32 三国史紀について
さて、長らく年表ばかりで退屈だったとのではないかと著者は思うのである。しかし退屈ながらも、この本編記載に長らくおつきあい頂いた方に感謝致します。この記載の中には当然ながら倭国伝が含まれているが倭国は三国の中心的存在どころか、たまに海から襲ってくる海賊的な扱いをされていると著者は感じる。高句麗に対して百済と新羅は力を合わせて戦っているが、倭国の影はきわめて薄い。そして倭国は何故新羅だけを敵対視するのか・・・著者はふと思い当たる。古事記、日本書紀は倭国が日本海を取り囲む韓の東岸と対馬と筑紫北岸に産声を上げた事を切々と歌っている。著者のこの作品の冒頭の古事記に記載されているニニギの命の天孫降臨のロマン溢れる歌を思い出して欲しい。そうだ新羅が王国を造っている土地はかって倭国であった土地なのである!新羅にとられた韓の東海岸地域と伽耶(任那)がある南岸地域は倭国が産声を上げた地域なのだ!韓地は伽耶を含めて四か国なのに「三国史紀」という書名はどういう事であろうか。朝鮮半島南岸地帯に小国の連合国として存在していた伽耶は国ではないと言うのだろうか。著者はさらに思う「三国史紀」にも古事記、日本書紀成立に似た「焚書」があるのではないかと。
そこで「三国史記」の成立事情を調べて見よう。「三国史紀」は新羅が発展し統一新羅を成立、崩壊のあとできた高麗十七代任宋王の命を受けて金氏が作成(1145年完成)した朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。作成にあたって使用した資料は「古記」「海東古記」「三韓古記」「本国古記」「新羅古記」金大問「高僧伝」「花郎世紀」などが資料として用いられた。それらの資料は現存していないため、その記述の内容には検討の余地がある。また多くの資料を中国の歴史書によっているように見られる。
内容面においても新羅の比重が大きく、価値観に新羅に偏重している面が見られる。中国の史書において新羅より早く建国している高句麗よりも新羅の方が早かったように記述している。