26 閑話休題
資料ばかり読ませられていささかうんざりしている方もおられると思う筆者です。とにかく新羅は倭に悩まされ来たこと、百済は倭からそれほど迷惑をかけられていなくて、高句麗と新羅に対して牽制力になってくれている倭に好意を持っていたことがうかがえる。
六世紀を迎える頃の朝鮮半島の情勢は以上のような有様だった。注目していただきたいのは韓や中国に登場する国はいずれも「倭国」であって「和国」もしくは「大和国」「日本国」ではないことである。
「倭国」がどこにあったのか筆者は決して断定はしない。筆者はあえて、古事記、日本書紀に物語を作る材をとらずに、読んでいただいてる皆さんに六世紀の姿を異国の資料によって不遜ながら描いていただいている。日本古代の歴史について著者は研究者の先生方の知識の半分も持ち合わせない素人であるが、賢明なはずの先生が日本書紀という「ロマン」「フィクション小説」の中で迷子になっておられるのは不思議でならない。1946年まで日本はアメリカと闘っていた。アメリカという共和国と日本という王国の戦いであったから、王様が不利になるような言動は、利敵行為だから、王の威信の根幹である「神話・聖書」である日本書紀の記事を疑うことは許されなかっただろう。しかしその戦争が王国の敗北で終わり、まがりなりにも日本共和国として出発してからすでに2010年の現在まで65年の歳月が経っているのに、いまだ加羅、中国の古代史記載の倭との出来事を「日本書紀」のどこかに割り当てる悪習をやめようとしないように見える。ほんとうなら著者がこのような物語を書く前に、書く余地がないように、古代史は解明されてて良いはずなのだが、日本の古代史が巨大な謎包まれているのは、うれしいようで悲しい。しかし第二次世界大戦がある意味で「日本書紀」の呪縛で起きている事に留意すれば、将来の日本のためにはこの「日本書紀」の呪縛を解く事が大事だと思っている。王制は王制の神格化のために手段を選ばない悪辣な方法で「日本書紀」をつくりあげ、その上で資料となった全ての国内資料を葬り去った。それは徹底したもので、前方後円墳の由来書ものこされていないほどで、それでいまだに前方後円墳が誰を葬ったものであるか定かではない状況になっている。古代の日本を語るとき異国の資料によらなければならないというのは悲劇としか言いようがない。