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183 滅亡に向かう任那

 欽明五年(544年)十月 百済の使者、奈卒得文なそちとくもん那卒奇麻なそちがまなどが百済に帰って行った。(百済本記は云う。十月に奈卒得文・奈卒奇麻らが、日本より帰りて云った。収監を願った河内直こうちあたい移那斯えなち麻都まつなどの事についてお言葉がなかった。)


 長く、書紀の本文を書いてきたが、ここで筆者は書くべき事は書こうと思う。【結局は百済があれほど強くくどくどと要請した、任那宮家の新羅に親しむ官吏達の更迭は実行されず、任那宮家は従来通りであった】ということである。こうした事の中に、倭国または大和国の百済に対する考えが読み取れるようではないか。

 また、このあたりの書紀の記事は、読んでいると、百済の視点が中心であるように感じられないだろうか?

 公平な客観的な立場から見れば、百済は任那各地に城を持って日本宮家から任那支配の実権を奪っている。日本から、百済が支配する任那各地の郡司、城主を退去させよという命が来ているのに、百済はそれに従わなかった。この重大な命にそむいていながら、今度は任那宮家が新羅に接近していると、宮家の官吏達の更迭を日本に要請する。そしてそれは実行されないで終わる。

 こうした一連の出来事を読み解いてゆくと


1 任那は百済の支配地になっている

2 任那・安羅在の任那諸国日本総領事たる宮家は新羅に接近しつつある

3 日本から任那復興のための出兵がない

4 日本は結局なすべき手を持たない。もはや軍力をもって、任那宮家官吏の更迭すらままならない。

5 ここで云う、日本は倭国であって、大和国ではない


 と、いう状況にあることが判明する。日本国内の状況は


1 倭国の領地が徐々に屯倉増設という形で大和国の手に落ちつつある。

2 倭国にすでに昔の面影はなく、水軍をささえる財力もない。

3 大和国の本音は、高句麗や百済や新羅が突出して強くなって欲しくないということに尽きる。

4 大和国は特に強くなりつつある新羅を百済・任那をもって牽制したいが、倭国との相変わらずの戦役に忙殺されている大和国には、韓地の状況を左右する余裕はない。特に新羅に融合しようとしている任那倭国屯倉の官吏達を更迭したいが、その手段をもたない。

5 やがて、強大になった新羅が、日本を襲うという危惧があったから、大和国の軍兵は九州博多に集められた。


 当然のことながら、書紀は、この状況の全容を書紀に書くことをしないのである。




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