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35 削除された倭国

 何故首を傾げるかというと、450年あたりから高句麗本紀の「使者を魏に遣わして朝貢した」一辺倒のもはや史書とは言えない内容や、新羅、百済の印象の薄い記事の多発にである。無惨な高句麗本紀には、たまに450年新羅陣が高句麗辺境の兵を殺す事件 454年 高句麗が新羅の北辺を侵略し始めた事。468年 一万の兵による高句麗の新羅への侵略の成功 475年 高句麗兵三万に依る、百済、漢城の陥落などがあるばかりである。百済本紀を見ると、469年 百済は将兵を派遣して高句麗の周辺を侵した。475年 高句麗が兵三万を率いて百済王都の漢城を落とした。488年 魏の軍が百済を襲ったが、百済に破られた。493年 百済王は新羅に結婚を請うた。新羅は重臣の娘をよこした。494年 新羅は高句麗に勝てないで城に退いて守った。百済は兵三千を派遣して新羅を救った。 新羅本紀には比較的出来事が記載されているが、高句麗本紀が本来、こんな愚かしい記事であるはずがなかった。


 もう、ここら辺で宣言しよう、三国史紀の編者は倭国の縦横の動きを歴史に残したくなかったために高句麗史をずたずたにし、百済史を影の薄いものにし、伽耶史と倭国の活躍を、ほぼ完全に抹消したのであると。


 しかしながら、これまでの検証で、いかに朝鮮半島と倭は濃厚な関係であったかが明らかになった。この倭が大和王であるわけがない。そのような非常識を常識に引きずり戻すためにあがいていたのだと言える。筆者は「磐井の反乱」を描くために、随分脇道にそれてしまったようだ。もうこの辺で、本来の道に戻って行こうと思う。


 磐井の生きた時代は、百済の国力が弱くなり、新羅が爆発的な武力で高句麗を押さえ、百済をおさえ、伽耶を侵略しょうとした時代であった。倭国に取って半島は長らく収奪できる場所であったが、新羅の発展によって、それが期待できなくなった。収奪によって得た利益は膨大なものであった。これを失うことは倭の国力を失う事を意味していたので。それまでは独占的だった、この列島における立場も、近畿、関東の北方の稲の生産にともなう、地方権力の増大によっておびやかされつつある。倭国にとって失地回復は緊急のもんだいであった。

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