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200 任那奪還ならず

 この婦は坂本臣(和泉の豪族。和泉は現在、大阪府和泉市坂本町付近)の娘で甘美媛あまみひめだという。この婦と同じ時に捕虜にされた調吉士伊企儺つきのきしいきな(調吉士は朝廷使といった官職)は勇猛な人で、新羅の将が力ずくではかまを脱がして尻を日本に向かわせ「日本のいくさのきみ、我がけつを食え」と、叫ばせようとするが、伊企儺いきなは「新羅の王、我がけつを食え!」と叫んだ。何度も言うとおりに叫ばせようとするのだが、「新羅の王、我がけつを食え!」としか叫ばない。これによって伊企儺いきなは殺されてしまった。伊企儺いきなの息子、舅子おじこも、その父を抱きながら死んだ。伊企儺いきなの妻、大葉子おおばこは、同様に捕虜となったが、夫の死を痛んで次のように歌った。


韓国からくにの の上に立ちて 大葉子は 領布ひれ(ぬの)振らすも 日本に向きて


 欽明三十二年 三月五日 天皇は坂田耳子郎君さかたみみこのいらつきみを新羅に使わして、任那の滅んだ事情を問わせた。(筆者註・オヤ!随分と変な記事ではあるまいか。大和朝廷は、任那滅亡については当事者で、その状況は克明に知っているはずではないか?知らないとすると、大和国は、これらの戦役全般に渡って、第三者であったと言うことである。この記事によって、当事者が大和国でなく倭国であったことを書紀はわざわざ示しているのだ)


 欽明三十二年(571年)四月 天皇崩御する。


 さて、この後も克明に書紀を精読しても、この話しの論点がぼけてしまう。この後、百済が滅ぶ事。日本水軍が歴史的大敗を喫して、韓地支配にとどめをさされる白村江の戦いの事まで、話しを早めよう。ここでは「日本書紀・全現代語訳」 宇治谷うじたに つとむ著 講談社学術文庫刊 の年表の力を借りたい。


 

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