58 焚書、桓武天皇、今上陛下
余談ついでに、もう少し話を続けよう。これも井沢氏の受け売りだが南北朝時代、後醍醐天皇(1288年~1339年)の側近、北畠親房が南朝の正当をの書いた【神皇正統記】には注目すべき記事がある。【昔日本は三韓と同種也と言うことのありし。かの書をば桓武天皇の御台(781年~806年)に焼き捨てられしなり】桓武天皇の生母は三韓の百済、武寧王の血筋を引く者であった。
今上天皇は平成十三年(2001年)天皇誕生日前に行う恒例の記者会見で翌年開催されるサッカーワールドカップの日韓共催に言及されて次のように語られた。
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招聘されるようになりました。また武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えた事で知られています」
この事は日本マスコミは特に話題にしなかった(主要全国紙でこのゆかり発言を掲載したのは朝日のみであり、毎日、読売、産経はお言葉を全文掲載しながらこの「ゆかり」部分は削除している!)が、韓国では大きな話題となったそうである。「皇室百済起源論」(朴正薫記者筆・2001年12月23日「日王、朝鮮半島との血縁関係を認めて言及」朝鮮日報載)「日王(韓国では天皇をこう呼ぶ、筆者註)が秘められた事実を暴露」(金基哲記者筆・2001年12月24日「日王は百済の末裔・韓国人学者の主張」朝鮮日報載)
また当時の金大中韓国大統領は年頭記者会見で歓迎の意を表した。(2002年1月15日毎日新聞載)
今上陛下は、平城遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて同じ趣旨の事をかたられている。(「金剛学園出演「歌垣」が結ぶ韓日中」 民団新聞載 「平城遷都祭「花いちもんめ」」民団新聞載)
筆者は今上天皇の、この発言にあらわれた、差別観のないおおらかで知的な人柄に驚き、深く感銘を受けた。