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189 任那 風前の灯

 欽明十四年十月廿日 百済の王子余昌(よしょう)(聖明王の子、後の威徳王いとくおう)は

百済国の全ての兵を発進して高句麗に行って百合野しらゆりのそこ(とりで)を築き、兵士と一緒に寝、食事した。(筆者註・この時、百済・高句麗国境は存在しない。高句麗に接しているのは新羅のはずであるが・・・)この夕べに、遙かに見渡せば野は良く肥え、平原は広く伸び人跡まれで犬の声を聞くこともなかった。そこに急に鼓と笛の音が聞こえて来た。余昌よしょうはひどく驚いたが、対するにを鼓を打って答えた。百済軍は通夜、守りを固くして、備えた。まだ、ほの暗いころ起きて広大な野を見れば兵が覆うこと青山のごとくで、旗が林立充満している。

 黎明時に頸鎧あかのへのよろい(首部を守る環状のよろい)を着ける者一騎・小型の銅鑼をもった者二騎、豹の尾を髪に飾った者二騎、合わせて五騎がくつわをならべて到来して聞いた。

「部下達が言うに『我が野の中に人がいます』と。これをどうして迎えに出て挨拶をしないと言うことができるであろうか。今はあなた方の名前と年と位を知りたい」と。

 余昌は答えて言った。「姓は汝等と同姓の扶余ふよである。位は杆卒かんそち(階位十六位の五位)年は二十九だ」百済は高句麗側の返事を待った。高句麗の兵は決まりのごとく答えた。ここに互いに族旗を立てて、互いに戦った。(筆者註・日本でも古来、源氏・平家の頃には、敵どうし名乗り合い、おもむろに一騎打ちを始めるのが習慣としてあった。一見奇妙な行為に見えるかもしれないが、それが決まりであった。)

 百済はほこによって高句麗の軍師を刺し引きずり落とし首を切った。さらにその首を鉾に刺して、さし上げて戻って皆に示した。これを見て高句麗の将兵は激しく怒った。百済の歓び叫ぶ声は天地も裂けるかと思えるほどであった。副将達は激しく鼓を討って良く戦い、ついには高句麗の王を山の上に追い上げてしまった。

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