17 古事記序文
いくら、歴史資料として、古事記、日本書紀がでたらめなものでも、一応それを読む価値がある。ほとんど嘘でも、いくらかの真実は転がっている。古事記、日本書紀の記事を現代語訳に直して、部分転記する前に、古事記成立の言われを古事記巻頭の序から開いてみよう。この訳は作家の福永武彦氏の「現代語訳古事記」(河出文庫)によっている。
古事記 序 天皇の忠実な臣下である安麻呂が、ここに奏上いたします。そもそも遙かな昔の事、造化の素である「気」がしだいに凝り固まり始めてはいても、いまだ形として現れるには至りませんでした。やがて名前もなければ動きもない宇宙の初めに、天地が分かれるときがやって来ました。その時アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カミムスビの神といった三柱(三名)の神が、宇宙造化の緒をつくり、陰と陽とを別に成されました。それとともにイザナギの神イザナミの神がお生まれになって生きとし生けるものの親となりました。イザナギの神は、この世から黄泉の国を訪ねた後に目を洗って日の神、月の神を、お生みになり、さらに海水に身を浸して身を清めた時に、多くの神をお生みになりました。宇宙の初めも国家の初めも、遙かに遠く、おぼろげでありますが、古くから伝えられました尊い伝承により、神々が国を生み、島を生み、また神を生み、人を生んだ事が、分かるのであります。そうして生まれた神々は天の石屋戸の前で、榊の枝に鏡をかけ、うけい(神に祈って吉凶を占う事)を行いました。そこでスサノオの命が玉を嚙んで吐いたところから、歴代の天皇が生まれ、アマテラス大神が剣を噛みスサノオの命が八俣の大蛇を斬ったところから実に多くの神々が相次いで生まれました。そののち神々が安河原で会議を開きましたもので、そのために天下は平穏となりました。タケミカヅチの神は、出雲の伊那佐の浜で、オホクニヌシの神に国土を譲るよう談判して、それをなしとげ国の中が一層穏やかになりました。その結果、ニニギの命が初めて天から高千穂の嶺にお降りになり、カムヤマトの天皇(神武天皇)が秋津島を、はるばる征め上られました。