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4  磐井以前の歴史

 402年 倭王は新羅と和を講じた。(推測すると高句麗と新羅の共同軍は広開土王碑に書かれたよう勝利はできずむしろ敗戦に終わったようである。高句麗は去り、新羅は倭国の属国となっただろう)新羅王の子、ミシキンを人質とした。


 405年 百済王がなくなった。弟のクンカイが代理に立って、八年まえから倭国に人質となっている王子のテンシが国に帰れるようにした。倭国にいるテンシは百済王没の知らせを受けると慟哭して帰国を願った。倭王は兵士百人をもってテンシを百済に送る。テンシが百済の港にたどり着くと末弟のセツレイがクンカイを殺したうえ、王になっていた。テンシが身の危険をさける為、海中の島に潜んでいると、部の者がセツレイを殺害した。こうしてテンシは王となった。


 421年 宋(中国の王朝)の初代皇帝 武帝ぶていは次のように言われたという。「倭国のさんが万里はるばる貢ぎを納めに来た。遠方からの忠誠の志を形にすべきなので官位を賜うであろう」宋書倭国伝 載


 425年 宋の三代 文帝の時、倭王讃は家来の司馬曹達しばそうたつを使わした。司馬は文書とともに倭国の産物を献じた。(その後)讃がなくなり弟のちんが立った。使いをよこして倭・百済・新羅・任那・秦漢・慕漢・六国諸軍事、安東大将軍、倭国王の称号を賜るよう書を手渡した。しかし倭王には安東大将軍・倭国王の称号があたえられたのみであった。 宋書倭国伝 載

 

 443年 倭国王 さいが宋に使いを遣わして貢ぎをもたらした。そこでまた、以前と同じ称号安

東大将軍・倭国王の称号を与えた。


 462年 宋の第四代 孝武帝は次のように言われた。「倭王の世継ぎ こうもやはり宋に忠を保

ちながら、国を海中に維持し続けた。状況に変化があっても 国境を守り、宋に貢ぎを怠らず、辺地の任務をまっとうした。当然称号を受けるべきである。安東将軍・倭国王という称号をあたえなさい」(その後)興が死んで弟の武が立ち(かってに)倭・百済・新羅・任那・加羅・秦漢・慕漢・七国諸軍事、安東大将軍と名乗って文書をもたらした。

 

 

     




  



     

 

 

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