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197 任那滅亡

 言うなれば、任那は国家以前の国家、天文学でいえば、ひとつの大きな星が誕生しようとする時に、やがて吸収されるべく周辺に存在する小惑星であった。韓地におけるに先んじて、まず中国が高句麗が、次ぎに日本が、こうした村を少し大きくしたような国を統合し、大きな国を作り上げていた。このとき韓地の半島東岸、及び南岸はいまだ多くの小国家郡に分かれている状況であった。三国史紀には新羅の歴史が高句麗よりも以前から始まったように書かれているが、実際は新羅の歴史は、百済よりもさらに短いと思われる。なぜなら六世紀に入ってから、新羅が国内の、地域を名付け、かつ諸制度を整えたという記事が三国史記に見いだされるからである。新羅も本来は一小国に過ぎなかったが、時は新羅に味方して、半島東岸の小国家を少し遅れながらも統一して、新生新羅として立つことができたのである。

 任那とは半島南岸を中心として散開する諸国であるが、これらが全くの独立国であったわけではない。倭国と濃厚な姻戚関係を持つ、倭国の韓地分国とも言うべき金冠加羅が本来は、諸国の王として君臨しており、任那は順国家的な統一体をなしていたと思われる。

 倭国の発祥は日本海である。倭国の祖先は古くは韓国南岸、隠岐島、対馬、五島列島、九州北岸部の諸地域の津(港)の漁労、農耕、交易を生業とする民である。それらを統べたのが、卑弥呼の邪馬壱国であったと思われる。この邪馬壱国の統合を引き継いで建国したのが倭国であった。

 倭国の命運は、筆者が長らく書いてきた通りである。この書は任那の滅亡を以て閉じようと思う。任那滅亡後は高句麗と百済と新羅、三国が韓地を支配することになり、日本の干渉から韓地は独立することになる。ますます倭国は大和国の支配に組み入れられ、倭国は思いでの中に埋没するのだ。

 この書を閉じる前に、最後に、日本の大敗北である白村江の戦いと百済の滅亡を述べねばなるまい。高句麗が滅び、新羅がついには韓半島の人々の願いであった統一新羅を完成することも述べねばなるまい。それをもって筆者は筆を置くべきである。


 

 


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