179 日本宮家の河内直《こうちのあたい》
百済の使いは別に河内直に言った。「昔より今に至るまで汝の悪行のみを聞いた。為哥可君(先任の任那宮家代表者)は、汝等の親たちの新羅接近のたくらみに乗って国の災いに心を掛けず、なおざりな執政に甘んじたのでこれによって放逐されたのである。それが汝の任那宮家代表という職をえたゆえんである。しかるに汝等は来たりて任那にとどまりて、常に不善をなす。任那が日々に損なわれることは汝の故なり。今、任那は破られる寸前である。このままでは、ついには、海西の任那の国々は、長く天皇に仕える事ができなくなるだろう。今は天皇に奏上して、汝等を移して、本国に送還させよう。汝は又、天皇の前に詣でて、お言葉を聞くが良い」
又、日本の宮家の重臣や、任那の諸王らに語って言った。「任那の再建を、天皇の威力を借りずには、誰が良くできる事であろうか。それゆえ我は天皇のもとに詣でて、将士の出兵を請い、任那の国を助けようと思った。兵の食糧は我らが用意するつもりであった。兵の数は、少数とは限らない。食糧を運ぶところもいまだ定まらない。それで一所に集まり互いに論議しその結論を天皇に奏上しようとしたが、いまだ来ないので話しあいが進まなかったのだ」
日本の宮家の代表である、河内直は答えて言った。
「任那の執事が、呼ばれるのに行かなかったのは、私が行かせなかったのだ。私が使いをだして天皇にお尋ねさせたところ、戻って来た使いが言うには『朕は印奇臣を以て新羅に遣わし津守連を以て百済に遣わすであろう。汝(河内直)は次の命が出るまで待て。新羅・百済に自分で行ってはならない』と言うことでした。しかし印奇臣が新羅に到来した所に宮家の臣を行かせて聞くと、『日本の宮家の臣と任那の執事は新羅に行って、天皇の勅(命)を承れ』と言うことであった。その後に津村の連に聞くと『私が百済に遣わされたのは任那の下韓にいる百済の郡令・城主を任那から撤退させよと言うことだけである』とのことで、私は任那と日本の宮家とが百済に集って天皇の詔を聞けという伝言は聞いていない。任那が百済に行かなかったのは、そういう事情があったからで、任那の意志ではありません」
任那の王達は言った。「百済から招きが来たというので百済に行こうとすると、日本の宮家の高官達が妨げました。それで行きませんでした。百済の王の任那再建のため細かい思いやりに、我々はひどく喜んでおりましたのです」