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37 倭国御所 512年

 この話を読んでから、今日読むべき所に目を落とす。


 宋の第四代孝武帝は次のように言われた。(462年)「倭王済の世継ぎ興もやはり宋に貢ぎを怠らず、辺地の任務をまっとうした。当然称号を受けるべきである。安東将軍・倭国王という称号を与えなさい。」

 その後、興が亡くなって弟の武が立ち、自らを名乗って 倭・百済・新羅・任那・加羅・秦漢・慕漢・七国諸軍事、安東大将軍と名乗って文書をもたらした。それは次のようである。


 「私ども倭国は宋の国と遠く隔たっておりますが、海の外にも領土を伸ばしております。昔より祖先は甲冑をつけて山川をかけ渡って寸時の閑もありませんでした。東は毛人五十五カ国を平らげ西の蛮族六十六カ国を征服し北の海を渡って韓国からくにの九十五カ国を平らげました。王道は安泰で、開拓を進め上質な田畑を五百里四方も増やしました。倭の歴代の王は毎年絶えることなく宋国への訪朝を欠かしませんでした。皇帝の臣として私は愚かなものでありますが、かたじけなくも王統を次ぐことができましたので全力をもって宋に渡るべく、臣達をして星と太陽を海路のしるべとして進ませましたが、不道徳な高句麗は百済を併合するために百済国境から侵入し紛争をくりかえしております。そのため沖の海上を航行して宋に向かう倭の朝貢船が通る事ができなくなりました。

 わたしの父の済はこれに怒り、臣下百万がこれに呼応して出兵しようとしましたが、その時突然、済王は父、兄を亡くし、この計画は行われずに終わりました。今となってやっとその計画を実行できるようになりました。なにとぞ皇帝の庇護のもと高句麗との戦いを援助していただければ、一層皇帝の力となれるでありましょう」


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