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195 任那 風前の灯

 蘇我稻目そがのいなめは言う。「昔、雄略天皇み世に汝の国、百済は高句麗に攻められて、危ういこと重ねた卵よりもはなはだしい状態でした。この時に天皇は神祇官に神のお言葉を窺わせました。言葉が降りてきて言うには『国を建てた神を慎み招いて、滅びようとする王のもとに行って救えば、必ず国は静まり人々に安寧がおとずれるであろう』との事でした。そうして、その通りになされましたので、国は安らかでした。国を建てた神とは、天地が分かれた時代、草木のみが物語りする時、天下りなされて、国を造られた神のことです。聞くところによると汝の国は祖神を捨てまつらないと言う。まさに今こそは、以前の過ちを悔い改めて、神の宮を修復再建し、神の霊をまつってさしあげるならば、国は盛える事となるでしょう。汝はこれを忘れてはなりません」


 八月 百済の新王、余昌よしょうは諸臣に語った。「私が今願うことは亡くなられた父王のために出家して修道することである」と。諸臣は答えて言った。「今、王が修道して出家なさりたいとおっしゃることは聞き入れられないことであります。王子だったあなた様が老臣の忠告を聞かず、新羅に進出した事が今の憂いの元なのでございます。百済の国を高句麗、新羅は競って滅ぼそうとしております。それは、国の始まりから今に至るまで続いているのです。このような時に出家とはいかなる道理でございましょうか。この国の政事まつりごとをどちらかの国に授けようというのでしょうか。できれば、前の過ちを悔いて改め、出家などとは申さぬことです。もし、願いを果たそうとするのであれば、国の民をして出家せしめるべきであります」余昌よしょうは「そうであるな」と答えた。


 欽明十七年(556年)正月 百済の王子(けい)が帰国したいと申請した。したがって護衛の兵と馬と物品が多く与えられた。阿部臣あべのおみ佐伯連さえきのむらじ播磨直はりまのあたいを遣わし、筑紫の船師(船軍)を率いて、国に送らせた。これとは別に筑紫火君つくしのひのきみ(百済本記に、筑紫君の子の火中君ひなかのきみの弟とある)に勇士一千を率いさせて弥弓みて(韓国南岸、南海島東南端と思われる)に送って、海路の拠点を守らせた。(筆者註・筑紫君の登場である!ここに、百済本記を引用して筑紫火君・筑紫火中君が筑紫の君の子であるとわざわざ記されている事に注目したい。筑紫の君磐井が亡くなったのが西暦531年の事であるから、この記事からいえば二十五年前の事である。亡くなった時の磐井の年齢は未詳だが、百済本記に書く筑紫の君は磐井であることが考えられる。しかし百済本記《日本書紀に転載された文のみが残る古史書。三国史記中の百済本紀とは別の書》は磐井が天皇であることを認知していたから、筑紫君と書かず、本文には天皇と書かれていた可能性がある。つまりこれは、倭国正規軍の出陣と南海島への駐屯を表しているのではないだろうか。)


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