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170 天皇空位とそれが指し示す真実

 表から見れば、空位二年は本来継体期28年であるものを25年と強引に変えてしまった為に起きた年月の不足の整合のため、目立たないように入れられたものであると考えるのが妥当である。それでは干支えとでは三年間であるものが何故二年間の空位で足りるのかという疑問が出ると思うが、しかし、それは容易に解決がつく。継体28年は、安閑元年であるからだ。書記の継体期の記事では継体天皇は辛亥かのとのい年(531年)二月に亡くなったとしている。しかし同書の安閑期の記事では継体天皇は甲寅年(534年)二月に亡くなっているとしている。年表で見る限りは二年間の空位だが、実際には三年間の空位が見いだされる。何故そうなるかというと、継体28年は二月で終わり、安閑元年は継体28年であるからだ。


 興味深い事は、継体天皇が二月に亡くなったにもかかわらず、安閑元年の記事は正月から始まって、しかも大和の勾金橋まがりのかなはし(現・奈良県橿原市)に遷都までしている。継体大天皇が亡くなろうと云う時に、遷都などするであろうか。推測するに、実際に継体天皇が亡くなったのは、この年の半ば後半であったと考えられる。安閑元年が継体天皇の死を待たないで、正月から始まるのは、建前は空位を目立たさせないためである。しかしながら、ここにも、プロフェッショナルな歴史学者としての誇り高い、書紀編纂官吏は記事の中に、真実に至る鍵を忍ばせている。それは、わざわざ、継体天皇崩御の前月に、安閑天皇即位と遷都を持ってきていることである。この記事は、歴史書を良く解読する人には、「オヤ!」と、思わすのに充分に異常な記事である。例の「後世、良く考える者にはわかるであろう」という、書紀編纂官吏の得意気な笑顔が見える様で、実に愉快である。


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