192 任那 風前の灯
「百済王たる臣は別に軍兵、万人をも送って、任那を助けます。今、事態は急であります。ここに単船を走らせて、急ぎ奏上いたします。なお、少々で軽薄ですが、心ばかりに、良い錦の布、上質な敷物、斧三百丁、及び新羅の城を落としたときに捕まえた民、男二人、女五人をさし上げます」
百済聖明王の王子、余昌は新羅を伐とうとした。臣の翁達はそれを諫めて言った。「天がいまだ味方しておりません。恐らく禍が降りかかります」と。余晶は言う。「老人達よ何をおびえているのだ。私は大和国に臣従しているのだ。なにを恐れることがあるだろうか」と。ついに新羅の国に久陀牟羅塞(塞はとりでの事、場所は未詳)を築いた。王は王子の余昌が長く戦に苦しみ、寝食もことかく有様であると聞き、憂いを深くしていた。このままでは子に対する慈愛にも欠き、また戦勝もありえないと思い、自ら戦場に出かけて王子を慰労した。
新羅は百済聖明王が自ら来たると聞いて、国中のことごとくの兵を発して道を遮って打ち破った。この時に新羅は兵の佐知村の飼馬奴、苦都に言った。「聖明王は名のある王である。比べれば卑しい汝を以て王を殺させよう。そうすれば、そのことは後の世に伝わって忘れられる事がないと思えるからである」
この後すぐに、苦都は聖明王を捕らえて、再拝んで言った。「王様の首を切らせていただきます」王は言った。「王の頭は奴などの卑しい者の手によって落とすものではない」と。苦都は言う。「我が国、新羅の法は誓いを違えば、国王といえども、奴の手によって成敗されるものである」
聖明王は天を仰いで、大きく嘆き、落涙し、おのれの斬首を許して言った。「私は苦労のし通しだった。計をめぐらしたが、無駄となってしまった」
王は首をのばして、そして斬られた。