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55 百済武寧王と倭国

 501年 不評の百済の東城王が亡くなって(一説によると殺害された)百済は倭国にいた斯麻しま王子を武寧王として立てた。東城王の時は高句麗に推しまくられていた百済だが高句麗に対して果敢な反撃をするようになった。

 百済の巻き返しは、倭国王家の繋がりである武寧王(この名前はなんだか意味がありそうである。武寧つまり武と親しいと言うような意味をもっているのは、倭国武王の姻戚を表してるようにも思える)が即位して始まったのだ。

 磐井は長らく伽耶の行く末を危惧していたが、ここにおいて、良い手を打てるようになったことを喜んだ。ようやく韓地の難問から倭国は放たれて国内の問題にあたる事ができるようになる。

 近畿はもはや倭国の管理するところから離れ、騒乱の渦のなかにある。やがてそこから統一の王が登場してくるだろう。そしてその王との融和、戦闘も考えねばなるまい。しかしそれまではまだいくらかの歳月が残されている。当面、倭から多数の軍船を出す必要から逃れる事ができそうだ。その間、念願であった王墓の造成に着手できそうである。高句麗は百済が押さえる。新羅は倭と伽耶が押さえるということができれば、倭は安泰である。新羅ならば得意の軍船で東岸から攻める事ができよう。

 武寧王の擁立には倭国は随分の軍船を送ったものだった。新羅を牽制しながら、軍兵を百済に直送し、西海岸から百済西岸に上陸させ、百済で対立する勢力と闘った。内陸からは伽耶の軍を陸行させて攻め立てた。

 しかし、こうした安定はそう長く続くものではないと、磐井は思っている。長い、韓への出兵は軍兵としてかりだした農耕民の激減、農作物の減少という結果を招いている。先祖伝来の韓地の領土はかっては大きな収益があったが、いまや、ひどく割のあわないものとなりはてた。早晩伽耶からも手を引くべきだろうと考えている。庶民の呪いの声は磐井の耳にも届いている。しかし伽耶から手を引くのはいいが、躍進する新羅が倭国を侵略するとい言うこともありえるから、その手も打たねばなるまいと思うのだ。

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