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166 磐井王の殺害が動かした半島の情勢

 金冠加羅国の新羅投降の二年後、安閑元年(534年)五月、百済は下部脩徳摘徳孫《かほうしゅうとく、ちゃくとくそん》・上部都徳己州己婁《じようほうととく、こつこる》などをつかわした。

 やって来て、通常の調(貢納品)を献上し、別に表上ふみたてまつれり(文書を上提した)。


 ここで、書記は文書の中身を記さないが、上表とは帝王に、意見したり、お願いすると言う意味が含まれているから、百済の「お願い」とは、金冠加羅に始まる、新羅の任那侵略をともに防ごうという内容だったと思われる。当然これには日本からの出兵の願いも併記されていたであろうと推測できる。

 かって百済は、四県割譲で任那から一部を抜き取っているから、新羅の事を悪くは言えないのであるが、任那は今や実際は百済の領地みたいなものであるから、百済にはこれを防ごうという強烈な意志があったのである。


しかし、そもそもが金冠加羅が百済や任那を見限ったように新羅に投降したのは、531年に倭国磐井王が、大和国に侵略、殺害された事が主な原因と考えられる。倭国と任那諸国、とりわけ金冠加羅国はあたかも一家であるような強い姻戚関係でむすばれていたから、倭国磐井王殺害の報は、金冠加羅国に深い衝撃を与えたであろう。

 金冠加羅国王の考えは以下の様だったと思える。「これまでは加羅諸国の存在を強力な水軍によって倭国は支えてきた。その倭国が落ちてしまった。倭国が任那四県占領を許した百済は、任那をまもるどころか、金冠加羅も狙っているようだ。百済に占領されれば王家の明日はない。それに比べれば、新羅は落とした王家には礼節をもって接しているようだ。それに、国力の落ちた百済の先は、いずれにしろ知れたものだ。高句麗や新羅に併合され滅ぶだろう。もはや、これまでだ、金冠加羅国は新羅の一国となろう」


 併合した諸国に対しての政策は、百済にたいして、新羅が抜きんでていたようだ。落ちた王族・官吏に対して、充分な手当をしたようである。元の王国の租税を属国となった王に与え、新羅はただ、支配権と元国王からの上納を得たようである。百済については、不詳であるが、恐らくこのようにはいかなかったであろうと考えられる。高句麗との激烈な戦いに疲れた百済にはそのような豊かさはなかったであろうからである。



 


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