182 滅亡に向かう任那
更に云った。「新羅は春に喙淳を吸収し、わが百済の久礼山の兵を追い出し、占領しました。そののちは、安羅に近いところは安羅が耕作し、久礼山に近いところは新羅が耕作し、侵しあわず安定しておりました。しかし移那斯と麻都は、それを乱してその境を越えて新羅側に入り込んで耕作しましたが六月には、手放してしまいました。任那宮家の代表だった印支弥(百済本記に我が印支弥を留めし後に、とあり、百済人であったかもしれない)の後任の許勢臣の時には、新羅は任那との境を侵すことはありませんでした。私が以前聞いた話では新羅は年ごとに多くの兵を集め、安羅と荷山を襲おうとしているとのことでした。また、加羅を襲おうとしているのだとも聞きました。最近は、文を寄こす者を得ましたので、そのようなことが伝えられますと将士を遣して任那を守る事に怠りはありません。それで任那は季節にかなった耕作ができています。それを、的臣らは百済は任那から遠いので急を救う事ができないから、自分らが新羅に接近して、はじめて、農耕ができたのだというのは、天皇を欺いて、いよいよ企みを深くする事であります。これほどはっきり判ってしまうことすら、このように言いくるめるのですから、この他の偽りごとは必ず多いに違いありません。的臣らが、このまま安羅にいるならば任那の国はおそらく復興しないでしょう。ですからどうか、的臣らを速く退けてください。私が深く恐れていることは麻都が韓地人の母から生まれたというのに、朝廷の大連の位となり、任那宮家の執事と交わって栄華を楽しんでいますが、新羅の奈麻礼の位(新羅官位十七階の十一位)の冠衣装を身につけているのです。これは新羅に寄せる心のありようが外に現れているといえましょう。よくよくなす事を見ていると、恐れ、怖じけた事がないように我が物顔にふるまっています。彼の悪行の事は既に伝えましたが、今度は他国官吏の衣服を身につけて、毎日のように、新羅国境に公であろうと私的であろうと、かまわずに通うのに、人目をさけるという事がありません。国々が滅ぶにあたり、官吏の二心は決定的な原因と言えますから、恐らく、これにより任那は永久に滅ぶでありましょう。任那がもし滅んでしまったら、私の国、百済のみひとり残って危うくなります。それでは百済が日本に仕えようと思いましても、どうしてそうする事ができるでしょうか。伏してお願いすることは天皇が遠くまで見通されて、すみやかに、このような者達を、日本に送還なされて、任那に平安をもたらす事であります」