36 倭国御所の磐井王 西暦512年
西暦512年(またしても西暦である!東洋を語るのにキリストの生誕の次の年に由来する暦を使わねばならないのは変なものであるといつも思う。しかしこの西暦を使わないことにはどうも歴史の時系列は混乱したものになってしまうから仕方がない)の時点に今、磐井は生きていて、博多湾の倭国の千もの軍船を毎朝見下ろしている。
今日は倭国王家に伝わる歴史書「倭国古記」を朝から開いている。それは神話から始まる倭国の歴史書である。磐井はこの書の中で王家の発祥の歌がすきである。いつもそれに目を通してから本文に入って行くのが常である。その歌とは次のものである。
ここは韓国向かい、笠沙の岬を真来通りて、朝日の直刺す国、
夕日の日照る国なり。 故この地は良き地
倭の祖王、ニニギの命 筑紫、日向に 降り立った時の歌。
(ここ、日向高千穂の嶺は韓国に真向かい、博多の笠沙の岬をまっすぐに通ってきたところで、いつも朝日が赤々と、夕日が赤々と射す国である。それであるから、この地は豊かでよいところ
だ)
磐井は子供の頃、祖父王から膝の上で昔話をきいた。「私達の祖はかって、加羅の地に住んでいてな、小さい海辺の王国の王であったそうな。今はこうして倭国の王だが、祖国は海の向こうなのじゃ。小さい国は海戦に優れておってな、加羅の南岸、対馬、筑紫北岸を基地として大きく国を広げる事ができたのだよ。倭の中心はいつしか豊かな筑紫に移ったが、王は加羅がなつかしくて、そこの高千穂の嶺に登っては飽かず、加羅の方の海を眺めていたそうな」と。・・・その伝承が古記に残っている、この歌なのだと磐井は思う。
しかし磐井は対馬にも日向山がある事を知っている。そこはまさに東と西が河によって開け、朝日と夕日が燦々と輝く所なのだ。王家内の伝承では、そこが初めて開かれた加羅以外の都であったといわれているのだ。それは百年以上も経った今となっては解らなくなってしまったのは仕方がない事と思っている。