるベストであったと筆者は思う。私達はこの「勇気」を民族の誇りとすべきだろう。

 1930年生まれで、ソウル大学法学部を卒業後米国に留学後、韓国の大使を歴任し、大学の教授となった蘇鎮轍そちんちょる氏はその著書「百済武寧王の世界 海洋王国・大百済」彩流社刊、2007年発行。の中で、武寧王は倭の五王の一人「武」であった。40代にして倭王の位を子に譲り、百済王家の危機を救おうと、渡海したという驚くべき説を出されているが、ここまでは筆者は同意できないが、そのような根拠がないわけではないのである。百済と倭国の濃厚な関係、新羅との強烈な敵対は、このような背景なしには考えられないことだと思う。

 倭国王たる磐井は、武寧王の濃厚な親族(何代にも重なる姻戚関係)として武寧王を手厚く保護した事は間違いのないことである。ここでしつこいが、百済は朝鮮半島の西側の国である、ここに近畿大和国は頻繁に大和から大軍船団を出しえただろうか、否。これが倭国、九州説をとる筆者の論の根源である。





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