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28 三国史記本編

455年 使者を宋に使わした。(高句麗本紀)

459年 四月 倭人が兵船百余隻で新羅国の東海岸を襲った。倭人は月城を囲んで進撃し、城の四面 に、石矢が雨のように降った。しかし王は城を堅く守ったので、敵は退却しようとした。王はその時、城から兵を出して撃ち破り、北へ追って海にまで追撃したのでおぼれ死ぬ者が半数を越えた。(新羅本紀)

462年 三月 使者をに遣わした。(高句麗本紀)

倭人が活開城を襲い破り、一千名を捕まえて連れ去った。(新羅本紀)

463年 二月 倭人が再び襲ってきたが勝てずに去った。王は要路に伏兵して襲わせ敵を大破した。倭がしばしば国土を侵すので、海に沿って二つの城を築いた。(新羅本紀)

468年 高句麗が靺鞨まっかつと共同して北辺を襲った。九月に周辺の住民十五才以上を徴募して

泥河に城を築いた。(新羅本紀)

二月高句麗王は靺鞨の兵一万を率いて新羅の城を攻め取った。(高句麗本紀)

469年 八月、百済軍が高句麗の南の境から進入した。(高句麗本紀)八月、将兵を派遣して高句麗の南辺を侵した。各所の城を修理し、青木城に大柵を設けた。(百済本紀)正月、都の市街地の名をつけた。四月国の西部に洪水があり、民家が流された。七月、王は水害のあった州、郡を巡幸して慰撫した。(新羅本紀)

470年 三年山城を築城した。(新羅本紀) 二月、使者を魏に遣わした。(高句麗本紀)


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