31 三国史紀本編
494年 七月 高句麗は新羅と薩水の原で戦ったが新羅は勝てないで犬牙城に退いて守った。高句麗軍は犬牙城を包囲したので百済王は兵三千を派遣して包囲を解かして新羅を救った。(百済本紀)
七月 新羅の将軍実竹などが高句麗軍と薩水の原で戦ったが勝てず犬牙城に退いて守った。
高句麗兵が追ってきて犬牙城を包囲した。百済王が兵三千を派遣して救援したので高句麗兵は包囲を解いて帰った。(新羅本紀)
495年 八月 高句麗が百済の城を包囲した。百済が救援を請うたので新羅王は将軍徳智に命じて
救援させた。高句麗兵が逃げたので百済王は使者を出して謝した。(新羅本紀)
496年 新羅に加耶国が白い雉を贈った。尾の長さが五尺あった。七月に高句麗が牛山城に攻めてきたので将軍の実竹が出撃して泥河の上でこれを破った。(新羅本紀)
497年 四月 倭人が新羅の辺境を侵した。八月 高句麗が新羅の牛山城を打ち落とした(新羅本紀)
498年 八月 百済に耽羅がきまりの貢ぎを納めないので王みずからこれを征伐しようと
近辺まで到着すると、使者を遣わして謝罪するので、これを中止した。(耽羅は済州島である)(百済本紀)
500年 三月 倭人が長峯城を攻め落とした(新羅本紀)
502年 十一月 達卒の優永を派遣して兵五千を率いて高句麗の水谷城を襲撃した。(百済本紀)
503年 九月 靺鞨が馬首柵を焼き高木城に進攻してきたので王は兵を五千出して撃退させた。(百済本紀)
506年 七月 靺鞨が攻めてきて高木城を破り600名を殺したり捕虜にしたりした。(百済本紀)
507年 十月 高句麗の将軍高老が靺鞨と共謀して漢城を攻めるために横岳の下に進出して駐屯したので王は兵を出して戦い撃退した。(百済本紀)
512年 九月 高句麗が加弗城を攻め取り、さらに円山城を破り、殺戮と略奪が激しかったので王は勇敢な騎兵三千を率いて戦った。高句麗軍は王の軍が少ないのを見て、軽んじて陣を設けなかったので、王は騎馬を出して急襲し破った。(百済本紀)