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154 金冠加羅国の滅亡と書紀の記事

 任那はかっては四県ならびに一県が百済に吸収され、今度は任那諸国の筆頭である金冠加羅が532年に新羅の一国となってしまった。友邦である百済が任那を属領とするのは、倭国・大和国にとっては問題ないが、常に敵対している新羅が任那の有力な一国を併合するに及んで、日本国内には恐怖の衝撃波が走った。

 新羅が強国となり、海を越えて日本列島を襲う可能性が出てきたからだ。書紀には天皇が(金冠加羅の滅亡を述べる事をせず)国内各地に命じた記事が出てくる。それは、安閑あんかん天皇が二年在位の後に即位した宣化せんか天皇の元年五月の条である。


 夏五月一日に天皇はみことのりして言われた。「食は天下の本である。黄金が万貫あっても、飢えを癒すことはできない。真珠が千箱あったとしても、どうしてうまく冷害を切り抜けることができるであろうか。かの筑紫の国は遠近の国が朝貢のために、行き来の関となるところである。何故というならば、みなとが海流や風や入り江などで良い条件を備えているからである。応神天皇より朕の時代にいたるまで余剰の玄米を納めて、遙か先の凶年に備えるとともに、海外からの良客に与えたのである。国を安泰にする方法はこれに過ぎる事はない。それゆえ、朕は阿蘇の君をつかわして、河内の国の茨田まむたの郡の屯倉のもみを運ばせたのである。蘇我大臣稲目宿禰そがのおおみいなめのすくねは尾張のむらじをつかわして、尾張の国の屯倉の籾を運ばせよ、物部大連麁鹿火(あらかい)新家連にいのみのむらじをつかわして新家屯倉にいのみのみやけの穀を運ばせよ、阿倍臣あべのおみ伊賀臣いがのおみをつかわして、伊賀国の屯倉の穀を運ばせよ。宮家みやけ(兵も備えた王朝の分所)を那津なのつ(現在の博多・大津)の入り江に建造せよ。というのも、その地の筑紫・ひのくにとよのくにの三つの屯倉は散って遠いところにあるから運ぶのに不便であり、緊急に用いるべき時にすぐ用意することができないからである。また、それだけでなく多くの諸郡に命じ、穀を徴発し、それぞれに宮家に運ばせよ。速く郡県に、この言葉を伝えて、朕の心を知らしめよ」と。


 表面上は平穏であることを装い、金冠加羅が陥ちた事を書かずにいるのは、王家の尊厳に関わることを書かない、王国編纂の歴史書の常であるが、このような大事件を伏せたために、全体の文章が意味不明になってしまっている。・・・ともあれ、海のこちらの倭国・大和国が、恐れおののいた事は文章によく出てはいないだろうか。

 この文章には、また諸所の屯倉がことさらに列挙され、裏に大和国の強大であることを暗示しようという意図がある事に注意すべきである。なぜなら倭国隠蔽のための落とし穴でもあるからだ。前記の屯倉新設の文からすれば、大和国が、このようにしっかりした土台の上に立脚していることは考えられない事ではないだろうか。

 また、この文には【阿蘇の君】が登場することにも注目して欲しい。むらじではなく君である。この時は磐井が亡くなった時からおおむね三年に過ぎないのである。継体25年は継体天皇が亡くなった年ではなく、実際はあと三年継体期が続いたと思われる。実際は上記のできごとは継体期のことであったのである。書紀は倭国の存続を思わせようとして【阿蘇の君】を登場させるのではないだろうか?。残念ながら阿蘇の君がだれであるのかは不詳である。

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